【23】守護室室長ベルの詰問
ヒュッターは守護室室長ベルと共に、第一の塔〈白煙〉内にある談話室に向かった。
昼休みなどはそれなりに賑わっている談話室だが、この時間は流石に人の姿はない。
(しかし、なんだろうな、俺に訊きたいことって……)
もしこれが、「お願いしたいこと」ならば、なんとなく想像がつく。
──皇妹であるセビルだ。
セビルをフラフラ外に出すのは迷惑だからやめてほしいとか、訓練のために守護室に向かわせるのはやめてほしいとか、この辺は文句を言われても仕方ないな〜と密かに思っていたのだ。
だから、早めに守護室室長に挨拶しておこうと思っていたのだが、なかなか時間が合わなかったのである。
(でも、訊きたいことって言われると、なんかニュアンスが違うんだよな……俺に訊きたいこと……まさか、俺の正体に気づいてるとかじゃねぇだろうな、おい……)
テーブルを挟んで向かいに座るベルの表情は、どこか険しい。
守護室室長というからには、相当強いのだろう。ただ腕っぷしが強いだけでなく、切れ者である空気を感じる。
討伐室が魔物討伐のプロなら、守護室は対人戦闘のプロだ。
ただ腕力でねじ伏せるだけでなく、その眼光で、振る舞い一つで、場の空気を制することができる人間をヒュッターは何人も知っている。黒獅子皇もその一人だ。
きっと、ベルもそういう人間なのだろう。
「〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッター。貴方……」
ゴクリ、とヒュッターは唾を飲む。
──貴方は、本物の〈夢幻の魔術師〉ではないのでしょう?
そう質問されることを想定し、どうかわすかを考える。
なるべく自然にとぼけるのが理想。但し、相手がすでに何らかの証拠を握っているのならば懐柔案も考える必要が出てくる……否、既にヒュッターが偽物である証拠を掴んでいるのならとっくに塔主に報告するはず。一体この女の目的は……。
「貴方、リーゼのこと、どう思ってるの?」
「……………………はい?」
三流詐欺師〈煙狐〉は、演技も忘れて素のままの反応をしてしまった。
(いかんいかん、今の俺は〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッター)
自分にそう言い聞かせて、ベルの言葉の意味を反芻する。
リーゼ──同じ指導員のアンネリーゼ・レームのことだ。
彼女のことをどう思っているか。特に誤魔化す必要もないので、ヒュッターは正直に答えた。
「良い指導員ですよね。勉強熱心で」
「本当にそれだけ?」
「えー……生徒想いで、親切で……あっ、俺もこの塔に来て日が浅いので、いつもお世話になってます。はい」
ベルは眉間に皺を寄せ、寄り目になってヒュッターを凝視する。
「本っ当〜〜〜に、それだけ?」
「えーと……ベル室長は、俺に何を言わせたいんすかね……」
ヒュッターが困惑を隠さずに問うと、ベルはハッとしたような顔で頬にかかる金髪をソワソワといじり始めた。
「やだ、私ったら……ごめんなさい。プライベートに踏み込んでしまって……ただ、貴方が最近リーゼと仲が良いみたいだから……気になって、つい……」
ヒュッターは、飲み仲間である管理室室長カペルの話を思い出した。
カペルは〈楔の塔〉でも古株で、塔主や室長についても詳しいのだ。
彼に良い酒を奢って、おだてながら聞き出した話の中に、こういうものがあった。
──守護室室長のベルは、恋バナ……いわゆる恋愛絡みの話が大好きである。
「あー……つまりベル室長は、俺がレーム先生に、好意を抱いてるとお考えに?」
「だって、最近のあの子、何かというと貴方の名前を出すんですもの。『ヒュッター先生が、ヒュッター先生が』って」
「俺、レーム先生と十歳ぐらい歳が離れてるんですが……?」
「別にそれぐらい、珍しくないでしょ」
ベルはプルリとした唇を尖らせる。彼女は〈楔の塔〉きっての武闘派だが、化粧や髪の手入れが行き届いている女性なのだ。
身につけている細身の服も、動きやすそうだが、明るい色合いでよく似合っている。
前髪をざっくりと短くして、化粧っ気がなく、少し幼く見えるレームとは、いっそ対照的ですらある。
(あ〜〜〜、そういう誤解か……てっきり俺の正体がバレたかと……あー、心臓に悪ぅ……)
心臓を押さえたい衝動をグッと堪え、ヒュッターは考える。
さて、どう対処したものか。変な噂を立てられたら、仕事がやりづらくなるし、できれば守護室室長であるベルを敵に回したくない。なるべく穏便に誤解を回避。それが理想だ。
「これは、俺の主観なんですけどね……」
