第1章 4-3 谷へ向かう
ドゥイカとラマナが眼を合わせる。そして、立ち上がるや、
「それでは話がちがう。我々は貴方をガラン=ク=スタルへ引き渡し、そちらで生活を保証してもらうしかない」
タカンが驚いて、引きつけめいた声を発した。いまにも卒倒しそうだった。
「まあ、まて……それに関しても、進みながら最善の手を考えようではないか」
パオン=ミがとりなし、二人は座った。だが、その顔つきが、明らかに不審に彩られている。
「……殿下、そこはウソでもなんとかすると云っていただかないと……」
ディシナウ語でパオン=ミが囁き、タカンも何度もうなずいた。いかにも象牙の塔の学者であり、交渉ごとなどやったことがないのが明白だ。
(これは……何かしら手だてを考えなくてはならんな……)
パオン=ミが決意する。
「とにかく、いまはタカン殿を無事に送り届けるのが大事。それに専念しましょう。パオン=ミ殿、ガラン=ク=スタルの襲撃があるとしたらどのへんを想定しておりますか?」
マラカが助け船。
「それは、この谷と湖であろうの……」
やはり、そこだろう。マレッティやフローテルの二人も、そこしかないと思った。森林に街道があるわけでもなく、こちらの位置が知られない限り、相手にとっては延々と不慣れな森の中を探し回るより、どこかポイントを決めて待ち伏せるほうが確実だ。そのポイントが、必ず通らなくてはならない谷と湖というだけだ。
それから、まるで事態が想定できないタカンを除き、五人で一刻ほど打ち合わせをして、その日はそれで休んだ。
先日もそうだったが、重い荷物を抱えて、とにかくタカンはよく歩いた。パオン=ミはおろか、マラカやフローテルたちと比べても遜色なかった。いくらフィールドワーク派の学者だとしても、マレッティのほうが先にへばってきたのだから、驚くべき健脚家だ。
「……イタ……」
休憩時間にマレッティが脹脛を揉む。かなり張ってきた。サラティスの周囲を縦横無尽に歩き回って竜を退治してきたが、延々と森の中を歩くのはこれが初めてだった。早春の森は泥濘や残雪も多くて意外と歩きづらく、特にこの北方原生林は広大な溶岩台地のようで、サラティス周辺のなだらかな丘陵地帯へ申し訳なさげに点在する森林と違ってどこまでも樹木が密生し、凄い高低差もあって、余計な負荷がかかっているのだ。
「タカン先生は、いつもこれほど歩いているのですか?」
密かにマラカ、疑いの眼を向ける。マラカの常識からいっても、この学者は歩けすぎだ。そもそも、一人で捕まったのだろうか。お付きや護衛、研究室の助手などはいなかったのか。
「ええ……私はもう、森から砂漠から、ひたすら歩いて古代神像を調査するのが仕事なものでね。これくらいは、難なく歩くよ」
「おひとりで?」
「そうだね、たいていは一人だね。助手は、いないんだ……学会では異端派なものでね。誰も、私なんかの助手をしようとしないよ」
タカンが目を細めて苦笑する。その表情からは、特に裏は読めなかった。マラカがパオン=ミへ目くばせする。パオン=ミは片眉を上げるだけだった。
「ドゥイカ、いま、どのへんぞ」
木へ登って方角を見定めていたドゥイカが下りてきたので、パオン=ミが尋ねた。
「……谷と、うっすら湖も見えてきた。谷へは、この調子だと明日の夜には着く。湖は、五日後だ」
「なんという谷ぞ?」
「特に名前はないが……」
「湖もか?」
「ああ」
「そうか。まあよいわ……出発しよう」
パオン=ミ、ついに、密かにガリアの小動物を大量に放った。殿を歩きながら、その手よりバラバラと呪符をばらまく。すぐさま、ネズミやリス、小鳥へ変化し、どこかへ消えた。
その「谷」へは、ドゥイカの目算通り、翌日の暗くなることに到着した。あまり深くはなさそうに見えたが、思っていたより長く、回りこむと数日はかかるという。また、下りさえすれば、反対側はゆるやかに斜面が続いているので上りは容易そうだった。
「追手が心配ゆえ、ここを渡るしかなさそうだが……下りられるのか?」
「道はつけてある。それに、そのためにラマナに来てもらった」
ラマナが片手を上げて笑った。つまり、そのためのガリア遣いなのだろう。




