表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
五章 魔法戦
107/213

【1】記憶を辿る


 ──随分昔の夢を見た。


 ハルピュイアは基本的に忘れっぽい生き物だ。

 だから、楽しいことはなるべく沢山覚えておいて、嫌なことはさっさと忘れる。

 それなのに、その記憶はいつまでもティアの頭にこびりついていた。

 今も、うんざりするぐらい鮮明に夢に見る。


「こんにちは、小鳥さん。わたしはフィーネ」


 サラサラとした真っ直ぐな黒髪に白い肌の少女だった。年齢はティアと同じか、少し下ぐらい。

 身につけているのは白いドレス。

 少女を見て感じた違和感を、あの頃のティアは上手く言葉にできなかった。

 人を知った今なら、少しだけ分かる。


 ──あれは、何かを体現するべく大人達が手入れした少女だ。容姿も思考もその在り方も。


 教室で勉強を受ける教育とは違う。選択の余地のない直接的な介入。

 人形に服を着せて、リボンを結ぶように。

 あるいは庭に手を入れて、整えるように。

 あれは、大人達が少しずつ手を加えて、大人達が望む形にした少女だ。

 けれどフィーネは、「自分」がないわけではない。

 大人達の願いを受け入れながら、それでもなお、彼女は恐ろしいほど強烈な自我を持っていた。


「わたしは神様の子なの。みんなの幸せのために、ここにいるのよ」


 神様。その単語をティアは知っている。歌の中に時々出てくる言葉だ。

 人は歌の中で神様に願う。祝福を、慈悲を、救いを。

 そして人は神に許しを乞う。

 だけどティアは神様を見たことがないから、あまりよく分かっていない。

 名前は知っているけれど、理解はできていないもの。それが神様だ。


「わたしは神様の子どもだから、人の子と友達にはなれないの。人の子は救済対象だから」


 ティアにはフィーネの言っていることが理解できない。

 ただ、気持ち悪いと思った。


「ティアは人ではないから、友達になっても良いでしょう?」


 気持ち悪い。


「愛してるわティア」


 気持ち悪い。


「わたしが男の子だったら良かったのに。そうしたら、ティアに卵を産んで貰えたでしょう?」


 気持ち悪い。


(誰が、お前の卵なんて産むものか)


 フィーネは大人達の理想で作られた存在だ。

 それでいて、彼女は大人達が考えるのとは違う形に歪んでいた。少しずつ、けれど確かに。


(ここは嫌だ)


 フィーネの部屋は快適な温度に保たれた清潔な部屋だ。ただ、子ども部屋という雰囲気ではない。

 壁紙などは白を基調とし、調度品は美しく、ファブリックは清潔──全てが、この少女を清楚で可憐なものにするために用意されていた。

 そこまで徹底して完璧な部屋なのに、何故かあの部屋には窓がなかった。



 * * *



「………………ぺふぴょっ」


 目を覚ましたティアは、布団の中でコロンと寝返りをうって起き上がる。

 久しぶりに、あの子の夢を見た。

 ティアにとって数年前は、そこそこ昔の話である。元より忘れっぽい気質のハルピュイアなのだ。数年前のことなんて、普通はそこまで覚えていない。

 それなのに、空を飛べない事実を噛み締める度、あの頃の記憶が蘇るのだ。

 何度でも、何度でも。

〈楔の塔〉に来て、色んな人と触れ合っていく内に、あの少女の記憶は忘れていくのだと思っていたのに。


(やだな。今日は魔法戦の本番なのに)


 ティアは両手で己の頬をグニグニとこねる。ついでに頭もこねてみた。時々セビルがやるのだが、丁度良いところを押すとなかなか気持ち良いのだ。

 頭をコネコネしていたら、ちょっとだけスッキリした気がする。

 二段ベッドの下を覗き込むとセビルの姿はなかった。朝の訓練に向かったのだろう。

 ティアは思い切り窓を開け、空を見上げた。

 薄い水色が広がる秋の空。今日は少し風が強くなりそうだ、とハルピュイアの勘が言っている。


(大丈夫、どんな風でも上手に飛んでみせる)


