【10】縦横無尽の風
──フィンが脱落した。
そう理解した瞬間、レンはほぞを噛んだ。
(くっそ、オレがちゃんと筒を当ててりゃ……)
雷球が発動した筒を画板で押し込む──捨て身の攻撃だ。
画板を通して、雷球はフィンにも痛みとダメージを与えていたはず。
(フレデリクさん、フィンが雷球で痛い思いをしないように、あえて風で吹っ飛ばしてくれたんだな……くそっ、完全に手加減されてる。いや、反省会は後だ。次の一手を考えろ)
雷球に触れたフレデリクが、トンと地面に足をつく。飛行魔術を一時的に解除したのだ。
フィンの決死の突撃は無駄じゃなかった。レンが投げ、フィンが押し込んだ筒は、確かにダメージになったのだ。
この僅かな時間を無駄にするわけにはいかない。
オリヴァーとティアは上空を飛んでいる。この二人を地上に呼び戻すのは悪手だ。
おんぶ紐を外すのにモタモタしている間に、攻撃されてしまう。なにより、今回オリヴァーは槍を持ち込んでいないので、フレデリクとの近接戦闘ができない。
その時、素早くマントを翻した者がいた。
とんがり帽子のロスヴィータだ。
「『不合理な献身、宿る雨、腕を失くした魚達……穿ちて施せ』」
ロスヴィータは翻したマントの中から小枝を三本取り出し、フレデリクに投げつける。
小枝が水を纏って魚の形になり、フレデリクに襲いかかった。
(判断が早い。助かるぜ……!)
ロスヴィータの水の魚は、ロスヴィータから離れるほど弱体化するので、フレデリクが空を飛び回っている時はそれほど威力を出せない。
だがこの距離なら、当たればかなりのダメージになるはずだ。
フレデリクも直撃したらまずいと判断したのだろう。風を纏った槍を振るって魚を迎撃している。
風の刃が魚を切り裂いた──と思った瞬間、水の魚は再び元の形に戻る。
(やっぱロスヴィータの魔術は、オレ達の筆記魔術より、ずっと威力が高いんだ)
更にユリウスが詠唱をし、炎の矢を複数放った。こちらは真っ直ぐ飛ばすのではなく、わざと山なりに飛ばしている。フレデリクを頭上から狙うように、だ。
そうすれば、炎の矢と水の魚がぶつかって、相殺してしまうのを避けられる。
前後左右を三匹の水の魚、そして上方から炎の矢で狙われ、それでもフレデリクは槍一本で攻撃を捌いていた。
基本的に不仲なユリウスとロスヴィータだが、この二人は見習い達の主戦力なのだ。
二人が同時攻撃する際は、互いの攻撃を邪魔しないよう、役割分担をしていた。
ロスヴィータはフレデリクの前後左右から、そしてユリウスは上から攻める、という具合に。
(……となると、オレ達に出来るのは下だ)
レンは素早く紙を画板にのせて、ペンを動かす。
「ゲラルト、ルキエ、筒をフレデリクさんの足元に転がしてくれ」
「了解です」
「分かったわ」
レン、エラ、ゾフィーが筆記魔術を書き、ゲラルトとルキエが筒に詰めて魔力を流し、フレデリクの足下に投げつける。
中には発動のタイミングが合わなかったり、筆記が不完全で不発に終わる物もある。
それでも、筒を投げるだけで牽制になる。
(フレデリクさんが飛行魔術を再発動する前に、削りきれれば……)
フレデリクは槍で水の魚を切り裂き、頭上から降り注ぐ炎の矢は体を捻って回避。足元の筒は触れないように器用にステップを踏んで避けている。
それでも完璧な回避はできない。攻撃の幾つかはフレデリクをかすめ、小さなダメージを蓄積させている。
フレデリクが槍で水の魚を牽制し、ポツリと呟いた。
「遅いよ」
フレデリクの呟きは、見習い達の攻撃に対する「遅いよ」だとレンは思った。
その時、頭上でティアが叫ぶ。
「レン、追いつかれた!!」
遅いよ、というフレデリクの呟きの意味をレンは正しく理解した。あれは、仲間二人に向けられたものだったのだ。
木陰から姿を見せたのは、斧を担いだ褐色の肌の青年リカルドと、杖を持った銀髪の女ヘレナ。
ヘレナの杖から蛇のようにうねる水が飛び出し、ロスヴィータの水の魚を締め上げる。
水の蛇は捕らえた魚を持ち上げて、頭上から降り注ぐ炎の矢の盾にした。
同時にフレデリクの周囲の地面が隆起し、地面に転がした筒を別方向に弾く。
水の魚が、炎の矢が消滅する。
誰もいない方向に転がっていった筒が、雷球を放って消えていった。
「助けてもらったのに、礼も言わずに不平を口にするなんて……あぁ、悲しいです、悲しいです……」
「意外と削られてましたね、フレデリクさん」
木々の陰から姿を見せたのは、フレデリクと同じ討伐室の魔術師──ヘレナとリカルドだ。
ヘレナは杖を、リカルドは斧を、それぞれ手にしている。
フレデリクは槍を一振りし、苦々しげに同期二人を見た。
「……遅いんだけど。ねぇ、やる気ある?」
フレデリクに文句を言われても、二人は涼しい顔だ。
見るからにやる気のないリカルドとヘレナだが、それでもこの二人が援護に入ると、見習い側はかなりきつくなる。
フレデリクは同期への文句を引っ込めて、穏やかな声でレン達に話しかけた。
「策は出しきった? そろそろ反撃するけど……怖い子は、ここで腕輪を外した方がいいよ。なるべく、痛い思いも怖い思いもさせたくないからね」
腕輪を外す──それは、この魔法戦を棄権するということだ。
だが、腕輪に手をかける者は誰もいない。
あのフィンが。一番年下で、チビで、鈍臭いフィンが、身体を張ってフレデリクに一撃くらわせたのだ。
(ここで棄権したら、美少年じゃないだろ!)
