【14】初めて、楽しい
両腕を広げたティアは、ぐったりしているオリヴァーの体をぶら下げながらゆっくりと滑空して、地面に着地した。
うつ伏せに地面に倒れるオリヴァーの背中で、ティアはモゾモゾと身じろぎする。早く降りてあげたいが、おんぶ紐で体を固定しているので、すぐに離れられないのだ。
「ペヴヴ……おんぶ紐は、ここの金具を……」
手探りで金具を外すのはかなり難しい。元より、ティアは指先があまり器用ではないのだ。
ぺヴゥぺヴゥと唸りながら悪戦苦闘していると、ルキエが駆けつけてきた。
「ティア、動かないで」
「ピヨッ!」
ルキエが手早く金具を外してくれたので、ティアはオリヴァーの背中から降りる。
うつ伏せに倒れたオリヴァーは、ほぼ意識を失っていた。
(あの捻れた風の攻撃……威力が桁違いに大きいんだ)
魔法戦でのダメージは魔力密度と、被弾面積が関係してくる。
つまり、魔力をギュッと詰め込んだ術は小さくてもダメージが大きいし、威力は低くとも攻撃が当たった面積が大きいとやはりそれなりのダメージになるのだ。だから、被弾面積を減らす画板の盾が採用された。
そして魔法戦において、どちらの攻撃が当たったら痛いかというと、もう圧倒的に前者なのだ。魔力密度が高いと、小さな一撃でもしっかり痛い。
だからフレデリクは見習い達に対し、なるべく被弾面積の広い攻撃を使っていた。風の塊をぶつける攻撃がそれだ。
一方、オリヴァーに向けた捻れる風。あれは当たると痛いやつだ。実戦だったら、フレデリクの宣言通り、体が抉れていたのだろう。
(オリヴァーさんが脱落したから、フレデリクさんはもう、捻れる風は使わないんだろうけど……)
肩甲骨の辺りがムズムズする。
これは、何かに挑戦したい気持ちのムズムズだ。
「ティア、第二作戦、行けるわね」
ルキエが背負った荷物を広げながら問う。
返事は決まっていた。
「ピヨップ! 勿論!」
「上等。こっちの仕込みは終わったから、いつでも行けるわ」
ルキエは少しだけ口の端を持ち上げて笑っていた。
ピンチなのに笑いたくなるその気持ちが、今ならティアにも分かる。
ティアはペフペフと喉を鳴らしながら、ブーツを脱ぎ捨てた。
* * *
オリヴァーが脱落してもなお、フレデリクは苛立っていた。
圧倒的な力の差を見せつけてやったのに、オリヴァーの心を折れた気がしない。
(……それでも、今は思考を切り替えないと)
フレデリクは飛行魔術で低い位置に浮いている。地面に足をつけていない。それでも、大地が振動するのを感じた。大きな生き物が全速力で地を駆ける時の振動だ。
フレデリク目掛けて走ってくるのは、真紅の毛並みの巨体の獅子。その背中に乗っているのは蛮剣姫セビル。
赤い獅子には鞍も手綱もない。それなのにセビルは、獅子のたてがみを掴んでバランスを取っていた。
「はぁっ!」
裂帛の気合いと共に、セビルが曲刀を振るう。
フレデリクはそれを槍で受け、右足を軸に半身を捻って受け流した。
(一撃が、重い)
元々曲刀は、馬に乗って敵に斬りかかることを想定した剣だ。刺突よりも斬撃を得意としており、馬の勢いがつくと鎧ごと敵を切り裂くこともあるという。
蛮剣姫の本来の強みは、騎乗戦闘なのだ。
単純に剣の勢いが増しているだけでなく、セビル本人がやけに活き活きしている。
──こういう敵は、手強い。
(それでも、空高く飛んでしまえば敵じゃない)
オリヴァーが脱落し、ティアもこれ以上の飛行は難しい。そうなると、空中の敵に攻撃できるのはユリウスだけだ。
浮上する前にユリウスだけ落としておくべきか──そう考えたフレデリクは視界の端に奇妙な物を見つけた。
(……ロープ?)
