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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
四章 空を飛ぶ
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【7】移動式射出台


「ピョフゥゥゥゥゥゥゥゥ……!」


 飛行用魔導具を背負ったティアは、意識を集中して魔力を流し込む。

 そんな彼女の足には、砂の入った袋が紐で結びつけてあった。拷問ではない。

 錘があると飛行が安定することが判明したから、早速試してみようと思ったのだ。

 飛行用魔導具が風を吹きだす。その風がティアの体を前方に押し出し……。


「ピヨッポォォォォォォォォ! ………………ペフッ」


 ティアの体は地面から少し浮かんだまま、砂袋をズリズリと引きずり、そしてボスッと落下した。風に乗れなかったのだ。

 その様子を見ていた管理室室長カペルと、補佐のバレットがため息をつく。


「分かってはいたが、やはり重くなると飛び上がるのが困難になるな」


「でも、軽すぎると回転しながらぶっ飛ばされちまうんですよねぇ……」


 飛行用魔導具は、使用者が飛び上がる瞬間にある程度の勢いがいる。

 その結果、これまでティアは弾丸の如く吹っ飛ばされ、クルクル回転するはめになったのだ。

 錘があると、この回転が止まって安定する。だが、錘があっては浮き上がれない──という問題にティア達は直面していた。

 カペルが自身の膝を打つ。


「どれ、錘の紐の長さを長くしてみるか。そうすりゃ最初は勢いよく飛んで、紐が張る辺りで錘が効果を発揮する」


「飛行が安定する高さまで紐を伸ばすとなると、相当長くなりますよ。実質凧じゃないですか」


 バレットの言う凧という物を、ティアは管理室の中で見せてもらっていた。

 木の骨組みに布を張り、糸で結んで高く飛ばす道具だ。風を捕まえたら、後はどんどん高く飛んでいく。

 ただそれだと、ティアは足にぶら下げる錘に、相当な長さの紐をつけなくてはならなくなる。


(なんか……それは……ヤダ……足枷みたい……)


 つまり、どうやって風に乗るか──浮かぶまでが問題なのだ。

 それならば、とティアは第三の塔〈水泡〉を見上げる。


「ピヨッ、高いところから飛び降りる! そしたら風に乗れるよ!」


 ティアの提案に、バレットが顔をしかめ、カペルが目を輝かせた。


「それって、未完成の飛行用魔導具背負って、高所から飛び降りるってことだぜ。分かってるかい、チビさん?」


「だが、理屈としては悪くないぞ。最初に浮かぶための魔力を温存できるのも美味しい……なかなか目の付け所が良いぞ、チビ。やはりお前には見込みがある!」


 魔力の温存。そう、これも課題の一つだ。

 魔導具というのは端的に言って、燃費が悪い。そうでなくとも、飛行魔術は消費魔力が激しく、長距離飛行には向かない代物なのだ。

 それを魔導具化するのだから、飛んでいられる時間は極めて短い。だからこそ、飛び上がる瞬間に使う魔力だけでも温存したい。


(魔導具が、わたしの魔力を消費する物なら良かったけど……魔導具って、そういう物じゃないみたいだし)


 魔導具というのは予め、一定量の魔力を込めておき、使用者が少量の魔力を流し込むことで起動するものである。

 だから、魔力が少ない一般人でも使える。

 基本的に、使用者の魔力を大量消費するつくりをしていないのだ。

 ティアはハルピュイアで、人間よりずっと魔力量が多い。だから、自分の魔力を使ってくれて構わないのだが、そういうわけにもいかないのが歯がゆかった。



 * * *



 第三の塔〈水泡〉の三階の上にある屋上に移動したティアは、足の錘がしっかり繋がっているかを確認した。

 バレットが「君の体格ならこれぐらいでしょ」と言って用意した砂袋は、ティアの体重の半分ぐらいの重さしかない。


(もっと重くても、大丈夫なんだけど……人間は足に重いもの、ぶら下げないもんね)


 ハルピュイアは足の力が強いのだ。本気を出せば、足の爪で猪を掴んで飛ぶことだってできる。

 正直、重い物は手で持つより足で持ちたい。とティアは時々思っている。


「おーい、チビさん。いけるかーい!」


 塔の下でバレットが声をかける。

 ティアは屋上から身を乗り出し、手を振った。


「うん。良い風吹いてるから行くね。えい」


 一切の躊躇なく屋上から飛び降り、飛行用魔導具を起動。

 背中から凄まじい力で押されているような、そんな風を受けながら、ティアはしっかりと胸を張り、腕を広げる。


「ふんっ!」


 体を傾けて、全身で風を掴む。

 体が少し浮上した──が、まだ完全に風に乗りきれていない内に、ティアの体はゆっくりと下降していく。


(駄目だ。勢いと、高さが足りない……!)


