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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
三章 因縁の兄弟
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【22】大人達の立ち話

「筆記魔術?」


 レームが口にした言葉を、レンはそのまま復唱する。

 少なくとも、共通授業ではまだ教わっていない言葉だ。


「今日の午前中の授業内容が、まさに筆記魔術よ。紙に術式を書いて、魔力を流し込むことで、魔術が発動するの」


 そう言ってレームは紙とインクをテーブルに並べる。そのインク瓶に見覚えがあった。午前中の授業で使ったのと同じ物だ。

 レンは今日の午前の共通授業を振り返る。

 紙に魔術式を書いて、魔力を流し込む。すると、文字がピカピカと光った。


「つまり、難しい魔術式を書くほど、すごい魔術が発動するってこと? それこそ、ただピカピカ光るだけじゃなくて、火が出たり、風が吹いたり……えぇと、オレの得意属性は雷だから、ビリビリしたり?」


「端的に言うとそうね。分類上は古典魔術だけど、現代魔導具の礎となった技術でもあるわ。ほら、特殊なインクで魔術式を書いて、魔力を流し込むと発動……魔導具と同じでしょう?」


「つまり、紙とペンで簡易魔導具を作る魔術、って感じか」


 これなら、オレでもできるかも! と喜びが込み上げてくるが、同時に疑問も浮かぶ。

 筆記魔術は現代だと使われていない。つまり、詠唱が主体の近代魔術と比べて、デメリットがあるのだ。


「なぁなぁ、レーム先生。現代で使う人があんまりいないってのには、理由があるんだよな?」


「そうね。不便な点は、こんな感じかしら……」


 レームが手元の紙にサラサラと、筆記魔術のデメリットを書く。


・書くのに技術がいる(正確に書けないと駄目)

・書き溜めができない(書いたらすぐ発動しないと駄目)

・基本的に威力が弱い。


 最後の威力が弱い、の横には『※消費魔力量が少なくてすむ、という考え方も』と書き添えられていた。

 なるほど、それが筆記魔術をレンに勧めた理由らしい。


「あとは、紙とインクを用意しないといけない、っていうのも難点ね。最近は手に入りやすくなったけど、旧時代は紙もインクもすごく高価だったから……」


「専用の紙とインクがいる?」


「えぇ、本格的に学ぶなら、管理室や蔵書室と仲良くしておいた方がいいかも」


 なるほど確かに、詠唱するだけで発動する近代魔術に比べると圧倒的に不便だ。

 詠唱は時間がかかるが、書くのはもっと時間がかかる。しかも書き溜めができないときた。

 筆記魔術のメリットは、消費魔力が少ないこと。つまり、威力が少ないが複雑な魔術に向いているのだ。


(でも、それってどんな魔術……?)


「あとは、魔術的なメリットとは違うけれど……筆記魔術を習得しておけば、蔵書室や魔導書を管理する仕事の就職に役に立つわ。蔵書室の方は大体筆記魔術を習得してるの」


 レンは腕組みをして唸った。

 詠唱だけで発動し、高威力な近代魔術はやっぱり魅力的なのだ。単純にカッコイイ。


「うーん……練習に紙とインクがいるんなら、すぐにやるって決められないけど、ちょっと検討してみる」


「えぇ、もし本格的に学ぶなら蔵書室を頼るといいわ」


 蔵書室といえば、入門試験で本に封じた魔物を操る、リンケ室長の管轄だ。

 穏やかだけど、怒らせたら怖そうなおばさんだな、とレンは密かに思っている。


(そういや、あの魔物を封じた本も筆記魔術の一種だよな。封印状態が持続するから、魔導具の技術的な側面もあるんだろうけど)


