第3章 8-1 勅使の言
思わず勅使へ問いただし、あわててデリナに窘められる。この国において、公式の場で主上の言に反抗するものは即、逆賊だ。
「も……もうしわけ……」
平伏するガラネルへ、勅使、
「勝てばよいだけのこと」
ゆったりとそれだけ云い放ち、さっと引き上げた。
ガラネルとデリナが、茫然とそれを見送った。
奥の小屋で、一刻ほどもガラネルは押し黙って沈思していたが、やがて晴れやかな顔で席を立った。
「ふっきったの?」
黙ってそれへつきあっていたデリナも、顔をほころばせる。
「どっちにしろ、カンナと紫竜神様にはもういっかいやりあってもらわないといけないんだもの。この国の連中が、どっちが勝ってもいいようにするのは、当たり前よね」
「したたかよねえ、ホレイサンは。良くも悪くも、頭のいい人たちよ」
「あまりに節操がなさすぎない!? でも……正しいわ」
ガラネルが、感心して何度もうなずく。腹をくくった。デリナが、ホレイサンの煎茶を淹れた。湯のみを差し出し、
「けど、ここにきて、神業合とはねえ」
「技じゃなくて業……神の所業を合わせるのよ」
「たしか、帝都の書庫で見た古代竜聖典の外典にそんな記述があったような……」
「ほんと? くわしいのね」
ガラネルが、興味なさげに湯のみをすする。
「あーあ、でも、いざそうなると、なんか、いろいろと気が楽になっちゃった」
「なるようになるってことよ。ここまで来たら」
「そうね……」
そこで、ガラネルがデリナを見つめた。その視線へ気づき、デリナ、
「どうしてわたしがここにいるのか、不思議?」
ガラネルが肩をすくめる。デリナが死ぬのも厭わず利用し、紫竜を顕現させた。
「復讐じゃないわよ。……たぶんね」
「じゃあ、なんなわけ?」
「わたしだって、見届けたいじゃない……それこそ、ここまで来たら。それに……」
「アーリーへの意地?」
デリナの顔が、驚きと嫌悪に引き締まった。図星だ。
「ま、好きにしてちょうだい。いまから私を裏切ったからって、どうこうしないから」
それは、最初から今に到るまで、ガラネルはデリナを味方と思っていないことを意味する。
「そうさせてもらいます!」
デリナも席を立ち、小屋を出て行った。
その後ろ姿を、ガラネルが目を細めて見送った。
急に強い風が吹き、砂ぼこりでデリナの美しい黒髪を汚した。
雲が、竜の形に、見えた。
8
カンナは夢を見ている。
最後の夢だと、自分でもわかった。
出てきたのは、竜神に思い出させられた、本当の両親の顔。ウガマール近郊での、普通の暮らし。ナツメヤシの木。灌木。砂漠。ヤギや鶏、牛などの家畜たち。古い井戸。大河ウガン。河で穫れた、たくさんの魚。薄焼きパン。ワニ。兄がいた。いまごろ、兄は何をしているのだろう……。
それからクーレ神官長。奥院宮での、勉強漬けの日々。日替わりの先生たち。神官長は、授業を見守っている。しかし、もう、何も云わなかった。竜を殺せとも、神となるのだとも……。
ただ、憑き物が落ちたような朗らかな顔で、カンナを見ていた。神官長のこんな顔を、カンナは見たことが無かった。この笑顔が何を意味するのか、カンナには分からなかった。
アートも出てきた。アートも、何も云わなかった。アートは、どこか寂し気な、悲しそうな顔をしていた。懐かしい、サラティスのアートの小屋。近くで見ると、涙ぐんでいる。雀斑だらけのクィーカが、アートの隣で笑っていた。クィーカは、少し背が伸びたように見えた。
フレイラがいた。フレイラは怒ったような、指導したりないといったような、険しい顔つきだった。「マレッティ」という最期の言葉の意味を、カンナはまだ知らない。ウガマールからサラティスへ来て、カルマに所属し、バグルスと戦って、逃げた。たった一年ちょっと前のことなのに、何年も昔のことに思えた。
それから、川が流れるように風景だけが過ぎてゆく。人々の顔は、暗くてよく分からない。バソ村……パーキャス諸島……海……船の上……冬の北街道……ストゥーリアの工場街……北方の雪景色……パウゲン連山……ラズィンバーグの雑踏……サティス海沿いの南街道……ラクティス……ンゴボーラ山……ウガマール……奥院宮……アテォレ神殿……ディスケル宮殿……竜泰斗神殿…………。
皇太子妃が現れる。