 高い所から飛び立つ方法のおかげで、短い時間なら風に乗れた。だが、まだ勢いと高さが足りない。

 昨日の成功は、最大威力の弾丸射出と、途中で錘を手に入れたという奇跡のような偶然が重なったからこそなのだ。

 ゆっくりと下降して地面に降り立ったティアは、唇を噛んで空を仰ぐ。


(もっともっと高いところから飛ばないと……)


 見上げた空を鳥の群れが横切った。せめて、あれぐらい飛べたら……と考えた矢先に、鳥達よりも更に上空から何かが落ちてくる。

 槍を持った長身の男──オリヴァー・ランゲだ。


「………………ピヨップ!」


 ティアは飛行用魔導具を背負ったまま、ペタペタと駆け出した。



 * * *



 誰よりも高く、高く、高く跳躍した男オリヴァー・ランゲは上空で腕を動かしていた。

 腕かきは何種類か試してみたが、槍を持ちながらするなら、水平に腕をかくのが一番やりやすい。

 空気の塊を掴むように、腕を動かし、風をかきわけ、進む──多分一歩分ぐらい。

 そうして落下しながら、オリヴァーは槍を構える。落下の速度を加味した突き技が、オリヴァーにできる最大威力の攻撃だ。


「ふんっ!」


 着地点に向かって槍を突く。

 突きは複数回はいらない。落下の勢いを活かすのなら突きは一度だけがいい──敵の心臓を確実に穿つ一撃が。

 そうして地面に槍を穿つように着地し、オリヴァーは立ち上がる。

 鍛えても、鍛えても、自分は兄には届かない。

 才能も魔力量も、全てにおいて兄の方が上回っている。そのことは誰もが認める事実だ。

 それでもオリヴァーは、それを理由に戦うことをやめたりはしない。

 彼が戦うのは、その兄のためなのだから。


(俺はもう、決して、逃げたりはしない)





 ランゲは魔物狩りの一族だ。オリヴァーもフレデリクも、物心ついた頃から槍を握って毎日訓練をしていた。

 だけど、兄のフレデリクは争いごとが苦手な性格で、訓練から逃げ回ってばかり。

 訓練の時間になるとどこかに隠れてしまう兄を探しに行くのが、オリヴァーの日課だった。

 あれは、オリヴァーが十歳になる少し前のことだったか。


『兄者! 兄者! 修行の時間だ! 早く行かねば、父上に叱られるぞ!』


 兄が閉じこもっている納屋の扉越しに声をかけると、シクシクと泣く声が聞こえた。


『もうヤダ……修行なんてしたくない……』


『兄者、修行しなくては強くなれないぞ!』


 昔からフレデリクは怖がりで、臆病だった。

 だけど、魔物狩りとしての才能に恵まれているのはフレデリクだ。だから、周囲はフレデリクに期待している。

 その期待が、気弱なフレデリクをますます追い詰めているらしい。


『だって、ランゲは魔物に狙われるんだ……戦場に出たら、真っ先に狙われて……魔物に……た、食べられちゃうんだ…………やだぁ……ひぃん……』


 シクシクという泣き声がますます大きくなる。

 だからオリヴァーは、フンッと鼻から息を吐いて、大きく胸を張り、宣言した。


『大丈夫だ、兄者! 俺が絶対に兄者を死なせないぞ! 俺は強いからな! 俺が兄者を守ってやる!』


 そう誓ったのだ。

 それなのに……肝心な時にオリヴァーは逃げた。誰も、何も守れなかったのだ。





 父と兄と共に見回りに入った森で、オリヴァー達は魔物と遭遇した。普段はまず見かけない、力の強い魔物だ。

 上半身は人間の女、下半身は蜘蛛の、おぞましい魔物だった。

 女の顔は美しく、だからこそ浮かんだ表情が醜悪だったのを覚えている。

 その魔物は強く、狡猾だった。他の魔物を餌にオリヴァー達を誘き寄せ、操る糸で真っ先に兄のフレデリクを捕らえたのだ。

 父は兄を助けようと奮闘したが、蜘蛛の糸が父の武器をからめとり、そして──蜘蛛の足の先端に生えたかぎ爪が、父の腕を切断した。

 あんなに強かった父が、手も足も出ない。

 そう理解した瞬間、オリヴァーは恐怖に支配され、その場を逃げ出した。脇目も振らず、一目散に。



 ……翌日、帰ってきたのは兄一人だった。

 魔物が気紛れを起こしたのか、或いは父を喰らって腹が膨れたかは分からない。

 兄は魔物に殺されずに済んだけれど、ボロボロで、とても正気とは言えない有様だった。目に光がなくて、言葉もろくに出てこなくて、時々ひきつけを起こし、泣き叫ぶ。

 しばらくの療養を経て回復はしたけれど、その頃にはもう、兄はオリヴァーを遠ざけるようになっていた。

 弱虫で訓練嫌いだった兄が、泣き言を言わず黙々と槍の訓練に取り組んだ。自ら率先して魔物狩りに参加するようになった。

 そして十三歳の日に、ランゲ家が守る地域以外でも活動できる、〈楔の塔〉に行くことを決めたのだ。

 当時十二歳だったオリヴァーも兄を追いかけ入門試験を受けたが、不合格だった。


(兄者はさぞ幻滅したことだろう)


 幼き日、あれだけ任せろと大口を叩いていた弟が、父と兄を見捨てて逃げ出したのだ。


(信じてもらえないことは、分かっている)


 それでも、今度こそ幼き日の約束を果たすため、オリヴァー・ランゲは兄を追いかけ、〈楔の塔〉の門を叩いたのだ。再々々受験をして。




 ……再々々受験が必要な程度には、戦闘も魔術も才能がなかったのである。


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