【6】すごくいっぱいありがとう
ティアの話を一通り聞き終えたレンは、美少年顔をぎゅうぎゅうにしかめて唸った。
「……つまり、カイと魔女って何者なんだよ」
「分かんない!」
「そこはさぁ、本人達に聞いとけよぉ! ……って、これ前も言った気がする」
元気に答えるティアに、レンが唸る。
そんな二人の肩をセビルが抱き寄せ、「ふむ」と呟いた。
「それぞれの思惑は分からぬが、起こったことの流れは把握した」
「そこ! そこが気持ち悪いんだよ! ティアの話に出てくる奴ら、軒並み思惑っつーか、何がしたいのかが分かんねぇ」
それはティアも感じていたことだ。
メビウス首座塔主、ミリアム首座塔主補佐、あの子──フィーネ。
そして、カイと魔女。
どいつもこいつも、あいつもそいつも、何がしたいのかがサッパリ分からない。
ティアは自分が魔物だから理解できないのかと思っていたのだが、レンの様子から察するに、人間の目から見ても不可解なのだ。
「ピロロ……みんな、何がしたいんだろうねぇ」
「ほんと、何がしたいんだろうなぁ……」
ぼやくティアとレンの間で、セビルが低く呟く。
「これはわたくしの所感だが……ティアの話に登場した者達は皆、組織の規律に則って動いているようには思えん。誰も彼もが、私情で動いているのを感じる」
セビルは自分達の前にそびえ立つ三つの塔を見上げ、睨むように目を細めた。
「わたくしは、メビウス首座塔主が何をしたかったのかだけは分かるぞ」
メビウス首座塔主。銀の髪と剣を持つ、ティアの風切り羽を切断した男。
あの男は何故、ティアを捕らえたのか──その答えを、セビルは口にする。
「メビウス首座塔主は、フィーネとやらの願いを叶えたかったのだ。わたくしはこの行動に、明確な私情を感じた。これは、〈楔の塔〉の首座塔主として、人の上に立つ者として、あってはならぬことだ」
人の上に立つ者──その言葉に重みがあるのは、彼女が皇帝一族の人間だからこそだろう。
メビウス首座塔主を断じるセビルの横顔に、恐怖はない。
大きな何かに立ち向かう闘志と覇気が、そこにある。
「ティア。わたくしはお前に、二つ提案をする」
「……提案?」
頼りなく言葉を繰り返すティアに一つ頷き、セビルは口を開く。
「これからどうするかの案だ。一つ目、〈楔の塔〉を抜け出して、カイとやらに会いに行く。そうして、お前を〈楔の塔〉に送り出した真意を聞き出すのだ」
ティアが〈楔の塔〉の人間に捕らわれていたと知りながら、カイはティアを人の姿にして、〈楔の塔〉に送り出した。
これはもう、ほぼ明確と言って良いだろう。
だが、その理由に、ティアはあまり興味がないのだ。
ティアはカイのことを慕っているわけではないのだが、別に恨んでいるわけでもない。
「二つ目、〈楔の塔〉に残って、徹底的に調べるのだ。お前を捕らえたフィーネという少女と、メビウス首座塔主のことを」
そんなことを調べてどうするのだろう。
ティアは、あの人間どもの思惑も目的も興味がない。
(……あいつらなんて、理解したいとすら思わないのに)
ティアが険しい顔でペヴヴヴヴ……と喉を鳴らしていると、セビルはニヤリと笑った。
「〈楔の塔〉の頂点であるメビウス首座塔主の弱みを握れば、これから先、安心して飛行魔術を学べるであろう。飛行用魔道具の開発資金を融通させるのも手だな」
「ピヨッ! それいいね!」
「いいのかよ!?」
目を輝かせるティアに、レンが美少年顔を台無しにして叫ぶ。
「もっとこう、あいつらの企みを暴いてやるとか、そういう……そういうさぁ……もっと色々あるだろ?」
「ピヨッ。だって、わたしが〈楔の塔〉に来たのは、空を飛ぶ方法を探すためだよ。ずっと、ずっと、それが一番だよ」
「そうだった……お前はそういう奴だった……」
空を飛ぶ方法を模索するなら、〈楔の塔〉を頼る以外に手段がない。
その〈楔の塔〉のトップが、かつて自分を捕らえた危険人物なら、あの連中が二度とティアに危害を加えぬようにすればいい。今の自分には、そのための手段がある。
ティアは服のポケットに手を突っ込み、キャンディの入った小瓶を握りしめた。
このキャンディがあれば、短時間だがハルピュイアとして魔力のこもった歌が歌える。人間の精神に作用する歌も。
──ねぇ、歌って小鳥さん。
頭にこびりつく少女の無垢な笑顔と甘ったるい声。
(お望み通り、歌ってあげる。お前達のために、悪意を込めて歌ってあげる)
もう、枷となる首輪はないのだから。
* * *
ベンチに座り、セビルに肩を抱かれながら、レンはこっそり安堵の息を吐く。
