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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
八章 境界の魔女
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【27】ハルピュイアの過ち


 茂みから飛び出したオリヴァーの槍が、ティアの首を絞める糸を切断する……とまではいかなかった。オリヴァーの槍の腕は、そこまで優れていない。

 だが、蜘蛛女の意識が逸れた一瞬の隙に、ティアは僅かに緩んだ首の糸に指をかけた。

 ハルピュイアのティアは、手の指の力があまり強くない。だから、腕の力で引くイメージでグイと糸を引きちぎる。

 蜘蛛女はオリヴァーを見て、口の両端を持ち上げた。


「お前は、あの時逃げた臆病者」


「今の俺に、恐怖はない」


 宣言通りオリヴァーが蜘蛛女に突っ込む。蜘蛛女がキシャァと喉を鳴らしてオリヴァーの首筋を狙った──その瞬間、糸を足場に跳躍したティアがオリヴァーの背中にしがみつく。

 命の危機に瀕しているなら、頭の中のグチャグチャした感情は、一度どこかに置いておくべきだ。その生存本能に従い、ティアは叫ぶ。


「跳ぶよ! オリヴァーさん!」


「頼む!」


 ティアはオリヴァーの背中にしがみついたまま、跳躍用魔導具を起動した。

 短い金属羽から風が生じて、オリヴァーの長身が高く跳ぶ。蜘蛛女の牙が空振りをした。

 ティアは跳躍用魔導具を微調整し、体を傾けながら叫ぶ。


「落とすよ!」


「承知!」


 オリヴァーは背中にティアを乗せたまま、地上に落下していく。落ちたら助からない高度でも、彼は動じない。


「ほ、ほ、単調な攻撃だこと……」


 蜘蛛女が笑う。そうだ、真上から落下してくるだけの攻撃など、数歩動けばかわせてしまう。

 ──だから、ティアは跳躍の直前に用意をしたのだ。

 その手の糸をしっかりと巻き取り、力一杯上に引く。


「ルァァアア!!」


 それは、ティアの首に絡んでいた糸だ。その一部が蜘蛛女の胴体と繋がっていたから、ティアはそれを握ったまま、高く跳躍したのだ。

 突然糸に引っ張られ、蜘蛛女がバランスを崩す。その瞬間、上空から真っ直ぐに落ちた槍の一撃が、蜘蛛女の頭を、胴を、深々と抉った。

 着地の瞬間、全ての衝撃がオリヴァーにいかないよう、ティアは跳躍用魔導具で風を操る。その風で、蜘蛛女の体液が雨のように飛び散った。

 これが鮮血なら、赤き雨になっていただろうか。


「ほ……ほ……そうか……」


 ボタボタと体液を垂れ流しながら、蜘蛛女は笑った。

 その目がオリヴァーを見つめている。


「ロミーは、お前の恐怖を……食ろうて、いたのか」


 ティアはオリヴァーの背中から降りると、蜘蛛女に近づいた。

 ティアの正体を口にする前に、トドメを刺そうと思ったのだ。

 だが、蜘蛛女が最期に口にしたのは、ティアの正体ではなかった。


「お前は弱い子だねぇ……自分で獲物も獲れず……ほぉれ、母がこっそり馳走を用意してやったぞ」


 既に蜘蛛女の目は輝きを失っていた。

 人の女の腕が、そこにいない誰かに伸ばされる。


「たぁんとお食べ、ロミー……」


 それが、最期の言葉だった。




 戦いの興奮が冷めると、ティアの頭は急速に冷えていく。

 惨たらしい亡骸を見下ろし、ティアは考えた。

 今、自分がこの蜘蛛女を殺したのは、この蜘蛛女がティアを殺そうとしたからだ。

 蜘蛛女はティアの懐柔が難しいと知り、襲いかかってきた。だから、ティアは返り討ちにした。

 だけど、蜘蛛女がティアを味方に引き込もうと、言葉を重ねていたら、それが許される状況だったら、どうなっていただろう。


『ハルピュイアもそうであろう? 数年前に大規模討伐があり、もう随分殺されたと聞く』


『これは、我ら魔物達の存続をかけた戦いぞ。それでも、お主は人の側に立つと言うのか?』


 じわり、じわりと冷たい汗が滲んできて、ティアはブルルと体を震わせた。

 お姉ちゃんや仲間に会いたい、レンやセビルと一緒に笑っていたい、ヒュッター先生に色んなことを教わりたい、ライバルのフレデリクさんとまた空を飛びたい──その願い全てを叶えることは、きっとできないのだ。


「ティア」


 声をかけられ、ティアはのろのろとオリヴァーを見る。

 オリヴァーはいつも通りのオリヴァーだった。そのことに、少しだけティアは安心する。


「兄者を安全な場所に運びたい。手伝ってくれ」


「……うん」


 魔物は、正しいか間違っているかで行動を決めない。

 選択の基準はいつだって、「必要だからする」それだけだ。

 それなのにティアは今、自分が「間違えた」ことを猛烈に後悔していた。



 空を飛ぶために人に近づいたこと。

 それが、ハルピュイアのフォルルティアが犯した過ちだ。



 * * *



 微睡んでいたレンは、男女の話し声で意識を取り戻したが、そのまましばらくウトウトしていた。

 すぐに覚醒に至らなかったのは、あまりにも寝心地が良かったからだ。

 ここ最近は野宿をすることが多く、ベッドと布団が手放し難かったのである。


(そういや、オレ、最後に寝たのどこでだ……? ベッドに入った記憶なんてねーぞ……)


