【6】ハルピュイアの末路
ティアが持ち帰った情報をもとに話し合いをし、ヒュッター達は一日だけ宿に待機をして、翌日の早朝に、国境から南東にあるランゲの里を目指す、という結論を出した。
この一日で大人達はひたすら情報収集。連絡係はメビウス首座塔主を追い、手の空いた者は魔物達の動向を探る。
見習い達はティアを休ませたり、着替えを用意してやったり、飛行用魔導具を修理したりと、忙しく動き回っていた。
そして、ヒュッターはというと、買い出しに行ってくると見習い達に言い残し、表通りと裏通りの境目ぐらいの場所にある酒場に足を運んでいた。
実はヒュッターは、以前この街を訪れたことがある。ただし、この街で詐欺はしていない。
国境にあるデカい街は、国外逃亡の際に利用することが多い。故にこういう街では、あまり人の記憶に残ることはしたくなかったのだ。
過去の自分の判断、正解! と自分を褒めつつ、ヒュッターは酒場のカウンターに座る。既にここに来るまでに、当たりはつけていた。
ヒュッターは商売に失敗してヤケ酒に来た商人を装って、酒を注文する。
「あぁ、まったく、嫌になるねぇ。なんだよ、ダーウォック国王が崩御って! せっかく、仕入れた品を売り捌きに行こうと思ってたのにさぁ」
店主が、酒を注いだグラスをヒュッターの前に置いて言った。
「喪中だろうが、気にせず売り捌けばいいだろ」
「あそこの王様と王妃様が不仲なのは知ってるだろ? 俺は、国王派のお貴族に目をかけられてたんだよ。国王派のお膝元で、デカい商売するつもりだったんだ……あぁ、くそっ」
酒をグイグイ飲み、プハァと一息。
焦りと苛立ちを滲ませて、ヒュッターはぼやく。
「扱ってるモンが、魔導具絡みの物だから、どこにでも売り捌けるってぇわけじゃないし……」
「じゃあ、南の〈楔の塔〉に持っていったらどうだい。この街にも、〈楔の塔〉の魔術師が常駐しているはずだ」
「へぇ、どうすりゃ連絡取れるか、教えてもらえるか?」
そう言ってヒュッターは二杯目の酒を注文し、少し多めの金を置いた。
店主は酒のグラスを置きざまに、連絡手段について小声で話す。
(なるほどな。魔物の眷属の人間は、こうやって〈楔の塔〉の魔術師の居場所を探したわけか)
〈楔の塔〉では、調査室の魔術師や魔術の才能はない下働きの人間、或いは協力者が、連絡係として〈楔の塔〉周辺の町や村に常駐している。いわゆる支部というやつだ。
この支部の主な役目は、〈水晶領域〉の見張り、遠征した討伐室のサポートなどだ。また、財務室の人間が魔導具を卸したり、物資を購入するのを手伝ったりもするという。
(メルヴェンに常駐している魔術師は、こうやって探し出されて、皆殺しにされたわけだ)
この街に常駐している〈楔の塔〉関係者には、しばらく身を隠すよう進言している。
問題は他の町や村だ。
(魔物の数も、眷属も、それほど多くはないはずだ……ティアが襲われたメルヴェンは中継地点として利用価値が高いから、魔物もそこに狙いを定めたんだろう)
〈楔の塔〉はその存在を秘匿している訳ではない。
ただ、皇帝と断絶状態にあるので、支部を公にしているわけでもないのだ。〈楔の塔〉の支部は、地元の人間で知っている奴は知っている、ぐらいの認知度である。
「なぁ、親父さん。もしかして、最近俺以外にも〈楔の塔〉と連絡を取りたがってた奴はいるかい?」
「あぁ、少し前にもいたねぇ」
やっぱりな、とヒュッターは胸の内で呟く。
そいつが、魔物の眷属だ。
ヒュッターはつまみを注文し、また余分に金を置いた。
「そいつと手を組んで商売がしたいんだ。どんな奴か教えてくれないか?」
* * *
「こいつが、眷属の疑いがある人間の特徴です。情報共有しといてください」
酒場で情報収集を終えたヒュッターは、宿の自室に戻ると、オットーに一枚の紙を手渡した。
書いてあるのは、眷属の疑いがある人間の特徴だ。
ここに書いてある人間をただ警戒するに留めるか、見つけ出して尋問するか、口を封じるか、それはヒュッターが決めることではない。好きにすれば良いと思う。
オットーは紙面に目を通し、白髪まじりの茶髪をかいた。
「驚きました。随分と仕事がお早い」
「たまたま一軒目で当たりを引けたんですよ。運が良かった」
運が良かったのは事実だが、それらしい店にあたりをつけることができたのは、詐欺師の経験故にである。
こういう仕事をしていると、店の立地、規模、客層、雰囲気で、情報を集めやすい店がなんとなく分かるのだ。
「常駐の人間は、既に別の場所に移していますが……この情報はありがたいです。共有しておきましょう」
「調査室の方々は戻られましたか?」
ヒュッターの問いに、オットーが紙片を畳みながら頷く。
「メビウス首座塔主とは、まだ連絡が取れていないようです。どうも、イクセル殿下達をダーウォック王城まで護衛することになったみたいで」
「あー、なるほど……西の偵察に行かれた方は?」
〈楔の塔〉の伝令が、西の壁を越えることを魔物達は読んでいるのではないか? 寧ろ、ティアを逃して西の壁に向かうように仕向け、一網打尽にするつもりではないか?
