【9】戦う意志を問う大人達
指導室室長ヘーゲリヒが討伐室の執務室を訪ねると、討伐室室長ハイドンは、人払いをし、ヘーゲリヒに書き物机用の椅子を勧めた。この部屋には来客用のソファの類がないのだ。
「茶も用意できずにすまない、ヘーゲリヒ室長」
「なに、構わんよ。指導室も似たようなものだ」
「部下達が隠し持っている酒ならあるんだが」
「……それは、聞かなかったフリをしようではないかね」
渋面になるヘーゲリヒに、ハイドンはハハッと軽く笑った。
討伐室室長フリッツ・ハイドンは年齢は二十代半ばほどの、大柄な金髪の青年だ。
一目で鍛えていると分かる立派な体躯に、動きやすい服を身につけている。
ハイドンは室長の中では最年少だが、〈楔の塔〉でも有数の実力者で、最高責任者である首座塔主に匹敵する本物の天才だ。
ハイドンはヘーゲリヒの向かいに自分の椅子を持ってくると、そこに腰掛け、まずは深々と頭を下げた。
「今日は、俺の部下がすまなかった。フレデリクの弟が見習いにいることは聞いていたのだが……まさか、あそこまで拗れているとは……」
「ランゲ一族は背負うものが多い。兄のフレデリクの気持ちも、分からなくはないがね……それでも私は指導室の室長である以上、見習い達の成長を促す義務があるのだよ」
「あぁ、部下から報告は聞いている。魔法戦でフレデリクと再戦をしたいのだろう。無論、俺は構わない」
そう言って、ハイドンは少しだけ顔を緩めて笑った。
少しだけヤンチャな少年の面影がある笑顔だ。
「ヘーゲリヒ室長。不謹慎だとは思うが、俺は少しワクワクしているんだ……俺の部下とリーゼの教え子が戦うことに」
リーゼ──ヘーゲリヒの部下であるアンネリーゼ・レームのことだ。
彼女はいつも前髪が短くてちょっと子どもっぽい雰囲気だが、近代と古典の両方の魔術に精通している才女で、討伐室室長フリッツ・ハイドンとは同期である。
ハイドンとレームは、かつては討伐室で肩を並べるライバルでもあった。
実力は五分。レームが魔力器官損傷で現場に出られなくなるまでは、この二人が討伐室の双翼だったのだ。
かつてライバルだった二人の、部下と教え子が戦う。そう思うと、ヘーゲリヒも少しだけ感慨深い。
ハイドンが少し弾む声で言う。
「よし、早速日程を決めよう。ルールも……フレデリクにストッパーをつけた方が良いな。リカルドとヘレナも参戦させるか」
ハイドンの呟きに、ヘーゲリヒは顔をしかめた。
リカルドとヘレナはフレデリクの同じ教室出身の同期で、討伐室ではよく行動を共にしている。
機動力が高いフレデリクに、一撃が重く防戦も得意なリカルド、援護も攻撃もできるヘレナ。この三人は現討伐室におけるトップチームの一つだ。
見習い魔術師十二人が束になって挑んでも、勝算はない。
「それは、あまりにも見習いに不利すぎるのではないかね?」
「あくまでフレデリクのやりすぎ防止ということで。そうだな……魔法戦はフレデリクを倒したら終了。リカルドとヘレナは見習いに対して攻撃禁止。妨害と防御のみで参加、ということでどうだろう?」
「それでも充分に不利だと思うがね……」
だが、今日のフレデリクとオリヴァーのやりとりを見るに、確かにフレデリクを止める人間は必要だろう。
「……分かった。その条件を呑もう。日程は一ヶ月後でどうかね?」
「こちらは構わないが……一ヶ月後で良いのか? 見習いの中には、ろくに魔術を使えぬ者だっているだろうに」
ハイドンの言う通りだ。見習いの中で、まともに魔法戦ができるのは、ロスヴィータとユリウスの二人だけだろう。その二人はそれぞれ古典派と近代派で、対立することは目に見えている。
見習い同士の連帯感は薄く、目標が定まっていない者も多い。いまだ二桁の足し算ができぬ者もいる──だからこそ、ここで大きな共通課題が必要なのだ。
