蝸牛の舌 4-2 ツェーデ
塀際を歩き、また何人かに声をかけた。コルテの事務所は、けっこう立派な建物にあった。
入ろうとすると、呼び止められたので驚いた。名前を呼ばれたのだ。周囲を確認すると、見知った男が路地の陰よりひょいと出てきた。
「……おい、ツェーデじゃないか!」
目を見張り、ドレイソは叫んでしまった。
「生きてたのか!」
と、云おうとして、感じるものがあり口を閉じ、相手の出方を待つ。
ツェーデが手招きするので、ドレイソは路地の入口まで歩いた。
温泉宿で働いているツェーデは、ドレイソより先にサラティスへ同じ用事で向かい、帰ってこないので、ドレイソはすっかりラカッサたちに殺されたとばかり思っていたが……これはどういうことだろうか。
「どうして、戻ってこないんだ!? お前さんが戻らないから、おれがこうして……」
ツェーデは笑いながら、
「いいから、こっち来なよ」
と、ドレイソを誘って路地裏へ消えた。仕方もなく、ドレイソが続く。ツェーデは路地裏を進み、近くの三階建ての安アパートの一室へ入った。
「……ここに住んでるのか!?」
部屋まで借りていることに、ドレイソは不審と驚きを隠せぬ。
「どうやって家賃を? サラティスで何をやってる?」
ツェーデは素焼きの入れ物から真鍮のゴブレットへワインを注ぎ、ドレイソへ手渡した。自分も、用意して杯を掲げた。
「おめでとう、ドレイソ」
「はあ?」
「もう一度云う。おめでとう」
「何を云ってるんだ、おまえ……」
ドレイソは、不気味に感じてきた。
「ラカッサたちの仲間になったんだろ? だからサラティスまでこれた」
「……!!」
ドレイソは驚きと動揺を隠すため、顔を背けてゴブレットへ口をつけた。
そして、何とも云えないうすら笑いで、
「まあな」
とだけ、云った。
「肉乳皮革卸の使いっ走りをしてたハニートは、断ってダブリーに告口しようとしたんで、ニアムが殺した。バカだよなあ、ガリア遣いに勝てるわけねえのに」
さすがに、動悸を抑えるのにドレイソは苦労した。もう一杯、ワインをもらう。
「そ、それで……? くわしいことは、まだ聞いていないんだ」
ドレイソが緊張を隠さない。ツェーデは、いきなり自分が声をかけたので、ドレイソが緊張するのは無理もないと思った。
「悪いようには、ならねえよ。わかってるだろ」
「なにが」
「おまえだって鍛冶屋の息子だ。それに、都落ちで、その鍛冶屋以下の扱い。その年で徒弟じゃ、親方になるころにゃ死んじまうだろうよ」
それは大げさだが、他の修行者より十年以上、遅れているのは確かだ。こんな徒弟の例は村になく、持て余されているのも事実だった。将来、親方の口があるのかどうかもわからない。
「おれも、良くて宿屋の支配人……いや、部屋頭か用務頭がせいぜいだろう。バソを牛耳る卸どもの組合だけが、バソの利益を独り占め。源泉の権利までもってやがるからな、あそこは。組合の幹部とその郎党の家に生まれなけりゃ、バソじゃ一生家畜以下の生活よ」
「そりゃ、まあな。だが、このご時世、食えるだけましだろう」
「ましじゃねえよ」
「分かってる。おれだって、それがいやで、ストゥーリアに行ったんだからな……」
しかしガリア遣いにつきまとわれ、あまつさえ讒言に近いもので職を失い、都落ちしたのは、ツェーデは知らない。ドレイソが、恨み骨髄のガリア遣いと仲間なぞになるわけがないのだ。
「そうだろう?」
ようやく二人目の仲間ができたと思っているツェーデは、機嫌がよかった。
「もう、一人か二人、仲間ができればよ、ラカッサさんが事を起こすぜ。……村を乗っ取るんだ!」
「そうだな」
ドレイソの行動は、早かった。
ツェーデがワインの入った瓶を棚へ置こうと向こうを向いた瞬間、雑用の短剣を引き抜くや、心臓の真後ろを順手で一突きにした。
「うう……!!」
呻き声をあげ、そのまま、素焼きのワイン瓶を床へ落とし、その上へ倒れ伏して、あっけなくツェーデは死んだ。