それを懸念し、調査室の中でも遠視や感知、潜伏の得意な者が、西に偵察に向かっていた。
オットーは険しい顔で口を開く。
「……西に目立った異変はありません。ただ、鳥の数が不自然に少ないそうです。それと、人間よりやや強い魔力反応が複数」
つまり、鳥が逃げだすような脅威が居座っている、ということだ。
魔力反応は必ずしも魔物を示すものではない。通りすがりの下位精霊などということもある。肉眼で確認するのが一番だが、潜伏されるとそれも難しい。
帝国は領土こそ広いが、農業に適した平地が少ない。それはこの辺りも顕著で、高低差の激しい土地が多いのだ。魔物が身を隠すには最適である。
(普通の行商人は、あの辺りを通らない。急ぎで移動する人間がいたら、高確率で〈楔の塔〉の魔術師だ──魔物側としても、獲物にあたりをつけやすい)
やはり、壁を越えるのは避けた方が無難だろう。調査室側もその方向で意見をまとめているらしい。
「ヒュッター先生が西を警戒してくれて助かりました。こういうのは、俺が気づかなきゃならないことなのに……」
呟くオットーは、以前より白髪が増えているように見えた。頬の痩け具合も以前より顕著で、大変失礼だが、くたびれた犬のような風情である。
あのメビウス首座塔主と同期と言われても、ちょっと信じがたい。
「いや、お気になさらず。自分はさほど魔物の生態に詳しくないので……そういうところは、やはり皆さんの経験頼りになります」
ヒュッターは〈楔の塔〉の魔術師達から見たら部外者だ。あまりでしゃばりすぎない方が良い。
さりげなくオットー達を立て、ヒュッターは訊ねた。
「ティアを襲った目玉鳥ってのは、群れで活動するんですか?」
「そうですね。少なくとも五、六匹。多いとそれ以上……特に最近は、〈水晶領域〉付近で目玉鳥が増えているんです。天敵のハルピュイアが減っているから」
「ハルピュイア……若い娘に羽が生えたやつでしたっけ。自分は見たことないですが」
ヒュッターが魔物について勉強を始めたのは、〈楔の塔〉に来てからだが、ハルピュイアという魔物の存在は以前から知っていた。ハルピュイアは魔物の中でも比較的有名で、物語に登場することも多いのだ。
なので、ヒュッターは漠然と「歌が上手い鳥女」を想像している。
ヒュッターの呟きに、オットーは苦々しげな顔をした。
「あいつらは、繁殖のため人間の男を攫うんです。過去には討伐室にも犠牲者が出ている」
攫われた人間の末路は、想像に難くない。ハルピュイアが暮らすという首折り渓谷の崖底には、犠牲者の人骨が積み重なっているのだろう。
「特に、精神干渉する歌声が厄介でしてねぇ。昔は歌詠魔術で対抗できてたんですが、今はアルト塔主ぐらいしか使い手がいない」
そういえばオットーの亡き妻サティは歌が得意で、歌詠魔術の使い手だったという。
オットーやメビウスと共に、歌詠魔術でハルピュイアと戦うこともあったのだろうか。
ヒュッターはふと気になって訊ねた。
「そういうのって、耳栓で対抗できないんですか?」
「多少は効果を軽減できますがね、近距離だとあまり効果はないようです。精神干渉以外にも、歌を使って風の下位精霊を操ってくる」
「めちゃくちゃ厄介っすね〜……」
唸るヒュッターに、オットーは少しだけ表情をゆるめる。
「ただ、何年か前に、群れの中でも力の強い女王種が死んだみたいで。そのタイミングで討伐隊を出して、徹底的に叩いたおかげで、なんとか数を減らせたんです」
「そういや、記録にありましたね。メビウス首座塔主が討伐に赴いたとか……」
「えぇ、今はもう、僅かに生き残りがいる程度ですよ」
その結果、目玉鳥が増えたというのだから、魔物達の世界もなかなかにシビアだ。
(魔物は本来、多種族間での結束は難しいんだろう……それを可能にしているのが、上位種の存在か)
ならば、上位種の魔物を引き離せば、下位種同士の連携が崩れるのではないか?
これはまだ推測の域を出ないので、魔物に近づく機会があったら、よく観察した方が良さそうだ。




