第3章 3-1 鈍色の殺意
「返り血ぃ!?」
スティッキィは意味がわからず、戸惑った。
「きっと……気分を高めるために……誰か殺してきたんだ……それも大量に」
スティッキィの顔が、素直に嫌悪と恐怖にゆがんだ。
魔神のようなレラの眼は、既に爛々と青白く光っていた。ゴオッ、と風が吹きつけ、風鳴りが闘技場の上空に響きだす。
だがカンナ、そんなレラを見ても、何も興味が無いように突っ立っている。
レラは憎々しげに、カンナをにらみつけていた。
(カンナ……真の試練はここからだ……レラなんぞ、本来であればお前の相手ではない……)
ウォラも緊張し、手足が震えてきた。
最後に、レラの教導騎士が反対側の臺の奥から現れる。
カッツ、カッツと、音がしているので、杖をついているように思えた。
果たして、そのものは杖をついて右足を引きずりながら、臺の上に現れた。大柄な男性だった。
ゴワアッ……!
銅鑼が鳴る。
「カンナカームィ!! 教導騎士、ウォルンカッケンカッ!!」
ウォラが叫んだ。
始まった。スティッキィとライバも、緊張で息が止まりそうだ。
「レランカームィ!! 教導騎士、アートゥイコロヌプリペッ!!」
男性も叫ぶ。そう……男性は、まぎれもなくアートだ!
「……アート……!?」
カンナ、翡翠色の眼を見開き、ガクガクと震えだした。
「カンナ、落ち着け、現実を観るな!」
ウォラが声を張り上げるも、カンナは震えながら両手で頭を押さえだした。ウォラが舌を打つ。
「アート……なんで……なんでアート!?」
バチン、バチンとカンナより電光がほとばしった。地震めいた地鳴りも始まる。
「ああ……あああああ!! うわああああああ!!」
カンナの全身が、真碧に光った。
3
カンナが再調整しているころ。
同じく奥院宮の片隅で、一人の少女が打ちのめされていた。
そこは、道場だった。レラ専門の。朝からずっと稽古が行われ、軽い昼食の後、午後も続けられる。もう数日後には神技合が行われる。いまから新しい技など教えてもどうしようもない。これは、最終仕上げのようなものだった。
「ぎゃっ!!」
本来ならば木刀でやるが、それでは死んでしまう。剣の長さにそろえた細く割った板のようなものを革袋の中に束にして詰めこみ、縛った袋竹刀だ。木刀よりマシだが、達人の手にかかればこれが鉄のように重い。レラはしたたか背中を打たれ、倒れ伏して木板の床をなめた。唾と血が垂れる。
「起きろ、まだ少しやれる」
流暢なウガマール語で云うのは、竜国ホレイサン=スタルよりはるばるムルンベが招聘した「武術の達人」だった。詳しいことはよく分からないが、強いのだけは確かだ。ガリアも遣わず、ムルンベの周囲を護るガリア遣いたちをこてんぱんにした。
が、密かにこの人物もガリア遣いであるとアートはにらんでいた。なにより女性だった。漆黒の長い髪も美しい、常に不敵な笑みを浮かべている顔は、こちらの人間にすると眼が細く、鼻も低くのっぺりしている。その瞳は常に殺人者の不気味な光をたたえていた。背はあまり高くなく、大柄なアートにすると子供のように小さい。歳の頃は三十代半ばといったところだ。しかし、ホレイサン=スタルの人間は見た目がかなり若いので、本当は四十路かもしれない。とにかく、独身熟齢の武術遣いだ。
名をキギノ=シンゲツサイという。本名ではなく号だ。
「ハア……ハア……」
レラの意識が飛びかける。キギノは容赦なく水をぶっかけさせた。
「これでは拷問だ……」
様子を見に来たムルンベが首を振った。キギノの修行はかなり厳しいが、この数日は度を越している。
「おい、キギノ! ここで壊れたら、元も子もないのだぞ!」
流石に怒鳴ったが、キギノは逆に薄ら笑いだ。
「こんなんでこいつが壊れるようなタマか。いいから黙って見てろ!」
こちらの木綿で仕立てた胴着に袴姿で、袋竹刀のキギノは長く美しい黒髪を後ろでまとめてひっつめ、目元などに小じわが出るが少女の面影を残した顔でムルンベをにらみつけた。その茶色に光る一重の眼は、ムルンベすら背筋を凍らせる鈍色の殺意にいつも濡れている。