 話し声はヒュッターとセビルのものだった。どうやら、二人がレンの看病をしてくれたらしい。


「さて、疑わしい者について、じっくり検討してみようではないか」


「そのために、俺の脈を測る必要ってある? なぁ? 先生の脈を測って嘘を確かめようとするのやめよ?」


「まずは指導室から……おや、脈が速くなってきたぞ」


「知ってるか? 大抵の人間は、お前みたいな迫力ある美人に手首押さえられて凄まれると、脈が速くなるんだよ」


 一体何の話をしているんだろう、と思いつつ、レンは己の記憶を辿る。

 ランゲの里、魔物の襲撃、四季のおかしな庭園、魔女様との出会いとご奉仕──そして……。


(そうだ、蜘蛛女の魔物に襲われて、フレデリクさんに助けてもらったんだっけ……)


 目を閉じていると、瞼の裏側に凄惨な魔物の死体が蘇りそうだったので、レンは無理やり目を開ける。

 視界に飛び込んできたのは、半端に開いた手帳だ。ヒュッターのものだろうか。どうやら、レンの枕元に落っこちていたらしい。

 レンはなんとなく文字を目で追いかける。



 * * *



ジョン・ローズ

赤毛のモジャモジャ。デカい。

近代魔術をやりたいっぽい? 防御結界だけ使える。

※趣味で植物への魔力付与研究。管理室に出入りしている。

→魔力付与した植物を収穫後、魔力抜きをする方法を検証中。最近はゲラルトと組んで色々やってる。


ユリウス・レーヴェニヒ

クックックって笑うやつ。近代魔術が得意。契約精霊は上位の炎霊。

※父親が〈楔の塔〉にいたっぽい。総務室希望?


ゲラルト・アンカー

黒髪で前髪長い無口な奴。目が悪くなるから前髪は切った方が良いと思う。

剣持ってるけど、使ってるところは見たことないから腕前は分からん。

※管理室の手伝いをしていることが多い。魔法剣に興味はない?

→最近は調理場に出入りしている。


フィン・ノール

黒髪のチビっ子。最年少。木こりの息子らしい。

学力はティアと同程度。足が悪いがそこそこ力持ち。

※管理室と整備室の手伝いをよくしている。


オリヴァー・ランゲ

見習いで一番背が高い。槍使い。〈赤き雨〉ってなに? 先生怖いんだけど?

魔物狩りの一族の人間らしい。その辺、よく分からん。

※討伐室希望。兄が討伐室に所属。

→ティアとの合体飛行に成功。


レン・バイヤー(見習い代表補佐)

自称美少年。割と空気を読んで、気をつかう性格。

魔力量が一番少ないので要注意(レーム先生の指導済)

※筆記魔術に興味あり? →蔵書室か管理室

→筆記魔術を習得。蔵書室の適正有り? 財務室も向いてると思うのでコネがほしい。


ゾフィー・シュヴァルツェンベルク

呪術師の家の人間。少し前まで祖父が〈楔の塔〉にいたが死亡。入れ替わりで〈楔の塔〉に来た。

※蔵書室によく出入りしている。祖父同様、蔵書室の所属になるか?


ルキエ・ゾルゲ

職人気質。人付き合いが嫌いなタイプ。もう少し丸くなれ。

※魔導具職人希望(特に彫金が好きっぽい)→管理室でほぼ確定。

→最近はなんか丸くなったっぽい。多分大丈夫そう。


ロスヴィータ・オーレンドルフ

古典魔術が得意。マントの中に枝がいっぱいぶら下がってた。なにあれ怖い。

※討伐室志望。母親も討伐室に所属していたが引退。


エラ・フランク(見習い代表)

魔法学校出身。古典と近代、両方に興味を持っている。多分、レーム先生と同じタイプの魔術馬鹿。

ロスヴィータやルキエみたいな、我の強い奴とも割と親しい。

※魔力操作に難有り→進路に不安あり?

→魔力管の手術を検討。掌を切るらしいから、生活に支障が出ないよう、見習い達に話しておくこと。


ティア・フォーゲル

ピヨップって鳴く。飛行魔術を覚えたいらしい。鳥か。

特技は歌→歌が関係する魔術も勧める?(飛行魔術とは別なので様子見)

※現在は管理室で飛行用魔導具の訓練中。

→歌詠魔術の指導をアルト塔主に依頼。アルト塔主が地味に褒めてた、すげぇな。


アデルハイト・セビル・ラメア・クレヴィング

皇妹殿下で蛮剣姫。なんで来ちゃったの??

※魔法剣と精霊(の倒し方)に興味あり。現在は守護室で訓練中。

→守護室で魔法剣を習得。ベル室長にめっちゃお礼言っとくこと(ベル室長にはリンゴの焼き菓子が◎)。



 * * *



 そこに記されているのは、見習い魔術師達の情報だった。

 その文字列をなんとなく眺めている間も、ヒュッターとセビルの会話が聞こえてくる。


「さて、指導室で怪しいのは誰だろうな?」


「あー……ゾンバルト、先生とかどうだ? ほら、めっちゃ胡散臭いだろ? なっ?」


「おや、ヒュッター先生は随分と気軽に同僚を売るのだな。これは怪しい……やはりヒュッター先生が魔物なのではないか?」


 なるほど、〈楔の塔〉に人の振りをした魔物がいるとしたら云々、という話をしているらしい。

 その時、二人の会話と目の前の手帳がレンの中で繋がった。

 レンは飛び起き、手帳を掴む。ヒュッターがギョッとしたような声をあげた。


「うお、起きたのか、レン。つーかそれ俺の手帳……」


「ヒュッター先生っ」


 レンは見習い達の情報を記載したページを開き、ヒュッターに突きつける。


「このページの記述だけど、これって──」


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