 自分は、空と歌を愛するハルピュイアなのだから。



 * * *



〈楔の塔〉は城塞でグルリと囲った敷地内に、複数の塔や宿舎がある。これら全てを含めて、〈楔の塔〉と言うのだ。

 ユリウス・レーヴェニヒは城壁沿いに敷地を歩き、時折足を止めては、手元の地図を広げて地図との差異を確認していた。

 地図はここに来てから自分で作った物だ。まだ完璧には埋まっていない。

 ユリウスは片手を持ち上げ、指輪に小声で囁く。


「ザームエルが頻繁に出入りしていた場所に心当たりはあるか、アグニオール」


『人間の建物はよく分からないです!』


 指輪の中の炎霊アグニオールが元気に答える。

 アグニオールは元々は、ユリウスの父ザームエルの契約精霊だ。ザームエルが〈楔の塔〉にいた頃のことも知っている。

 ただ、アグニオールは今も昔も指輪の中で待機していることが多い。

 人の姿でも獅子の姿でも、とにかく大きくて騒がしいからだ。おまけに力が強いので、うっかりで大火災を招きかねない。

 そういう事情があり、アグニオールは〈楔の塔〉の構造や人間関係について、それほど詳しくなかった。


『〈楔の塔〉って、精霊が出入りできない結界を張っているところも、いくつかあるんですよぉー。だから、そういうところに出入りする時、ザームエル君は指輪を外してたんです』


「なるほど……主に魔導具や魔導書を管理する部屋か」


『はい! 特に私は強いですから! 作りかけの魔導具に触ってドカーン! ってなって、よく怒られました!』


「クク……力が強すぎるというのも、考えものだな」


 父ザームエルは、〈楔の塔〉を追放された理由を最期までユリウスに語らなかった。

 語らないまま病に冒され、そして死の間際にこう言い残したのだ。


『クク……俺は、〈楔の塔〉の……帝国の抱える闇に触れたのだ……まったく、らしくもないことをした』


 ザームエルの言う「らしくもないこと」が何なのか、ユリウスには分からなかった。

 そもそも〈楔の塔〉を追放され、屋敷に戻ってきてからのザームエルは、ずっと彼らしくなかったのだ。

 ザームエルは狡猾な男だ。不本意なやり方で〈楔の塔〉を追われたのなら、絶対に報復をする。

 たとえ大病に冒され身動きがとれなくなっても、金の力で人を動かし、敵対者に一矢報いる。それがザームエルだ。

 なのに、ザームエルにそういう動きをしている様子が全くなかった。

〈楔の塔〉を追放されてから、ザームエルは屋敷で余生を過ごし、そして静かに死んだ。

 ユリウスは軽く手を握り、暗い目で指輪を見下ろす。


「アグニオール。一つ答えろ」


『いいですよ! いいですよ! 一つと言わず二つでも三つでも聞いてください!』


「ザームエルは……」


 悔しさで、握る手に力がこもる。

 何故、自分はザームエルが生きていた時に、この疑問を口にできなかったのだろう。


「ザームエルは、〈楔の塔〉を追放されたことを…………受け入れていたのか?」


『よく分かんないです!』


「…………」


 これだから、この精霊は役に立たないのだ。

 それでも、精霊を人の役に立てるという発想自体が、人間の思い上がりであることをユリウスは知っていた。ザームエルの教えだ。


 ──精霊より金の方が役に立つ。


 ザームエルは折に触れてそう口にし、アグニオールは「お金に負けた!」と騒いで、ザームエルがクツクツと笑って…………懐かしい話だ。


「あら、朝から訓練ですか。ご立派ですね」


 背後から聞こえた声に、ユリウスの顔から表情が消える。

 ユリウスは昔日を懐かしむ甘さを隠し、蛇の狡猾さで笑った。


「クク……朝の散歩か。エーベル塔主?」


 振り向いた先に佇んでいるのは、小柄で優しげな雰囲気の初老の女性。

 第一の塔〈白煙〉塔主アウグスタ・エーベル。〈楔の塔〉における古典派筆頭の一人であり、ザームエル追放に深く関わっているであろう人物だ。

 ザームエルはかつて、第一の塔〈白煙〉の塔主だった。

 ザームエルが〈楔の塔〉を去った後、後任で塔主となったのが、このエーベルなのだ。


「今日は皆さんの魔法戦の日ですね。楽しみにしていますよ」


「ふん……たかが見習いの魔法戦など、塔主に興味はないだろう?」


「指導室も見習いも、第一の塔〈白煙〉の所属。わたくしの管轄なのですから、当然見に行きますよ。それと……」


 目尻の皺を僅かに深くし、世間話のようなさりげなさでエーベルは続ける。


「メビウス首座塔主も、お見えになるとのことです」


 その一瞬、エーベルは穏やかな笑顔でこちらの反応を探った。探られた、という感覚があった。

 勿論、目に見えて動揺するほど馬鹿じゃない。

 自分は、悪辣で狡猾なザームエル・レーヴェニヒの息子なのだ。


「なるほど、俺達見習いは、随分と期待されているらしい」


「えぇ、期待していますよ。ザームエル・レーヴェニヒの息子、ユリウス・レーヴェニヒ」


 ──貴様がその名を口にするな。


 悪意は表情に滲ませるにとどめ、ユリウスはクツクツと笑った。

 ザームエルが死の間際までそうしたように。とびきり悪辣に。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