【14】深夜のかくれんぼ
夜、レンはこっそり宿舎を抜け出し、ティア達との待ち合わせ場所に向かった。
今のレンは、簡素な寝間着の上に外出用の上着を羽織っただけの格好だ。髪も結ばずに下ろしている。
ティアとセビルは宿舎で同室だから問題ないが、レンは同室のゲラルトを起こさないように抜け出す必要があったので、あまり身なりに気を遣う余裕がなかったのだ。
(最近、冷えてきたなぁ……もうすぐ冬が来るのか)
吐いた息が白くなるほどではないが、寝間着だけでは流石に肌寒い。
レンは上着の襟元を寄せて身を縮める。
上着は、兄の古着を母がレンに合うようにと調整してくれた物だ。
この上着の持ち主だった兄は太り気味だったので、布地がかなり余っていた。その余った布地を切り落とさず、折り畳んで縫い込んでいるので少し重いが、その分暖かい。
レンはなるべく木々の陰を選んで移動し、第一の塔〈白煙〉を目指す。
この〈楔の塔〉の敷地のどこかに、地下に繋がる道があり、その先にフィーネという少女がいるのではないか?
そう考えた時、真っ先に候補に挙がったのが第一の塔〈白煙〉だ。
フィーネのもとに出入りしているメビウス首座塔主とミリアム首座塔主補佐の二名は、基本的に第一の塔〈白煙〉で過ごしている。ならば、地下へ繋がる道も、ここにあると考えるのが自然だ。
そこでレン達が、夜になったら第一の塔〈白煙〉に忍び込み、地下室探しをしようと決めていた。
〈楔の塔〉は魔物に対する人間側の最終防衛線である。故に、夜になっても第一から第三の塔全てが閉鎖されることはない。
第二の塔〈金の針〉の魔術師は交代制で見張りをするし、いつ魔物が攻めてきても対応できるよう備えている。
第三の塔〈水泡〉は、管理室の職人達が夜更かしして魔導具作りをしたり……あとはまぁ、酒盛りをしたりと、夜になっても入り浸っている。
第一の塔〈白煙〉の総務室、財務室、指導室の人間はいずれも、夜になると宿舎に戻る。それでも〈白煙〉は司令塔なので、常に首座塔主か首座塔主補佐を含む数人が塔内にいるらしい。
今回、第一の塔〈白煙〉に忍び込むと決めた時、レン達は夕方から夜にかけて、ミリアム首座塔主補佐が塔を出入りしないか交代で見張っていた。
見張りは夕方がレン。以降、夜はティアとセビルが交代ですることになっていた。
ティアとセビルは宿舎が同室なので、部屋を抜け出しても不在がバレない。だから、夜の担当というわけだ。
「お、いたいた。おーい、美少年が来たぞー」
第一の塔〈白煙〉近くの木陰では、既にティアとセビルが待機していた。
二人とも、寝間着ではなく普段着だ。
ティアはレンの格好を見て、「ピヨッ」と声をあげた。
「そっか、レンは着替えるの大変だもんね……ゲラルトに気づかれてない? 大丈夫?」
「多分、大丈夫。あいつ、早寝早起きなんだけど、一度寝たらそうそう起きないし……」
レンは首を少し傾けて、おろした金髪をファサとかき上げた。
「それにもしバレても、美少年がこっそり逢引きしてたって納得するだろ。美少年は逢引き無罪!」
「あいびきむざい?」
「ほぅ? 美女二人と逢引きとは贅沢者だな、レン」
セビルの軽口に、レンはニヤリと笑い返す。
「『皇妹殿下に特大スキャンダル!』って新聞に載ったらごめんな」
三人は第一の塔〈白煙〉に目を向ける。
暗い夜闇にそびえ立つ塔には、何ヶ所か灯りがついている部屋がある。分かってはいたが、無人ではないのだ。
レンは小声で訊ねた。
「ミリアム首座塔主補佐は?」
「出入りしてないよ。まだ、あの塔の中にいるはず……!」
ティアが琥珀色の目を見開き、勢いよく塔を見上げた。
どうした、と言いかけたレンの唇にセビルが人差し指を当てて、「静かに」とジェスチャーで指示をする。
ティアは何かの音を拾っているらしい。ということは、近くに人がいるのだろうか?