 そう考えると、筆記魔術はできることが意外と多いのではないだろうか。

 そこをもう少し煮詰めてみよう、と考えつつ、レンはレームと幾つか話をして、指導室を後にした。



 * * *



 レン・バイヤーへの指導を終えたレームが片付けをし、部屋を出たところで、「レーム先生」と声をかけられた。

 レームと同じ指導室所属の魔術師、カスパー・ヒュッターだ。

 ヒュッターは頭の後ろに手を当てて、レームに頭を下げた。


「やー、どうもすみません。うちの生徒なのに、面倒見てもらっちゃって」


「いえ、魔力器官損傷の危険性は、早めに教えた方が良いことですし……レン君が無理をして、取り返しがつかなくなる前に、こうしてお話できて良かったです」


「あの年頃の男子は、『無茶する俺、カッケー!』みたいなとこあるんで……早めに釘を刺しときたかったんすよね」


「ふふっ、男の子だけじゃないですよ。私もそうでした。無茶するのがカッコイイというか……追い込んだ方が強くなるって、思い込んでたんですよね」


 ライバルと競い合うのが楽しかった。

 絶対に勝ちたいと闘志を燃やし、ライバルと切磋琢磨する日々は輝いていて、ずっとそんな日が続くと思っていた。

 なのに、終わりは呆気なく訪れた。

 魔力器官を損傷したレームは、もう以前のように前線には立てない。ライバルと肩を並べて、戦果を競うこともできない。

 感傷が、冷たい手のように胸を撫でる。そんなことをしても、傷が癒えることはないのに。

 レームが少し寂しく笑うと、ヒュッターが内緒話をするかのように体を屈めた。


「でも、いいですよね。追い込まれて新たな力に目覚める主人公。すげーカッコイイじゃないすか」


「ふふ、ヒュッター先生にもそんな時期が?」


 レームが冗談めかして訊ねると、ヒュッターは顎に指を添えてニヤリと笑う。


「自分、それで無詠唱幻術編み出した、幻術一筋の幻術馬鹿なんで」


 レームは思わず吹き出し、小さく肩を震わせた。

 あぁ、どうしよう。随分久しぶりに心から笑ってしまった。


(分かります、その気持ち)


 追い込まれて、新たな力に目覚める主人公。レームはずっと、そうありたかった。

 そうして、ライバルと戦い続けていたかった。


「あら、リーゼじゃない」


 廊下で立ち話をする二人に声をかける人物がいた。

 年齢はレームより少し上の二十代後半。鮮やかな金髪を一つに束ねた長身の女性だ。


「こんにちは、ベル室長」


 レームにとって、ベルは年上の同期である。所属教室こそ違うが、見習いだった時期が同じなのだ。

 ベルは対人戦闘に強く、若くして守護室の室長に就任した実力者だ。ヒュッターはまだ面識がないだろう。

 レームは二人の間に立ってる、ヒュッターを見上げた。


「ヒュッターさん、こちら第二の塔〈金の針〉守護室のベル室長です」


「守護室ってことは……あー、あーあーあー、その節はどうも。指導室のカスパー・ヒュッターと申します。そちらのオットーさんには、大変お世話になりまして……」


「いいえ、こちらこそ。何度か私に挨拶しに出向いてくれたのでしょう? なかなかタイミングが合わなくてごめんなさい」


 先日、調査室の魔力濃度調査にヒュッター教室の見習い魔術師達が同行している。

 ヒュッター教室には、皇妹であるセビルがいるので、念のためにと守護室の魔術師オットーを同行させているのだ。ヒュッターが口にしているのは、その時のことだろう。

 ヒュッターはマメな男だ。あの後、何度か守護室の室長であるベルに、礼を言いに行ったに違いない。

 ベルはじぃっと、意味ありげにヒュッターを見つめ、薄く微笑む。


「ヒュッター先生、この後お時間は? ……少し、貴方に訊きたいことがあるの」


「あー、いいっすよ。全然暇なんで」


 本当はヒュッターがちっとも暇じゃないことを、レームは知っている。

 この時間、ヒュッター教室の生徒達は他の部屋に行って指導を受けているが、その間もヒュッターは共通授業の準備をしたり、生徒の個性に合わせた魔術を調べたり、よその部屋に挨拶に行ったりと、忙しく働いているのだ。

 それこそ、魔力器官損傷の研究をする余裕もないぐらいに。

 ヒュッターは無詠唱幻術を身につけるために無理を重ね、魔力器官が損傷し、その治療方法を探すために〈楔の塔〉にやってきたのだ。


(それなのに、ヒュッター先生はいつも生徒達のことを優先している……)


 なんて立派なのだろう、とレームはヒュッターに尊敬の目を向けた。


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