(……正直、セビルの提案に救われたな)
メビウス首座塔主に憎悪を向けるティアを見た時、レンは本当に本当に怖かったのだ。
ティアがメビウスを殺すのではないか、メビウスがティアを殺すのではないか、と。レンはどちらも見たくない。
だから、ティアの意識を「人間への復讐」ではなく、「空を飛ぶ」という目的に向けるセビルの提案は上手い、と感じた。
セビルは〈楔の塔〉の主となる三つの塔、〈白煙〉〈金の針〉〈水泡〉を見上げながら言う。
「さて、メビウス首座塔主達の調査をするのなら、わたくしも一枚噛ませてもらうぞ」
「ペウゥ……いいの?」
ティアに協力することで、セビルが得られるものは何もない。
そのことを、ティアも分かっているのだ。
それに対する、セビルの答えは簡潔だった。
「構わん」
そう言って、セビルはパチンとウィンクをする。
ティアやレンに気負わせない、いつもの彼女らしさで。
「自分が所属する組織で不正が行われているのなら、それを正すのは当然のことであろう? 今のわたくしは、〈楔の塔〉の見習い魔術師だからな──ということで巻き込まれろ、美少年!」
「仕方ねぇなぁ」
やれやれ、という態度を取り繕いつつ、内心レンはセビルが巻き込んでくれたことにホッとしていた。
だって、ここでレンは何もするなと言われたら、それこそ困ってしまう。
(〈楔の塔〉の偉い奴が、ティアのこと監禁してたって知って……それで、今まで通り〈楔の塔〉で生活しろとか、無理だろ)
それならば、メビウス首座塔主の目的は何か。何故、そんなことをしたのか。フィーネという少女は何者なのか──そういう理由や事情を知らなければ、スッキリできない。
協力するという意思を明確にする二人に、ティアはペフッと一回息を吐いた。
「セビル、レン、ありがとう……」
ティアは珍しく歯切れの悪い口調だった。
何やら、自分が口にした言葉に納得していない顔だ。
ティアはムー……と珍しい声で唸って、レンを見る。
「わたし初めて、『すごくいっぱいありがとう』の気持ちなんだけど、ありがとうが一回じゃ足りない時、人間はなんて言うの?」
思わずレンとセビルはふきだした。
強張っていた気持ちが、少しだけ弛んだ気がする。
「いいじゃん、それ」
「うむ。悪くないぞ、ティア」
「そっか。じゃあ、すごくいっぱいありがとう!」
三人は顔を見合わせて笑う。
その時、セビルが二人の肩を抱く手に力を込めた。少し離れたところを、庭師らしき人間が通っていったのだ。
ティアが琥珀色の目をキョロリと動かす。本当に微かにだけれど、ティアの耳は動いていた。
「……大丈夫、行ったよ。話、聞こえてないと思う」
こういう時、ティアの聴力は便利だ。人に話を聞かれずに済む。
セビルが「よろしい」と頷き、話を続ける。
「さて、何か良いアイデアはあるか美少年?」
「やっぱ、鍵を握ってんのは、フィーネって子だよな」
「わたくしも同感だ。その娘を確保し、メビウス首座塔主相手に交渉を引き出す」
「ピヨップ!」
おそらく、メビウス首座塔主達が抱える最大の秘密が、そのフィーネという少女だ。
レンはフィーネという娘はメビウス首座塔主かミリアム首座塔主補佐の双方、或いはどちらかの隠し子ではないかと疑っている。
ティアの話を聞いている限り、フィーネの年齢は十代前半。ありえない話じゃない。
レンはその辺りも考慮しつつ、慎重に口を開く。
「ティアの話だと、メビウス首座塔主達は、フィーネって娘の部屋に結構な頻度で出入りしてたんだろ?」
確認するようにティアを見ると、ティアはフンフンと頷いた。
レンは言葉を続ける。
「……ってことは、ティアが捕らえられていた場所は、〈楔の塔〉の敷地内──或いは、その近辺と考えるのが妥当だよな」
「ならば、メビウス首座塔主とミリアム首座塔主補佐が、普段どこでどのように過ごしているのか、調べる必要があるな……レン、頼めるか?」
セビルの言葉に、レンは少し驚いた。
こういう時、セビルは割と率先して動きたがる。
レンの驚きの顔から、色々察したのだろう。セビルは声のトーンを落として問う。
「わたくしが調査に動くと、どうなると思う?」
レンはすぐ答えに至った。
「皇帝一族が〈楔の塔〉を探ってる、って思われて……別方向に話が大きくなるな」
「いかにもその通り」
首座塔主達に近づきすぎると、ティアは正体がバレる可能性があるし、セビルは話が大きくなりすぎる。
つまり、これはレンにしかできないことなのだ。
レンにしかできない、と頼られれば、当然に悪い気はしない。
「しゃーねぇな。頼まれてやるぜ、美少年だからな!」




