第1章 4-2 カツコの宿
「それがどのように彼女の中で作用し、進化して、古代の竜眞人の天限儀へ近づいているものか……非常に興味があります」
「うむ……」
再び、遠眼鏡を受け取った狂皇子、カンナを凝視して、
「さあて、審神者ども、皇太子のてまえ表立った襲撃は控えおろうが、闇ではどう動くか見もの……」
それはそうだ。カンナは、聖地にとっていわば国体どころか世界の秩序を破壊する最悪のテロリストなのである。
「楽しそうですね……皇子様……」
「そりゃ楽しいさ。聖地もホレイサンもディスケルも、みいんなぶっとぶ瞬間を見られるかもしれないからな」
「世紀の瞬間ですね」
「世紀も世紀……新世紀よ。そうなれば、まったく新しい世が始まる」
狂皇子が「ヨッ」と跳びはねて立ち上がり、はいつくばって屋根の尾根へしがみつくアラス=ミルレ博士をヒョイと跳びこえ、スタスタと歩いて行ってしまった。
「あっ……み……皇子様……待って……皇子様……お待ちを……!!」
博士が泣きながら身体を反転し……いや、反転するのを諦め、ずりずりと後ろへ下がってゆく。
カンナたちが皇太子妃や第二・第三夫人達との別れを惜しみつつ帝都を出て、どのような旅を続けてきたかは特筆に値しないので、語られることはないだろう。ただ、これまでの旅の中で最も平安で物見遊山的であった。なにせスティッキィの身分が便宜上後宮姫へ復活したため、帝国領内は輿に乗せられ、至れり尽くせりだった。カンナとライバもまた後宮姫直属配下となり、行列のほとんどの構成員より身分が高い。三人より身分の高い者は、皇太子近習の数名に限られていた。また、ガリアが復活した精神的余裕もうれしい。宮城を出るや、心なしか晴れ晴れとした気持ちになった。ガリアが復活したことで、たとえ再びホレイサンや聖地から刺客が現れても自分たちで対処できたし、むしろ皇太子の護衛もできた。
聖地への到着が遅れるわけにはゆかないので、ちんたら進みはしなかったが、各地の名所を見物しつつ領内を通る諸藩王国では連夜の歓待が続いた。首都を通らない場合は、藩王自らが地方の城へ出張ってきた。スティッキィはどこの藩でも人目を引き、歓待の眼玉だった。このために皇太子はスティッキィを随行させたと誰もが思った。
しかし、ホレイサン=スタル領内へ入ると事情が変わる。異邦人であるスティッキィらは、ディスケル人ですら異国人ということで奇異の眼で見られるホレイサンの民衆感情への配慮ということにして、三人は侍女へ変装したというわけだ。皇太子の行列は見物人も多かったが畏怖し伏し拝む者も多く、警護兼監視のホレイサン武士もついた。人々の注目はいやで輿へ集まった。その輿が二挺あり、片方の中に金毛人の姫がいるなどと噂でも広まったら、騒動は確実だった。むしろ行列の中に見慣れぬ人物がいても、一瞬だけ見て皆「?」とは思うものの異邦の奴隷とでも思い、不思議とかまわれない。見て見ぬふりをするというか、眼に入らないというか……。
そしてホレイサン領内を三日歩き、巨大な湖へと到達する。ピ=パ湖だ。その湖自体が神域であり、侵入は固く禁じられている。湖のほぼ中央に細長い島があり、窪みのような扇状地平野に約三千人が暮らす巨大な街があった。聖地ピ=パであった。
ピ=パに住む者の千人が神職であり、千人が参詣者や神職の生活を支えるため特別に聖地へ住む許可を与えられた人々である。彼らのみがピ=パ島での農業や林業、狩猟、またピ=パ湖での漁や養殖業が認められていた。
残りの千人は、参拝客だった。
ピ=パと外部とを往復する交易商人や参詣者を運ぶ水運業も発達し、対岸にも宿場街があった。ピ=パはそのカツコの宿と船で結ばれ、ひっきりなしに大小の船が往来している。
聖地というとウガマールの奥院宮のように隔絶された神秘の都というイメージを持っていたカンナたちは、驚いた。
ちなみに、カツコ宿もピ=パも温泉が湧いていて、湯けむりが立ち上り湯の匂いがしてカンナは浮足立った。
カツコ宿へ入った一行は、このために特別に建てられた専用宿舎で湯を浴び、疲れを癒す。道中で宴会疲れした皇太子のために、ここでは静かに過ごす。ホレイサンも余計な歓待は一切しなかった。
一行はカツコで五日を過ごし、ようやく腰を上げた。
特別に仕立てられた何艘もの御座船へ乗り、一行は順次聖地へと渡った。聖地は巨大な湖へ浮かぶ幾つかの島に分かれており、最も大きく細長いややくの字に曲がった島を中心に、大小の小島が周囲にいくつかある。三人が驚いたのは、普通に観光名所になっていることだ。
「なあによお、特別な人しか入れないんじゃなかったのお? みんな、普通に住んでるわよお」
「表はな」