「見習い期間はたったの一年。この課題で、自分は〈楔の塔〉でやっていけないと見極め、去るのなら、それでも構わんよ」
この課題で、やる気のない者がいるのなら、破門にして構わない──否、破門にするべきだ。ヘーゲリヒはそう考えている。
「この〈楔の塔〉で、何をできるようになりたいか。困難に立ち向かい、戦う意志はあるか──自ら考え、動ける者でなければ、これからやっていけんのだよ、君ぃ」
* * *
指導室の指導員ゾンバルトは、爽やかな笑顔を浮かべ、教室に残ったただ一人の生徒に昔話をしていた。
ゾンバルト教室に所属する生徒は三名。内、オリヴァー・ランゲとジョン・ローズの二名は、他の塔の見学に行っている。
今、教室にいるのはただ一人。
真っ直ぐな黒髪に、蛇のような雰囲気の少年、ユリウス・レーヴェニヒだ。
「……以上が、僕が知っている、ザームエル・レーヴェニヒ……君のお父さんが失脚するまでの流れです。先帝と〈楔の塔〉の断絶と、君のお父さんが〈楔の塔〉を追放された時期はピッタリ重なっている。まぁ、関係があると見て良いでしょう」
ゾンバルトが語ったのは、〈楔の塔〉の昔話だ。
かつて、〈楔の塔〉で塔主を務めていた男、ザームエル・レーヴェニヒの失墜、そして追放までの、表向きの物語。
それを滑らかな口調で語り、ゾンバルトは白い歯を見せて笑う。
「僕の話は役に立ちましたか?」
「ククッ、俺が知っていることと、大差はないが……これで、よく分かった」
ユリウスは喉を震わせて笑い、己の指にはめた指輪を撫でる。
「〈楔の塔〉の上層部は、大きな秘密を隠している。おそらくは室長……否、塔主クラスしか知り得ぬ、何かがあると」
塔主達は秘密の共有者だ。それも、公にはできない暗い秘密の。
そして、ユリウスの父ザームエルは、それに触れてしまったために、失脚したのだ。
ユリウスはローブのポケットから、硬貨の詰まった袋を取り出し、それをゾンバルトの前の教壇に置いた。
ゾンバルトはまだ、白い歯を見せて笑っている。
「この程度の話なら、タダでしますよ?」
「『金で解決できる問題は、金で解決しておけ。お節介だの親切だのは、積もれば大きな負債となる』──父の教えだ」
「ハハハ! そういうことなら、故人を尊重し、受け取っておきましょう」
ゾンバルトは硬貨の袋を懐に収める。
ゾンバルトは野心家だが、決して金にがめつい人間ではない。小さな親切を積み重ねて、恩に着せてくるタイプだと、ユリウスは察していた。だからこそ、先手を打って金を出したのだ。
金で解決できる問題は金で解決しろ──父の教えは、まったく正しい。
「今日の魔力量測定の結果も踏まえて、俺はそろそろ派閥を作ることにする」
「良いですね、近代魔術派で固めましょう! そうすると、アデルハイト殿下は是非味方につけたいところですが、本人に近づくと警戒されそうだし……まずは、その子分二人を取り込むのがお勧めですね!」
「ならば、ティア・フォーゲルだ。目的が明確な分、つけ込みやすい」
入門試験での会場で、ティアは「空を飛びたい」と宣言している。
飛行魔術が目的なら、近代派に取り込むのは容易いだろう。
「ククッ、ティア・フォーゲル。是非とも、俺とお友達になってもらおうではないか」
「やる気満々で、良いですね!」
ユリウスの父が失脚してから、〈楔の塔〉は古典派が実権を握り続けている。
バリバリの近代派であるゾンバルトは、肩身の狭い身だ。だからこそ、古典派の上層部を失脚させるべく、こうしてユリウスに協力している。
「ヘーゲリヒ室長も僕と同じ近代派ですけど、あの人には野心がない。だから、僕達みたいな野心まみれの若者が頑張らないとですね! ……おっと失礼。君は野心家ではなかった」
貼りつけたようなゾンバルトの笑顔に、ほんの少しだけ憐れみが滲んだ。
「ただの、父親思いだ」




