第3章 3-2 神を作る人々
キギノが倒れるレラの短く刈った黒鉄色の髪をつかみ、顔をあげた。その蒼白く澄んだ眼が、電光で光っている。
「おい、あたしが憎いか。あ? 憎むんなら、カンナとやらを憎むんだな。あいつのせいでお前はこんな力を背負わされて、こんな辛く苦しい稽古をやらされてんだから」
ベッ、とレラがキギノの頬へ血の混じった唾を吐きつける。キギノの薄ら笑いが増した。口元が楽しげにゆがむ。
「さすがだ、その気魄だよ。さあ、立て!」
力任せにレラの髪を引っ張りあげ、レラが仕方なく立つ。しかし、竹刀を構えても足元が既におぼつかない。ガクガクしている。袋竹刀の切っ先が重さに耐えられずに下がった。重さといっても、革の袋に薄い板を束ねたものだ。軽い。それほど、レラの力が失われているのだ。
「そうだよ、もっと全身の力を抜くんだ。それでもまだ、力みすぎてる。いいか、お前の力は強すぎる。力んだって空回りだ。当たらなきゃあ、意味がないんだよ。うまく相手に当てるためには、もっともっと脱力するんだ。何回云わせりゃあ、分かるんだ!? ええッ!?」
目にもとまらぬ速さで、レラの足を下段斬りでキギノが払った。跳び上がって避けるつもりが、もう足も動かぬ。バッシャ! と良い音がして、脛を打たれたレラが再び転がった。ズダア! とすごい音がして、レラの呻き声が道場へ響く。
「キギノ!!」
ムルンベが目を剥く。キギノが舌を打った。
「カンナとの死合でこいつを殺したく無いのなら、あとちょっとなんだがね。あんたが止めろというのなら、止めるさ。あんたが雇い主だからな」
ムルンベは奥歯を噛んだ。
「アート、どうなんだ、教導騎士として!」
道場の角で椅子に座っていたアートが、杖をついて立ち上がる。
そのまま、ゆっくりと喘ぐレラのところまで進んだ。レラを見下ろす眼は、冷たい。
「神技合はいつでしたか?」
「もう、五日後だぞ!」
「カンナはいつ調整を終えるのですか?」
「明日だと聴いている!」
「時間切れだ、キギノ」
キギノが肩をすくめた。
「カンナが終わり次第、最後の調整を。それから……」
「ぎりぎりまで手馴らしをするのを勧めるね」
キギノはそう残して、もう出口へ向かっている。アートがそのキギノを向いた。そして、小さく嘆息すると非情に徹する顔つきへ戻った。
「アテォレ神殿の周囲の原住民の村をひとつ、ふたつ、襲わせておきましょう。それで神経を昂らせ、そのまま、神技合へ」
「そ、そうか……」
ムルンベが苦虫をかむ。彼とて、これ以上無関係の村人を殺したくはない。なにより、自分が支配する王国の貴重な財産を税もろくに納めぬ原住民とはいえ減らしたくない。
(だが、これも尊い犠牲か……)
そうとでも思わぬと、やってられぬ。
「分かった。そうしよう」
ムルンベが顎で指図をすると、使用人が木板を運んできて気絶したレラを乗せ、行ってしまった。
「……もう少し、あいつが早く生れておれば……」
「そればかりは、どうしようもありません。神の……神の思し召しです」
「その神を、作っているのだぞ!!」
ムルンベがつばを飛ばす。アートは目をつむり、やや沈思して、再び開けた。
「分かっております」
迷いは、無い。そのはずだ。アートは心の中で反芻した。
レラが連れてゆかれ、急に静寂が訪れた道場にはアートとムルンベ、そのお付きだけが残った。この壁と床、天井まですべて木で造られた道場はキギノの云う通りに建築した特製だ。
「……神を作る……な……」
それを見送り、ムルンベがもう一度、云った。アートは黙っていた。
「雲行きはあやしいな」
顔を曇らせる。
「ここに来て、そのような顔をされても困ります」
アートの声は冷たい。
「そうだな。人質まで取っておいて……」
ムルンベは視線を外し、苦笑した。アートの表情は、まるで変わらない。
「ここまで回復させていただいたのは、感謝しております。神官長もどうせおれを利用しているでしょう。カンナをおびき寄せるために……必ずしもアーリーの考えと神官長の考えは、違う」
「そして、私もだ、アート」
「おれもですよ、大密」
アートとムルンベが、鋭く視線を交える。
鼻を鳴らし、アートが杖をつきながら、歩き出した。ムルンベが、それをじっとりとした目つきで見つめつづけた。
汗が、ムルンベの脂に黒く光るこめかみを伝った。
その日も、暑い。




