第2章 7-2 紫竜皇神
この感覚に覚えがあった。
どこだったか……。
「う……!」
思い出した。嫌でも思い出す。ウガマールで、レラのガリアが暴走したとき……あの超重力の穴の奥からこちらを除いていた謎の眼玉……あの目玉と同じ視線……それがあの木っ端のような小さな影から、ビシビシと伝わってくる。
「……!?」
カンナは本能的に防御の姿勢となり、黒剣を構えた。
瞬間、真紫の光線がカンナを貫いた。
かに見えたが、光線はカンナの手前で分散し、周囲に飛び散った。超高熱が岩を融解切断し、地面を切り裂いて爆発させ、湖へ落ちたものは水蒸気爆発で轟音を轟かせた。
「紛い物が、生意気な」
耳ではなく精神へ響く少女の声。
別にその姿は少女である必要はない。
老人でも、堂々たる太古の王でも、勇者でも、あるいは見るもおぞましい怪物でも、そして人々が容易に思い浮かべるいかにも竜神たる巨大な竜でもなんでもよい。
それは人間の……顕現を望む者の「望み」を反映させているだけに過ぎない。
そしていま、その姿を望んでいるのは……。
「紫竜皇様! ああ……!」
読者諸氏はその姿を知っている。細面で、品があり、どこか消えてしまいそうなほどの儚さをもった茶がかった黒髪の少女を。レストと共に、ハーンウルムの月の湖へ沈み、先代の黄竜のダール・ヒチリ=キリアの魂を復活させた贄の姿を。
ガラネルの娘、ストラだった。
「ついに、紫竜神様が……!」
ガラネルの恍惚の表情は、これでもう死んでもよいというほどだったが、本当に死ぬわけぬはゆかぬ。
「現世へ御顕現なされた!」
表情を引き締め。カンナと神の戦いの推移を見守る。
だが相手は神だ。
その思考は人知を超える。ガラネルとて、下手を打てば神の怒りに触れ、一撃で殺されかねない。
「カンナ、いまならまだお許しいただけるやもしれないわ! 紫竜様に帰依しなさい! 竜神の世に、貴女とて何の不都合があるの!?」
これは、真実の叫びだった。
「カンナ!」
カンナはしかし聞こえていないのか、無視しているのか、黒剣の構えを解かないまま、歯を食いしばってゆっくりと降下する少女を眼鏡越しに睨みつけている。
「……バカな子! 勝手になさい!」
ガラネル、平伏するように自らの娘の姿を象っている神へ頭を下げつつ、後ずさりした。
そのまま、かなり離れた位置で、カンナと竜神を見守った。
カンナはもう狂犬めいて、とにかく眼前の少女への敵愾心のみが心を満たしていた。この憎しみや憤り、殺意がどこから出てくるのか、全く分からなかった。竜は殺す。皆殺しにする。その想いだけがにわかに全身を支配した。
血流が沸騰し、共鳴と電流が恐るべき規模で湧き上がる。全身の細胞という細胞が雄たけびを上げているようだった。
「ウウウウウ!」
サイレンめいた共鳴が口から洩れる。共振が少女を……神を捕らえようともがいた。黒剣がいまにも飛びかからんばかりにいきりたっている。
少女がゆっくりと風に黒髪をたなびかせ、砕けた荒涼たる島の尾根へ下りたつ。カンナとの距離は、どれくらいだろうか。すぐ近くにも見えるし、すごく遠くも見える。
「空間が歪んでいる」
ガラネルが二人を見やってつぶやいた。戦うとして、カンナはいったいどう攻めるか見ものだ。おそらく、戦略も何もなく、がむしゃらにつっこむのだろうが、死にに行くに等しい。
「残念ね、カンナ」
もはやガラネルはカンナが後どれほど生きていられるのかを確認しているにすぎなかった。万が一、いや、億が一にもその気概を神が気に入ったら、助けてくれるやも知れぬ。
だがカンナの気概は、もはやそんなレベルではなかった。
「お前が神なら……」
カンナの眼が最高に蛍光翡翠へ光り、全身から碧竜の証たる翡翠色の稲妻がほとばしった。声が電磁で非人間めいて揺らぐ。その口元に竜の牙がかいま見えた。
「あたしだって神だああああーーーッ!」
音響が大炸裂し、カンナが音速で突進する。
次の瞬間……。
カンナは棒きれで打たれたように弾けて湖の対岸までぶっ飛ばされていた。




