2-10 木の上の出来事1
アリーシアは憂鬱で仕方がなかった。
最近アポロの身体能力が、とてつもなく成長しているのを感じる。ただそんなことよりも、先日起こった出来事にため息が出てしまう。アポロの成長とともに起こってしまった、あの出来事を思い返した。
寒い季節が和らぎ、中庭の木々は花の蕾をつけるようになった。
屋敷では兄・アランが寄宿舎へ行くため、入学の手続きもあって屋敷内は慌ただしい。
アリーシアがそんな状態でできることといえば、皆の邪魔をしないこと。最近、中庭へ一人で出てもいいという許可がでたので、中庭を走り回るアポロの面倒を見ることが主な役割となっていた。
アポロはマイペースで、好奇心旺盛な性格は変わらない。アポロは気の赴くままどこかへ行ってしまうので、アリーシアは追いかけるだけで一仕事だ。アポロを見つけるのは苦労する。アリーシア自身、アポロとつきあっていると体力がつくのを感じる日々だ。
父と母は家の仕事で基本的に朝食、昼食、夕食以外は忙しそうにしている。今日も朝食を食べたら、一目散に中庭へ行ってしまったアポロ。彼を探しにアリーシアも走り回っていた。
しかしなかなかアポロは見つからない。
アリーシアはいつもの通り、中庭のサンパウロ様の像の前で、休むことにした。
近くにある噴水は太陽の光を浴びて、キラキラと水が溢れていると、まるで光彩を放っているように見える。
「きれい……」
中庭のちょっとした変化に、新しい季節の訪れを見て取れる。中庭全体が緑が命を吹き返すような、勢いが感じられた。しかしそのゆったりとした時間も、突如壊れた。
中庭には大きな木があるのだが、それは樹齢100年をこえる太くて立派な木だ。真っ直ぐに伸びる木ではなく、所々に足をかけて登れるようにうねった形だ。子どもでも登れるようになっている。しかしアリーシアが視界に入った子どもは、登るといっても簡単に上がれる高さではないところにいた。
「アポロ!!!!」
アリーシアは目を見開いて、慌てて木に駆け寄った。アポロの表情は下からは見えない。いくら運動神経がいいとはいえ、あんな高いところに登って落ちてケガでもしたらどうすればいいのだろう。今はアリーシアがアポロの面倒をみるのことが、与えられた役目であるのに。
アリーシアは軽くパニックになった。周囲の気配を確認してから、ドレスの裾を持ち上げた。木に登る。実はアリーシアも途中までなら木に登ったことはある。だが、アポロがいるその場所は、ずっと上だ。アリーシアは不安にもなった。いつも登っている場所についたが、アポロの姿はまだ遠い。
降りられなくなっていないだろうか。
もしかしたら泣いていないだろうか。
びっくりしてもし足でも滑られたら、どうしようか。
本来なら大人に状況を説明して、行動を起こすべきだったのだろう。だが状況が状況だけに、冷静な判断がくだせなかった。アリーシアは登ったことがない場所に上がってみることにした。
いつもならどこに足をかけて、どの辺りで手をかけてなど感覚でわかるものだ。しかし新しい場所ではそれも手探りである。
アリーシアはようやくアポロの表情がわかる場所までたどりついた。
「アポロ!大丈夫? 」
アポロはアリーシアの顔を見た。楽しそうに笑っていた。
「姉さま、こことっても高いよ! 」
当たり前である。ここは屋敷の二階分以上ある高さである。屋敷の外にある城がよく見え、アリーシア達が行ったことがない城下の様子が見えた。
まだアリーシアとアポロには行ったことがない世界がたくさんある。アリーシアとアポロの世界といえば、ほとんどが屋敷の中だ。
アリーシアは屋敷の外の風景に息をのんだ。屋敷とは違う建物の数々。どんな人たちがいるのだろう。
「ぼく、外にいきたいな」
「ええ、私もいきたい」
アリーシアはアポロが勝手に高いところまできたことを怒るのも忘れてしまうくらい、その風景に見入ってしまった。どのくらい時間が過ぎただろう。
「ぼく、お腹がすいた。姉さまキッチンへいこう」
アポロは思い立つと、するすると小猿のように木を下りてしまった。残されたのはアリーシアのみである。しかし下を見てしまうと、アリーシアは足がすくんでしまった。
こわい………
着ているのはシンプルな服であるので、多少汚れても大丈夫ではある。しかし機動力といえば、剣の稽古もしているアポロの服に比べたら性能は落ちるだろう。中に幾重にも下履きを履いているが、やはりレディのやることではないったかもしれないと思った。しかし後の祭りである。それに下に誰かいたらスカートの中が見えてしまうかもしれないことを今更気がついた。
ただ一番の問題は、降りられるのかである。自分の能力以上の高さを登ってしまったのは、アポロではなくアリーシアの方だった。
しばらく考えてみて降りることを考えたが、怖いと認識してしまったら動けなくなってしまった。
時間が過ぎる。このまま誰かに気がついてもらうのを待つしかないのかもしれない。
アポロは気がつかないだろうか。アポロのことだ。きっと今はキッチンで料理長からおやつをもらって、無心で食べているだろう。しばらくは救援を期待できそうもない。
アリーシアは木の上で待つことにした。
また時間は過ぎる。
長い時間かもしれないし、短い時間かもしれない。時間がどのくらい過ぎたかはわからない。
アリーシアは心細くなってきて、このままずっと誰にも気がついてもらえないかもしれないと悲しくなってきた。




