第1章 1-1 ウガマール
アーリーが戻って来るまでのひと月のあいだ、スティッキィと好きなだけ風呂を使っていたカンナが、アーリーを労る。それでなくとも、マレッティの疲れきって淀んだ顔が、なんとなく自分を攻めているようにも感じる。
「それは、あとでたっぷりと使わせてもらう……まず、報告をしなくてはならない」
幹部会議室で、レブラッシュ、カンナ、スティッキィの三人が、テーブルを挟んでアーリーとマレッティへ対峙する。燭台の火がジリジリと音を立て、かなり暖かくなってきたとはいえまだまだ冷える室内に暖炉の火が爆ぜる。
「まず、カンナ、ご苦労だった……。よく、ホルポスを抑え、かつ味方に引き入れた。礼を云う」
やおら、そうきりだされ、カンナは狼狽して何か云おうとしたが、その前にアーリーが次の言葉を紡いだので両手を中途半端に動かす意味不明の挙動をしただけで終わった。
「カンナがホルポスに勝ったことで、フルトやメストのガリア遣い達がどれほど溜飲を下げたことか……。だが、カンナは、ホルポスを倒したことになっている。生きたまま、極北へ戻ったことは極秘だ。分かるな」
レブラッシュとスティッキィがうなずいた。カンナだけ、分からない。
「え、ええと……どうして……でしょうか。もし差し支えなかったら、教えて……ほしいです……けども……」
重い空気の中で、それだけ云えただけでも、成長したと認められるだろう。
「カンナやステッィキィは、見ていないだろうから実感がわかないかもしれないが……」
と、前置いて、アーリーは熱いコーヒーを一口飲み、
「たかが幻覚攻撃にいいようにやられ、とてつもない被害を受けた。これで、味方になりましたからとホルポスが生きていたとあっては、連中の立つ瀬がない。逆に、情けをかけて助けたというのであれば、実は、我々は竜とつながっているではないかと疑われるかもしれない」
カンナは驚いて息をのんだ。
「いや、そんなことはない……と……思いたい……ですけど……」
「人の感情とは、そういうものだ」
アーリーが重苦しく口を動かした。
「カンナはホルポスを倒した。それで、連中にとってカンナは勝利の英雄、崇拝の対象にすらなっている。これは、サラティスとは間逆の効果だ。それほどの戦いだった……それで、いいではないか。どうせ、ホルポスはもう姿を現さない……」
「そうなんですか?」
「そうだ」
アーリーがそう云ったきり黙ったので、カンナも追及しなかった。たとえ現れたとしても、おそらく全く違う場所、まったく違う状況だろう。そんな気がした。
「で、これからだが……」
アーリーが本題に入る。
「私とマレッティはまだ仕事がある。ヴェグラーの被害が大きすぎる。北方竜は、組織的な侵攻はなくなったとはいえ、相手は野生動物だ。ホルポスの支配から逃れている野良竜が現れる場合もあるだろうし、そうでなくてはスターラ市民の食糧事情もある。組織の立て直しが必要だ。それに……」
アーリーがレブラッシュを横目で見た。組織されたばかりのスターラの竜退治組織「ヴェグラー」の総統でもあるレブラッシュが口を開いた。
「メストもね」
暗殺者組織「メスト」の事実上の首領の一人だったレブラッシュは、他二人の首領(これも正確には事実上の)が死んでしまった今、各組織のオーナーが為す術も無いまま、手際よく組織を乗っ取ってしまい、いまや新生メストの一人だけの首領だ。彼女は、ガイアゲン商会、ヴェグラー、メストの、スターラの表も裏も、全て面倒見なくてはならない。
「一人じゃ無理。生き残ったフーリエとクラリアを中心にして再編するけど……アーリーとマレッティの力が必要なの。カンナ、分かってちょうだい」
カンナが戸惑う。
「私は別にいいです……けど? それに、私も何かお手伝いを……」
「それには及ばん」
「どうしてです?」
アーリーがやや間をおいて、決然と云った。
「カンナ、ウガマールへ行け」
「へ?」
カンナは、何を云われたのか、にわかに理解しかねた。
「どこに……行けって?」
「ウガマールだ」
「……ウ……」
二度と帰ることはないだろうと思っていたウガマール……。いや、クーレ神官長からそう云いつけられて神殿を出たはずのウガマールへ戻れとは? カンナは思考が混乱し、ブルブルと震えだした。