今更だが、地上組は先ほどの位置から随分と移動していた。
先ほどまで戦闘していたのは、ある程度木々が密集した地形。
今はひらけた場所と、木々が半々ずつの地形だ。
ひらけた場所を選んだ理由は、巨体の赤い獅子が走り回ることを想定してのものだろう。
その周囲の木々の間には、細いロープが張られている。視界の端に映ったのは、このロープだ。
(……ロープで僕の飛行魔術を妨害したいのかな? 悪くはないけど……)
ロープが張られているのは、木々の上の方──地面から跳躍しても、ギリギリで手が届かないぐらいの高さだ。
なら、そこを避けて飛べば良いだけ。
──そう思った瞬間、背後から気配を感じた。
「ぴょっふぅ!」
「──!?」
背後から伸びた少女の素足が、フレデリクの髪を掠める。
空中でキックをするような姿勢で突っ込んできたのはティアだ。
(飛行用魔導具の形状が違う? さっきのより、金属羽が短い)
キックを回避されたティアは、地面に着地すると、そのままピョンと身軽に飛び上がった。彼女が地面に足をついていた時間は、僅か一秒足らずだ。
(今の動きは……)
風を読んで空を滑空するのとは違う。
まるで猫のような身軽さで、ティアは飛び上がり、高い位置に張ったロープに足を引っ掛けると、その勢いのままグルンと一回転して、またこちらに飛びかかってくる。
「ピヨッ!」
流石に体当たりされるのは避けたい。
物理攻撃でダメージを受けることはないが、ティアがフレデリクの体にしがみつけば、フレデリクの機動力が落ちる。そこを他の敵に狙われる可能性もあるのだ。
ティアの突撃を回避したところで、脇腹を何かが掠めた。水の魚──ロスヴィータの魔術だ。
(今のは、ちょっと危なかったな)
バランスを崩したところに、赤い獅子が突っ込んでくる。浮上して回避しようとすると、再びティアが飛びかかる。
ティアが背負っている飛行用魔導具──あれは、おそらく瞬間的に起動するタイプの物なのだろう。風に乗る飛行とは違う。跳躍を補助する類の物だから、飛行用ではなく跳躍用と言うべきか。
「面白い戦い方だね」
フレデリクの言葉に、ティアは「ピョフフッ」と喉を震わせて笑う。
ティアは跳躍し、ロープに足を引っ掛けて逆さまにぶら下がった。まるで、コウモリのように。
「ライバルさんに勝ちたくて、いっぱい考えたんだよ」
白髪の少女が髪を揺らし、琥珀色の目で笑う。あどけなくも得意げに。
赤い獅子に乗ったセビルが接近し、曲刀を振るう。同時に、ロスヴィータの水の魚が反対側から攻めてきた。
フレデリクが浮上してかわそうとすると、ティアが飛びかかり、邪魔をする。
体勢が崩れたところに、今度はユリウスの炎の矢が飛んできた。
目まぐるしい攻防に目がまわる。
(ロープを切断すれば……いや、駄目だ。魔法戦では持ち込んだ物も保護される。それも込みで考えた作戦か……よく研究してる)
防戦に回るフレデリクに、ロープにぶら下がったティアが不敵に宣言する。
「ライバルさん、わたし達、勝つよ」
なんだか、目が覚める思いだ。
この魔法戦はオリヴァーを痛めつけ、実力差を思いしらせるためのもの──そう決めていた彼は、見習い魔術師達を取るに足らない存在だと思っていた。
実際、それだけの実力差がある。それは純然たる事実だ。
(だけど……)
目の前にいるこの小さなライバルは、フレデリクに勝つために試行錯誤し、全力でぶつかってきているのだ。
ティアと初めて会った日、飛行魔術で空を飛んであげたら喜んでいた。
彼女はどうしても空を飛びたいのだと言っていた。そこには、フレデリクの知らない理由や事情があるのだろう。
だが、今のティアはそういう理由や事情は抜きで、フレデリクに挑んでいる気がした。
今朝、ウィンストン・バレットに言われたことが脳裏をよぎる。
『若い子は、ライバルさんに勝ちたいって必死なんだ。あまり手を抜かないでやってくれ』
(……そうだね。行き過ぎた手加減は失礼だ)
決して手抜きをしたつもりはないけれど、行き過ぎた手加減は手抜きと変わらない。
槍を構え直すフレデリクに、ティアはニコニコしながら言う。
「フレデリクさん。あのグルグルする風、使っていいよ」
「あれ、当たるとかなり痛いよ? 掠めるだけでも体勢崩れるし」
「体勢、保てるよ。さっき、やったもん。ペフフン!」
そうだった。
槍に螺旋状の風を纏わせるあの攻撃は、殺傷力が高いだけでなく、渦巻く風が敵の体勢を崩す。空を飛ぶ敵は、あれで大抵落とせるのだ。
だが、先ほどのティアは持ち堪えてみせた。墜落ではなく滑空で着地した。
(……なんだろ、この気持ち)
フレデリクは痛いことが嫌いだ。だから、子どもの頃は訓練中、父の攻撃から逃げ回ってばかりいて、そうしたら自然と飛行魔術の腕が上達した。
今だって戦うことは好きじゃない。痛い思いをするのも、させるのも嫌いだ。
──それなのに今、初めて魔法戦が楽しい。
全力で挑んでくる小さなライバルを前に、そう思ったのだ。




