第3章 2-2 少女の姿をしたもの
楽と祝詞を背後に、ヒチリ=キリアが、その手へ初めてガリア……天限儀を出した。リネットの青波紋唐草取手付青銅様水盤ではない。本来であれば漆黒の空間であるこの地下墳墓めいた遺跡の中が、やおら昼間のように明るくなる。マレッティの光輪にも似た、凄まじい光だ。ヒチリ=キリアの手にあるのは、それ自体が光の塊で構成された片手持ちの広幅の刀だった。ディスケル=スタル帝国では古くから一般的に使われている、極々平凡な手持ち武器の柳葉刀だ。それが、光で出来ているというだけで。まるで三次元立体ホログラムだ。
ヒチリ=キリアの天限儀「光天断界柳日刀」である。
その刀を片手へ持ち、軽く刀法の形をもって振り回すと一気に柱へくくりつけられて気絶しているデリナの首筋めがけて振り降ろす!
しかし、寸止めだ!
振りつけた刀を、ゆっくりと戻す。すると、まるで刀でなにかを引っ張りだしているように重さをもって、細いデリナの黒い手槍……天限儀「骸煙波毒黒檀槍」が出現する。
ヒチリ=キリアの天限義は、通常の力は光と光の隙間を切り裂いてその間に物体を隠すことが出来るものだった。いまは、黄竜のダールとしての力を行使している。すなわち、デリナより強引にその天限儀を引っ張りだしているのだ。
デリナが眉をひそめて苦悶にうめく。強引に天限儀を引きずり出されているので、無理もない。
読者諸氏はもうお忘れかもしれないが、第一部でカンナやアートを苦しめたデリナの天限儀は、猛毒を駆使する槍だ。宙へ浮いたかっこうのその槍が、さらに舞踊めいた複雑な動きで空を切るヒキリ=キリアの拳法の形(套路)の前で、次第に形を変えてゆく。槍の穂先がぐ、ぐ、ぐ……と曲がって、やがて完全に鉤となった。さらに、槍の全体も短くなる。
それへ加えて、デリナの苦悶の表情も激しくなった。
元々碧竜のダールの天限儀はこの力を備えており、神代の鍵となっても遣い手自身へなんの影響もない。しかし、黒竜のダールはその天限儀が「鍵のスペアとして遣える」というだけで、強引に天限儀の姿を変えられて肉体が耐えられるものではないのである。
祝詞が変わり、ヒチリ=キリアの秘儀も最終段階となった。
空中に浮かんだまま完全に姿を変えたデリナの天限儀をヒチリ=キリアがガッと左手で掴み、
「ええい!!」
そのままごくふつうの動作で足元のただの石の床へ突き刺した。
瞬間であった。
壁も天井も床すらも次元へ消し飛んで、宇宙のような星空めいた空間に変わる。審神者たちは何も見えていないかのごとく変わらず祝詞と楽を奏上し続けている。星空は次々に様子を変え、やがて巨大な扉のようなものが空間の奥の奥の事象の地平線の彼方より飛んできた。
それが、ヒチリ=キリアの何とも判断のつかぬ言語による掛け声で、一気に開いた。
さらに同じような扉が何十、何百と……いや、延々と開き続け、やがて事象の地平線がひっくり返って反転し、天と地が入れ代わって、有と無が逆転し、不と可が一体となって心となり、再び神小島の地下墳墓の狭い一室へ戻ってくる。
ヒチリ=キリアのガリアの光が、煌々とその少女を照らしていた。
審神者たちの祝詞がピタリと止む。
「あ……」
誰かが、声を発した。
ゆっくりとヒチリ=キリアが跪き、あわてて審神者たちも石の床へ額をなすり付ける。
「この姿はなんだ」
声も、普通の人間の声だった。少女の声だ。特別なものではない。
言語は分からない。人々の心へ直接響いている。
「私めには……」
ヒチリ=キリアが落ち着きはらって応えた。
「誰の望みが、吾をかような姿にした」
「さて……」
「ここにいるものではないな?」
ヒチリ=キリアは無言だった。
「ああ……現世は、いつぞやぶりであろうか。空気というものは、このような味であったか?」
少女の姿をした神が、いま昼寝から醒めたように大きく伸びをする。
「それはそうと、吾を再び現世へ呼び出した理由は、分かっておるつもりだ」
少女が石室の天井を見上げる。天井画越しに、外を感じていた。
「紛い物がおる。神の紛いだ。人があのようなものを造り上げるとは大胆不敵。神への冒涜である」
「ぎ、御意に!」
審神者たちの誰かが思わず声を発する。そして、その次の無言に恐れをなして気絶した。
「まずは、あれからか」
すぐに、人の形を模した神はその場より陽炎と共に消え去った。
静寂が訪れる。