そう言って、ヒュッターは声をひそめる。内緒話をするような仕草に、つられてベルも前傾姿勢になった。
「レーム先生って、魔術馬鹿なんですよ。悪口じゃないですよ? なんていうか、本人もそのことを自覚して誇りを持っているタイプの、魔術一筋の魔術馬鹿です」
「……まぁ、そうね。否定はしないわ」
ベルは思い当たる節がある、という顔をしていた。
同期なので、ヒュッターよりもずっとレームのことを知っているのだろう。
ヒュッターは真面目くさった態度で、言葉を続けた。
「でもって、自分も幻術一筋の幻術馬鹿なんです。だからレーム先生は、親近感を抱いてるんじゃないかなーと。魔力器官損傷という共通点もありますし」
幻術一筋の幻術馬鹿。それは初対面の時、レームの前で適当に口走った言葉だが、レームはその言葉に何かを感じているようだった。
多分、共感したのだ。彼女もまた、魔術一筋の魔術馬鹿だから。
「レーム先生が俺に好意を寄せてくれてるとしたら、それは同志に対する感情みたいなもので……俺が恋愛感情なんか抱いたら、むしろがっかりすると思いますよ、レーム先生」
これは謙遜ではなく、素直にアンネリーゼ・レームという女性に対して感じたことだ。
俺好かれてる? とオッサンが調子こいて言い寄ったら、レームはたちまち幻滅するだろう。
「勿論、レーム先生は魅力的で素晴らしい女性だと思います。ただ、俺は自分のことに手一杯なので……恋愛をする余裕なんてないんですよ、ベル室長」
本当に、指導員というのは忙しいのだ。
しかも、本来のヒュッターの目的は、皇帝と〈楔の塔〉の断絶理由の調査である。指導員の仕事と〈楔の塔〉での地盤作りが忙しすぎて、全然着手できていないが。
(マジでこのままだと、皇帝陛下に首切られんじゃね、俺?)
この状況で、甘酸っぱい恋愛をしている余裕など、オッサンにはないのである。
ベルは黙ってヒュッターの話を聞いていたが、やがてゆっくり息を吐くと、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい、ヒュッターさん。私の思い込みで、失礼なことを聞いてしまって……本当に失礼なことを……あぁぁ、下世話だからこんなの良くないって分かってるのにぃ……」
最後の方は早口になり、ベルは赤くなった顔を両手で覆った。
あんまり申し訳なさそうに縮こまっているものだから、見かねたヒュッターはフォローの言葉を口にする。
「いや、なんか勘違いさせるようなことをしてしまってすみません。レーム先生とは、なるべく部屋で二人っきりにならないようにとか、馴れ馴れしくしすぎないようにとか、気をつけるんで……もし気になることがあれば、遠慮なく仰ってください」
「うぅぅ、ありがとうございますぅ……」
よし。とりあえずこの場は切り抜けられたな、とヒュッターは内心冷や汗を拭った。
真っ赤になった頬を押さえて縮こまりながら、守護室室長のベルは思った。
(ヒュッター先生、大人だわ……すごく分別のある大人……! あぁぁ、それなのに私ったら、なんて失礼なことを──!! いやぁぁぁぁぁ、穴があったら入りたい……っ!)
ベルは恋愛話が大好きだが、普段は直接本人に気持ちを聞くような下世話な真似はしない。
それでも今回、我慢できずにヒュッターを問い詰めてしまったのは、レームに恋している男の存在を知っているからだ。
──かつてレームのライバルだった、討伐室室長フリッツ・ハイドン。
彼は、もう随分と長いこと、レームに片想いしているのである。
見習い時代からそのことを知っているベルは、密かにハイドンのことを応援していたのだ。
頑張ってフリッツ君! リーゼは鈍感なんだから、もっと押さなきゃ! ……と二人を見るたびに何度思ったことか。
だから、最近レームがヒュッターと親しいと聞いて、居ても立っても居られず乗り込んでしまったのだ。
(あぁ……私の馬鹿……)
ベルは震える声で、ヒュッターに話しかける。
「あの、ヒュッターさん。このこと、アンネリーゼには……」
「言いませんって。そうっすね……もし、レーム先生に、ベル室長と何を話してたのか訊かれたら、うちの生徒が守護室で世話になってるんで、その件で……とでも言っておきます」
「ご配慮ありがとうございます……うぅぅ」
「いやぁー、実際、今後もうちの生徒が世話になると思うんで。セビルは難しい立場の生徒ですが、魔法剣を学びたいという気持ちは本物なので、どうぞよろしくお願いします」
そう言って丁寧に頭を下げるヒュッターに、「大人! 配慮のできる大人だわ! 人間できてる人だわ!」とベルは心底感動した。




