第2章 4-1 月湖の結婚式
やはりストラはレストを見やると照れて母親の後ろに隠れたが、その照れは明らかに先日とは異なるものだった。すなわち、人見知りではなく恋慕の情である。
「ねえ、レスト。もしよかったら……将来、この子の伴侶になってほしいの」
「へっ?」
いきなり云われ、レストの眼が丸くなる。
「そのために、連れてきたのよ」
「僕をですか?」
「そうよ」
だとしたら、否やも何もない。断れるはずがないという意味で。
「将来……って……十年後くらいですか?」
「まあね」
「ううんと……」
自然と頬がひきつり、眉が寄るのが自分でもわかったが、
「そうですね、はい。よろこんで」
それ以外になんと云うのかわからない返事を、した。
「よかった!」
ガラネルが、見たこともないほどやさしい顔で破顔し、ストラへ抱きついて頬ずりした。うっすらと涙まで浮かべている。ガラネルも人の親かとレストは心底驚き、不気味に思った。あの、死者をも自在に操り慈悲の欠片も持ち合わせていないガラネルが……。
「これで、寂しくないわね、ストラ」
「はい、お母さま」
二人があまりに喜ぶので、レストはさらに不気味に思った。きっと、死ぬまでここから出られない人生が始まる。そういうことだ。
(ま、ガラネル様さえ、どこか行ってしまえば……)
逃げる算段は、つくかもしれない。その日はずっとガラネルやストラと過ごしたレストは自室へ戻り、月の湖と周囲の山々の向こうへ沈む夕日をぼんやりと見つめながら、そう考えた。
(だけど、てっきり聖地へ連れてかれると思ったけどなあ)
よくわからないが、自分を連れてきた目的は初めからここで娘と暮らさせることだった気がする。聖地がどうのは、何かの方便だったのか。
なんとも不思議な気持ちで、レストは窓の外を見つめ続けた。
朱く静かに湖面が光っている。
4
三日後。満月の夜。
いよいよ「その時」が来た。
深き月の湖の晩に、紫竜信仰の大神官であり巫女であり秘儀執行官でありダールであるガラネルが、最高位儀式用の真紫と黄金の装束へ着替え、十人からなる神殿の高位神官を従えて湖の上へ張り出した臺へ向かう。そして、リネット、レスト、そしてストラもが、それぞれ紫と黄金に光る装束を着て儀式の場にいた。
ストラとリネットは何の儀式なのか知っているようで、無言で従っている。が、レストは何も聞いていない。
「あの……ガラネル様?」
と、ささやいても、ガラネルへ聞こえる距離にすら近づけない。
「リネット?」
近くにいるリネットも顔は影の中に沈み、よく見えない。月明かりのみの湖上はやけに明るかったが、その冷え冷えとした光は心まで凍らせるようだった。
「ストラ……?」
ストラに到っては、恍惚の表情で逆にレストを見つめている。
(まるで結婚式だ……そういうことなのか?)
楽隊がゆったりとした不思議な妙音を奏でる中、湖へ張り出した桟橋を一行がしずしずと歩き、先端の臺へ到達した。
ガラネルをはじめ、儀式を司る者たちは臺の前で止まり、三人のみが中央まで歩かされる。
月が真上に来ていた。湖面が光って、月光の道ができている。その道の行き着く先は、この臺だ。
臺の四方には、深く被り物をした控えの者がおり、跪いて長袖の両手を合わせ、祈るようにかしずいている。
その被り物の奥は漆黒で顔も見えないが、鈍く赤く光る脈動をレストは観てとった。
(バグルス……!!)
顔と身体が強張った。無意識にガリア「雉虎文短尾黄眼猫」を出すが、出ない! ガリア封じのバグルスが、なぜここに?
迷わず身構えてリネットを見るも、リネットはまるで催眠術にかかったように半眼で、表情も虚ろに佇んでいる。振り返るとガラネルが鋭い目つきでこちらを凝視していた。
(湖へとびこむか……だけど)
この重そうな絹の衣装では、跳びこんだところで溺死だ。
レスト、進退窮まって硬直した。すると、誰かが低い位置からものすごい力でしがみついてきたので驚いて見やると、恍惚の表情のストラがレストの腰のあたりに両腕を回してしっかりと抑えている。
「ス……」
と、いっせいに神官たちの読経が始まった。ガラネルも両手を合わせ、経を唱えている。
「ガラネル様! これは……!」




