第70話 婚約破棄からの招かれざる訪問者
「わたしはシャラーナです。
一緒にこの星を出ましょう」
わたしが聖域で数十年の月日を過ごし、自分の死期が間近なのを感じていたある日、シャラーナを名乗る老人が現れた。
感極まって泣き出す老人。
わたしは状況が飲み込めない。
この老人が本当にシャラーナなのかだって怪しいと思う。
それなのに、
「ああ、マリー様は相変わらずお美しい」
などと言い泣き出す始末。
「すっかり変わってるでしょ。何言ってるの?」
何が相変わらずだ。
60年が経過しているのに。
「誤差の範囲です。
わたしにとっては変わりありません。
マリー様はマリー様です」
と、言ってまた泣いている。
「で、シャラーナがどうしてこの惑星にいるの?」
とにかくわたしは一番の疑問を口にした。
この惑星はわたしに刺激を与えないために用意された、誰も立ち入る事のできない宇宙環境の要塞だ。
「もちろん、こんな寂しい場所にあなたを置いておく訳にはいかないからです」
涙を拭いて答えるシャラーナだが、わたしが聞いているのはそんな事じゃない。
「そうじゃなくて、どうやってここに?」
「ブラックホールと複数の恒星の重力の合間をくぐり抜けて来ました」
確かにそれしかない。
でも、全知全能のウィルの用意した宇宙環境の要塞がそう簡単に突破できるのだろうか?
可能性は1億分の1とか言っていたはず。
「偶然くぐり抜けられたって言うの?」
しかし、シャラーナは首を横に振った。
「1億分の1の確率を引き当てた訳ではありません」
「だったらどういう事?」
「挑戦する回数の方を増やしたんです」
回数?
「全然分からないわ」
「具体的に言うと、高次元因果律時空間干渉シークエンスを習得し、自分に掛けました」
その名前はわたしに掛けられていた呪い、運命シークエンスの正式名称だ。
運命シークエンスを自分に……?
「それにより、死んでもやり直す事ができるようになりました」
回数を増やしたってそういう事?!
「マリー様がウィルに従い、去って行ったあの瞬間。
わたしが無力感と絶望感を味わったあの瞬間。
その時に戻る様に設定しました。
そして、この惑星を目指し、何度も時を戻り、宇宙環境の要塞に挑みました。
ブラックホールに飲み込まれ、恒星に焼かれ、1億分の1の確率に挑みました」
呪いを自分に掛け、何度も死んで、やり直して1億分の1の確率に挑む。
シャラーナは今までそんな事をやってたの?
ブラックホールに飲み込まれるって、重力波で押し潰されるって事だし、恒星に焼かれるなんて、文字通り焼き殺されるって事でしょ。
しかも、その時の記憶は時間を戻してからも残っているのだ。
「どうしても通り抜けるチャンスを待たなければならない場所や、時間の流れが違う場所を通過しなければなりませんでした。
そのため、数十年も掛かってしまった。
ふがいない限りです。
申し訳ありません」
頭を下げるシャラーナに、よろよろと近寄るわたし。
「何て事をするの……!」
わたしが平穏な時間を過ごしていた間に、彼がそんな事をやっていたなんて。
「あ、あなたは何回死んだの?」
わたしは9回、胸を光の刃で刺し貫かれ殺された。
あの感覚は何回味わっても慣れる事はない。
今でも思い出すと息苦しくなってくる。
「それについてはわたしは幸運でした。
およそ6万回目の挑戦でここまで来る事ができました」
「ろ、6万回……?!」
あっさりと言うシャラーナに、気が遠くなる思いがした。
「何が幸運よ!
6万回もやり直したの?」
わたしが9回殺された事なんて、比較にもならない。
しかも、押しつぶされたり、焼かれたりなんて死に方で。
「1億分の1を6万回で引き当てたのですからかなりの幸運です」
「正確には65003回ですね」
少女の声がする。
「時間としては2166年間掛かりました」
現れたのはオートパイロット、メルテだった。
「演算しました」
彼女の外見は少女の姿のままで、数十年前と変化がない。
「まさかメルテも一緒に行動していたの?!」
シャラーナだけでなくメルテまでこんな恐ろしい事を?
「はい、途中からですが」
事も無げに言うメルテ。
「わたしは一人で挑戦するつもりでした」
シャラーナは少し難しい顔になった。
「しかし、何万回目かの挑戦で、わたしが時間遡行している事を見破られてしまったのです」
「帝国兵に取り押さえられたシャラーナの、態度が急変した瞬間がありました。
急に笑顔で何かをつぶやいていたのを発見しました。
そこで、おかしいと思い後をつけ、シークエンスを使おうとする瞬間を抑えたのです」
「わたしとした事がうかつでした。
つい、『今回は新記録だった』とつぶやいてしまった」
確かに時間を戻った瞬間は、すぐに頭を切り換える事ができなくて、変な事を言ってしまいがちだ。
わたしも婚約破棄された公爵令嬢らしからぬ言動をしてしまった事が何度もある。
「じゃあメルテも何度も死んだって事?」
「27012回は一緒でした」
何て事!
「メルテを巻き込むのは不本意でしたが、彼女の演算能力には助けられました」
「二人して無茶な事を!」
わたしはすっかり感情的になっていた。
心を穏やかにしなければならないというのに。
「それにわたしを迎えに来たって、どういう事?」
「言葉の通りです。
こんな寂しい場所にいつまでもいるもんじゃありません。
さあ、一緒に帰りましょう」
笑顔で両手を広げるシャラーナだが、わたしは全然笑えなかった。
彼が何を考えているのか、理解ができない。
「マリー、このままでは、わたしはあなたと永遠にハイタッチできない。
全ての作戦行動が完了できなくなってしまうのです」
メルテもピントのズレた事を言っている。
わたしはため息が出て来た。
「わたしが刺激を受けて、特異点の力を使うと、宇宙の寿命が縮む。
わたしはこの惑星から出る事はできない。
忘れたの?」
ここにシャラーナが来る事だって問題だ。
寂しいとかどうとかって問題じゃない。
大変な思いをしてやって来たのは分かったけど、その気持ちに答えて宇宙を滅亡させましょう、という事にはならない。
「わたしはこの惑星を離れられない」
そう言うしかない。
「帰って」
立ち上がり、エプロンを付けて台所に向かうわたし。
そろそろ夕食の支度をしないと。
しかし、わたしの背中に向かってシャラーナは言った。
「この惑星に送られた事は、あなたの力を奪う陰謀だった可能性があります」




