第2章 1-1 紫竜と青竜
第二章
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マレッティ、パオン=ミ、マラカの三人がシードリィの案内で深く北方の大森林地帯へ分け入ったころ、密かにラズィンバーグを出発した者たちがいた。
そのころ、カンナたちはちょうどサラティスへ近づいてサティス内海沿いの街道を西へ向かって歩いていた。
白昼堂々、旅装を整えたガラネルはラズィンバーグの門前で少年のガリア遣いレストと待ち合わせをし、そこから街を出て台地へ下りると、先日のユホ族壊滅の「追いこみ」で未だ騒然としているラズィンバーグ周辺諸部族の村々を避け、村道の途中から森の奥へ向かった。春先のこの季節、南方のラズィンバーグはすっかり新緑につつまれ、すこぶる気持ちが良い。
森を通り台地を下りきっても深い広葉樹林が続いており、その一角にガラネルの隠し小屋があった。小屋では、バグルスの世話により三頭の紫月竜が飼われている。紫月竜はアトギリス=ハーンウルムの飛竜属で、基本的に夜行性だが訓練して昼も飛べるようにしてある。細い身体に長い尾、大きな翼手と黄色い眼玉が特徴的だった。
「リネット? 調子はどう? 出発よ?」
小屋の扉を開け、ガラネルが高く明るい声を出す。
「やあ、ガラネル……」
小屋の中にいたのは、まぎれもなく、半年前にパーキャス諸島でマレッティと戦い、深手を負って海へ落ちたリネットだった。その日焼けしたすらりと手足の長い少年めいた容姿の少女は、黒髪を少し伸ばしており、表情もやつれていた。青竜のダールである彼女は青竜独特の驚異的な回復力を持っているが、ダールとしての血と力はおそらく現在この世にいるダールの内もっとも弱い。なぜならば、彼女は先代ダールの曽孫にあたる、あまり例のないダールだった。本来、血統の中でダールとなるには孫が限界であり、曽孫ともなるとまったく赤の他人がダールとして発現するのが通例で、リネット自身も自らを「暫定ダール」とするほどだ。
「出発ってことは、カンナはウガマールへ向かったんだね」
「そうよ。カンナを使うのはやめたから」
「そう……」
「さあ、ハーンウルムへ戻るわよお!」
ガラネルの生気に満ち、興奮した様子と異なり、リネットはパーキャス諸島での快活さは微塵も失せ、歩く時も少し足を引きずり、どこか陰のある面影へ激変していた。
レストは、リネットと会うのはこれで三度目だったが、あまり怪我の回復は思わしくないのではないかと感じていた。なにせ死んで当然の怪我で、青竜の回復力でかろうじて仮死状態になっていたのを救ったのだという。救ったのは、パーキャス諸島で隠れていたガラネルのバグルスだった。そして隠していた飛竜へ乗せ、ほぼ仮死状態のまま運んでき、半年をかけてここまで復活させた。マレッティの光輪斬は三方からリネットを襲い、傷はほぼその細い体を三等分しかけていた。応急処置でとにかく縫い合わせ、ひたすら安静にしていたら、ダールの力で蘇ったのだ。
だが、ダールが本来持つ生命力のほとんどを使い尽くしているはずだった。すなわち、ほかのダールでいう半竜化を連続で行ったに等しく、助かっても寿命はダールとしてのそれをほぼ失っているだろう。そもそもリネットは、ダールの力が弱いというのに。
「リネットさん、竜へ乗れるんですか?」
「そういうレストは、乗れるのかい?」
リネットの爽やかな笑顔も、陰がむしろ不気味に見えた。
「僕は、ガラネル様から訓練を受けています。リネットさんは体力的に大丈夫なんですか? という意味ですよ」
「そうだなあ……」
リネットが用意していた荷物をまとめながら、
「できれば、一緒に乗ってくれるかい?」
「僕は、かまいませんけど……」
レストが心配そうにガラネルを見たが、ガラネルは笑顔の奥に「さっさと準備しろ」と隠してあるのが見え見えだったので、返事を待たずに視線を戻した。きっと、ガラネルにとってリネットは仲間でも何でもなく、ただ何かに利用するだけなのだろう。そのために、生かしてあるに過ぎない。そう。生かしてあるだけ……。
リネットが長旅のわりに簡素な荷物を用意し、ガラネルの指示通りの旅装へ着替えると、表へ出た。鞍は一人用と二人用がどちらも用意されており、リネットが複座を大人しい紫月竜へ到着して前にレスト、後ろにリネットが乗った。ガラネルの合図で紫月竜はまぶし気に眼を細めて身を屈め、細い身体ながら強靭な腱と筋肉で四つん這いから強力に跳びあがり、木々の梢を揺らして大きな翼を羽ばたかせ、一気に風をつかんで舞い上がった。二頭の竜はそのままタンブローナ山の上昇気流を捕まえてどんどん上昇し、遥か眼下にラズィンバーグと台地を見下ろしてタンブローナ山を越えると、パウゲン連山の峰ぞいに北上した。




