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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
八章 境界の魔女
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【11】今ならなんと……!


 レンを足にぶら下げたティアは、風の精霊が起こす風を頼りに北へ向かった。

 風切り羽根をなくした翼での滑空は、酷く不恰好でガタガタと揺れる。

 カマキリの魔物にやられた傷はズキズキと痛い。背中にも傷が複数。右肩から腰にかけては大きい裂傷。一番深いのは、思い切り噛まれた右の首筋だ。

 これはハルピュイアの感覚だと「あんまり大丈夫じゃないけど、ギリギリ大丈夫」な傷である。

 このまま放置すると死ぬかもしれないが、魔力濃度の濃い場所で回復すれば助かる──そういう状態だ。


「ティア! どこに向かってるんだ!?」


 ハルピュイアは一度に三つの声を同時に発せる。

 ティアは風の精霊に捧げる歌を歌いながら、レンの質問に答えようとした。だが、それを口にするより先に、ティアの体がガクリと傾く。

 キャンディの効果が切れかけているのだ。


(あと、ちょっと、なのに……!)


 広げた羽が、鉤爪のある足が、人の皮の中に収まっていく。

 肉を切り裂き、そこに無理やり異物を押し込むような痛みと違和感に、ティアは呻いた。


「ぎゅぃぃぃぃいいいいうぐぅぅう!!」


 ティアはやむをえず高度を下げる。ある程度低くなったところで、レンが手を離して地面に飛び降りた。


「ティア!」


 レンの声のする場所に、ティアも降りたい。だけど、できない。

 ボテッと地面に落ちたティアは、そのまま数回地面をバウンドし、グッタリと横たわる。


(もう一回キャンディ食べれば、あそこまで、行ける、のに……)


 少女の華奢な手足に、力が入らない。特に怪我の多い右半身は痺れて、指先の感覚がなくなりつつある。

 酷く眠い──まだ、寝ては駄目なのに。

 霞む視界の中、心配そうなレンが見えた。泣きたいのを堪えて、自分ができることを一生懸命考えている顔だ。


「ティアっ、オレは、お前をどこに連れていけばいい?」


「……まの、とこ……」


 ティアはまだ辛うじて動く左手で、ポケットからキャンディの小瓶を差し出す。


「これ……くれた……薔薇……咲いてる……」


 それが、ティアの限界だった。ハルピュイアの体なら、もう少し活動できるのに、人の皮を被っているとどうにも上手くいかない。

 力の抜けた指からキャンディの小瓶がポトリと落ちる。

 そうしてティアは、意識を失った。



 * * *



 血まみれで地に伏すティアを見下ろし、レンは動揺を必死で落ち着かせた。


(落ち着け、落ち着け、まずは周りを確認……)


 ティアはランゲの里から北の方角に飛んでいた。多分、明確な目的地があったのだ。

 この辺りは〈水晶領域〉に近い森だ。ということは、〈水晶領域〉に行きたかったのだろうか?


(ティアは、魔力が沢山あるところで回復がしたかった。それは別に、〈水晶領域〉である必要はないはずだ……)


 なにより〈水晶領域〉は魔物の領域であり、魔力濃度が出鱈目に濃い。魔力量の少ないレンが入ったら、ただでは済まないのだ。それは、ティアも分かっていたはずだ。


(〈水晶領域〉ほどじゃないけど、そこそこ魔力がある土地……)


 レンは地面に落ちているキャンディの小瓶を拾い上げる。

 意識を失う直前、ティアは言っていた。

 

『……まの、とこ……』


『これ……くれた……薔薇……咲いてる……』


(そういうことか……!)


 レンはひとまず、ティアから預かった上着でティアの傷口を縛り、止血をした。魔物であるティアに人間の対処方法が合っているかは分からないが、血は流しすぎない方が良いに決まっている。

 一度預かったブーツもティアに履かせた。これからティアを背負って移動するなら、足は保護した方が良い──レンは小柄なので、ティアの足が地面を引きずる可能性がある。

 最後に、地面に落ちていたキャンディの小瓶を自分の服のポケットに捩じ込み、ティアを背負う。


「ふんっ! 美少年エスコート!」


 そう口にすると、美少年パワーがみなぎってきた。

 レンはティアが目指していた北の方角に向かって、ズンズン歩く。

 周囲は深い森だ。木々が頭上にも茂り、陽の光を覆い隠している。そのせいで昼でも薄暗いし寒い。吐く息が白くなる寒さだ。

 レンは大きく息を吸い、そして叫んだ。


「魔女様ぁー! ティアを助けてくれっ!」


 叫んだ声は驚くほど響かなかった。まるで、森に音を吸われているみたいだ。

 今更ながら、レンはこの森に薄気味悪さを感じた。この森は、野生動物や野鳥の気配が少なすぎるのだ。

 まるで、魔物に襲撃される直前のランゲの里のように。


 ──ここには、恐ろしい生き物がいる。


 それでも、レンは歩きながら声を上げた。


「魔女様ぁー! いるんなら、出てきてくれよー!」


 進むほどに木々は深くなり、足場も悪くなる。道とは呼べない木々の隙間を、ティアを引きずらないよう気をつけながら、進む、進む。

 かじかんだ手は痺れてきた。美少年は肉体労働に不慣れなのだ。


(でも、入門試験の時、ティアはオレとセビルを背負って、森を歩いたんだ)


 借りを作ってばかりでは、美少年じゃない──という独自の理屈を掲げ、レンは重い足を動かす。


「魔女様ぁー! ティアを助けてくれ!」


 本当は、一度ティアを下ろして休憩したい。だけど、一度足を止めたら、もう歩けなくなりそうだと思ったから、足は止めない。


「魔女様ぁ──!」


 背負ったティアの体は温かく、まだ命の鼓動を感じた。そのことに泣きそうになりながら、レンは叫ぶ。


「今ならなんと、美少年のご奉仕付き!」


 ガサリ、と物音がした。

 前方の茂みが揺れている。何か生き物がいるのかと、レンは身構えた。

 やがて茂みから緑色の細長い何かが飛び出してくる──最初は細い蛇かと思った。だが、違う。

 それは鋭い棘を持つ、植物の蔓だ。


(植物の魔物……!?)