フレデリクは見習い達をグルリと見回し、小さく息を吐いた。
「そう。それじゃあ、いくよ」
各々が詠唱を始める中、真っ先に駆け出したのはセビルだ。
フレデリクが同期に文句を垂れている間に詠唱を終えていたセビルは、魔法剣でフレデリクに斬りかかった──が、曲刀の一撃をリカルドが斧の柄で受け止める。
フレデリクが詠唱を終えて、軽く地面を蹴った。
地面の上を滑るような低空飛行のフレデリクが、最初に狙いを定めたのはローズだった。
だが、ローズも既に詠唱を終えている。
「どっせーい!」
元気なかけ声をあげて、ローズが防御結界を展開する。半球体型ではない。
自身の前方に壁を作るような結界だ。
半球体型は、仲間の攻撃を妨害してしまうという弱点がある。
今、ローズのそばにはロスヴィータがいる。ローズが半球体型結界で自身とロスヴィータを覆ってしまうと、ロスヴィータが攻撃に移れないのだ。
だから壁状の結界を展開した──が、フレデリクはその動きを読んでいたとばかりに、高く跳躍し、壁を乗り越える。
「防御結界、実戦で使うの難しいでしょう?」
フレデリクの言葉に、ローズはワタワタと手を動かした。
今ある防御結界を張り直そうとしたのだろう。だが、それを許すフレデリクではない。
「ただの盾の方が、ずっと取り回しがいいよ」
そう呟いて、フレデリクはローズの腹を槍の柄で突く。
ゴゥッと強い風が吹いて、ローズの大きな体は遠くまで吹き飛んでいった。まだ脱落していないが、今ので相当魔力量が削られた筈だ。
ローズを吹き飛ばしたフレデリクは動きを止めることなく跳躍し、槍を振るう。
(あ、これやばい)
レンは咄嗟に画板を自分の前に掲げた。
まるで、見えない鞭で打たれたような、そういう衝撃が画板を通して伝わってくる。画板だけでは防ぎきれなくて、太ももの辺りに痛みが走った。
痛みの走ったところが、熱を奪われたようにさぁっと冷たくなり、数秒後、その冷たさが全身に行き渡る。
(これが、魔力が減っていく感覚……!)
強い目眩がした。まずい。見習いの中で一番魔力量が少ないのがレンなのだ。
魔法戦ではダメージの分だけ魔力が減る。今のレンは脱落寸前だ──つまり、あと少しでもダメージをくらったら脱落する。
フレデリクの攻撃は、風の鞭を複数飛ばすものだったらしい。筆記隊の何人かもダメージを受けている。画板の盾がなかったら、脱落者が出ていただろう。
(ただ、今ので分かったぞ……フレデリクさん、遠距離とか広範囲の攻撃は苦手なんだ)
風の鞭は魔力量が低いレンでもギリギリで耐えられた。つまり、あまり威力が高くないし、命中精度も低い。
高威力の攻撃を正確にぶち当てるには、槍で直接狙う方が良いのだ。
見習い達が態勢を崩している間に、もうフレデリクは動いていた。
次の行動に移るのが速い──それが、戦闘慣れしていない見習い達との大きな差だ。
フレデリクは槍の柄でゾフィーを狙う。そこにゲラルトが画板を盾に飛び出した。
「させませんっ」
ゲラルトは槍の一撃を盾で防ぎ、懐に入り込んで画板の縁で殴るつもりだったのだろう。
だがフレデリクは、槍が画板の盾に触れる直前に、身体を捻ってゲラルトの横をすり抜けた。
そうして槍の柄でゾフィーを突き、そのまま風の鞭をローズに放つ。
「ごめんね。君達は魔力量が多いみたいだから……なるべく痛くないようにするけれど」
ゲラルトが画板を盾に防ごうと思っても、フレデリクの縦横無尽の動きがそれを許さない。
風の弾丸が、ゾフィーとローズにおそらく複数回放たれた。
「きゃぁんっ!」
「あだだだだ、痛っ、いたた……!」
ゾフィーとローズが悲鳴をあげる。
ローズはきっと、防御結界を張ろうとしたのだろう。だが、それが発動するより早く、頭上からレームの声が響く。
『ゾフィー・シュヴァルツェンベルク、ジョン・ローズ脱落』