レンとセビルは、黙してティアの反応を待つ。
ティアはじぃっと塔を見上げたまま、小声で言った。
「話し声がする。ヒュッター先生と…………あの女。修道服の金髪」
「それって、ミリアム首座塔主補佐か!?」
「そう。多分、窓を開けてお話してるんだと思う」
レンは木陰から僅かに身を乗り出し、塔を見上げた。
最上階に繋がる階段付近の窓に、灯りが見える。多分あそこだ。
ティアが眉間に皺を寄せ、険しい顔で言った。
「全部は聞こえないけど……飴どうぞーとか、後悔はしてないとか……あ、今、『指導室に戻りなさい、カスパー・ヒュッター』って言ったよ」
階段付近でとどまっていた灯りが動き出す。一つは上に、一つは下に。
レンが灯りを目で追いかけて呟く。
「あの灯りがそうだとしたら、ミリアム首座塔主補佐は最上階の執務室に、ヒュッター先生は指導室に戻ったってことか……なんでヒュッター先生、指導室にいるんだ? 残業?」
「ヒュッター先生は教育熱心だからな。きっと授業の準備をしているのだろう。それより、移動を提案する。ここは比較的指導室に近い。ヒュッター先生に見つかるやもしれぬ」
セビルの提案にレンは少し考えた。
今レン達がいるのは、塔を挟んで宿舎に近い位置だ。戻るのに便利だが、指導室に近いのでヒュッターに見つかる可能性がある。
それなら、宿舎側とは反対側に回り込んだ方が良いだろう。
「ちょっと遠回りになるけど、庭園経由で塔の反対側に行くのはどうだ? あの辺は、隠れる場所多いし」
「ピヨップ。良いと思う!」
「同感だ。行くぞ」
決断と行動の早いセビルが、先頭を歩き出す。
レンとティアも極力足音を殺して、それに続いた。
* * *
移動しながら、ティアは周囲の物音に耳を澄ませていた。
夜間は、守護室の人間が定期的に敷地内や塔の中を見回りしているらしい。城壁の門の近くにも門番がいるから、そちらにも気をつけなくてはならない。
木々の陰を隠れながら移動し、庭園が見えてきたところで、ティアは足を止めた。自分達のものとは違う足音が聞こえる。
「待って、誰かいる」
ティアが小声で言うと、セビルとレンが足を止めた。
ティアは暗いところでも、人よりよく見える。だから、庭園をうろついている人物にもすぐに気がついた。
黒髪にローブを着た少年──あれは、ユリウスだ。
「ユリウスがいるよ。何してるんだろ?」
ユリウスはどこかに向かっているというより、何か探し物をしているような動き方をしていた。
彼はランタンを持っていなかった。その代わり、手元の指輪がボンヤリ光っていて、その光を頼りに、庭園の木々や花壇、地面に敷き詰められた石などを、一つ一つ確かめている。
「探し物してるのかな?」
「いや、それは変だ」
ティアの呟きをレンが即座に否定する。
「探し物なら、普通昼間にするだろ。仮にそれが大事な物で、一刻も早く探したいとして……それなら、アグニオールを呼び出すなり、ランタン持ってくるなりするだろ」
確かに、指輪の輝きはランタンの灯りに比べて頼りない。
ユリウスは人目につかないようにして、こっそり何かを探しているのだ。
「ユリウス、わたし達みたいだね」
コソコソと何かを探しているところが似ている。
そう思った上での発言に、セビルがハッとしたような顔をする。
「ティア。その考えはあながち間違っていないかもしれんぞ」
「ピヨ?」
「ユリウスは普段から派閥を作り、〈楔の塔〉を掌握したがっていた……奴は独自調査でメビウス首座塔主に後ろ暗いことがあると知り、弱みを握ろうとしているのかもしれん」
なるほどセビルの考えは一理あるかもしれない。
ティアが納得したその時、ユリウスが指輪に口を近づけ、何か呟いた。
次の瞬間、ティアの目の前に小さな火の玉が浮かぶ。
「ペヴッ!?」
「わぁっ」
ティアとレンは咄嗟に声をあげ、そして同時にお互いの口を塞いだ……が時すでに遅し。
ユリウスは完全にこちらに気づいていた。彼の手元では、炎霊アグニオールの指輪がチカチカと瞬いている。
『かくれんぼですね! 楽しいですね! わたし、見つけるの得意ですよ!』