 レンは遭遇したことがないが、そういう魔物がいることは、〈楔の塔〉で聞かされている。

 やがて蔓の先端に蕾が生まれ、パッと真っ赤な薔薇が咲いた。

 ……それだけだ。他には何も起こらない。

 レンは恐る恐る薔薇に近づき、茂みの奥を覗き込んでみた。

 薔薇の蔓は随分と遠くから伸びているらしい。森の奥へ、奥へと続いている。レンが近づくと、また一つパッと赤い花が咲いた。


(もしかして、これって……道しるべか?)


 人間を誘き寄せる魔物の罠かもしれない。

 だけど、これが魔物の罠ならば、さっさとその蔓でレンとティアを拘束すれば済むだけの話だ。

 レンは無理やり口の端を持ち上げ、不敵に笑った。


「……薔薇に導かれるなんて、ますます美少年らしいじゃん」


 疲労と恐怖を誤魔化すように声を出し、薔薇の蔓を辿って歩く。レンが進む度に、一定間隔で薔薇の花が咲いた。

 人の手の行き届いていない森は、どこもかしこも歩きづらいが、この蔓は比較的歩きやすい道を辿ってくれている気がする。少なくとも、極端な段差や危険な岩場はない。

 休憩を挟まずに歩き続けてどれぐらいが過ぎただろう。やがて、木々の合間に建物らしきものが見えてきた。

 レンは残った力を振り絞って、ズンズンと歩く。

 ティアを背負っている今、草木をかき分けるなんてことはできないから、肩で雑に草木を押し退け、顔を上げる。


「これは……」


 それは柵に囲まれた小さな屋敷だった。屋敷の周囲には庭があり、色とりどりの花が咲いている──その鮮やかすぎる庭園にレンは違和感を覚えた。

 ゼラニウム、アイリス、サルビア・ネモローサ……中には名前の知らない花もあった。ただ、実家の庭園で見た花だから、これだけは分かる。


(これって、初夏に咲くやつじゃん……今は、冬だぞ?)


 端から端に目をやったレンは気がついた。庭園の花は春の花から始まり、時計回りに夏、秋の花と変化している。こちらから見えない裏手には、冬の花があるのだろうか。

 花の環境を整えることで、季節の違う花を咲かせる技術があることは知っている。

 だが、これは違う。一つの庭園の中で四季が完成している異形の庭だ。金持ちがどれだけ金を積んでも手に入らない、奇跡の庭だ。

 レンは慎重に、門の奥へ進み庭園を歩いた。

 庭園の奥にある屋敷は古風な作りだが、決してオンボロではない。

 隠居した金持ちが、こういう古い屋敷を好んで購入するのだとレンは聞いたことがある。目の前にある屋敷からは、それに似たものを感じた。

 屋敷の玄関の扉はほんの少しだけ開いていて、そこから薔薇の蔓が伸びている。


(ティアを助けたのが、カイって男と魔女様だったよな)


 色と魔力を代償に、ティアに人の体を与えたのが魔女様。

 そして、人間の知識を与え、〈楔の塔〉に送り込んだのがカイだ。


(セビルは、カイに気をつけろって言ってた……)


 もし、この奥にカイがいるのなら、油断はできない。

 ティアの治療を優先してもらったら、すぐにこの場を離れることも視野に入れなくては。

 レンはティアを背負い直すと、半端に開いた扉を足の爪先で押し開き、体を滑り込ませる。

 玄関ホールに人の姿はなく、薔薇の蔓は屋敷の奥へと続いていた。レンが屋敷に入ると、また足下でパッと薔薇の花が咲く。


(奥まで来いってことか……)


 屋敷の中も、外観同様に古風ながら高級感のある内装だった。

 絵画や彫像の類は飾っていないのが、その代わり植木鉢が並んでおり、乾燥させた薬草らしき物が壁に吊るされている。それが奇妙な生活感を醸していた。

 貴族や富豪は、屋敷の廊下にこうやって薬草を干したりはしない。

 ふとレンは気づいた。廊下の奥にある扉から、薔薇の蔓が伸びている。

 ティアを背負っているので、ノックはできない。ただ、無言で開けるのも感じが悪い気がして、レンは控えめに声をかけた。


「失礼しまーす……」


 玄関と同じように爪先で扉を開ける。

 薔薇の蔓は部屋の奥に座る一人の女の足下から伸びていた。

 女は本を幾つも積み上げて、それを椅子代わりに座っている。

 黒いドレスを身につけ、黒いレースのヴェールを被った鮮やかな赤い巻き毛の女だ。

 その姿を目にした瞬間、初めてこの屋敷の庭園を見た時のような、恐怖と違和感に背筋が震えた。

 美しいけれど異形の庭園。美しいけれど異形の女。


 ──あの庭はこの女だ。この女はあの庭だ。


 レンはゴクリと唾を飲み、慎重に口を開いた。


「……あんたが魔女様?」


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