第2章 5-1 クラリア
クラリアという名前は、貧民窟にあふれる子供によくつけられる名前だった。クラリアの周囲にも、同じクラリアがたくさんいた。特にこれといった意味があるわけでもなく、昔からそう呼ばれている総称とでもいうべきものだった。男子にもいた。正式には男子は男性格でクラリオになるのだが、もうどうでもいいという感じだった。そのことを知った男子が、長じてクラリオに改名する程度の認識だ。
不幸にも奴隷として捕らえられ、売られた子供の生存率は低かったが、奴隷ではなくどこかに雇われて最底辺労働者として生き延びる者も多い。金銭的な面で成功者となるのは、圧倒的に女子だった。それは運よく見栄えが良ければ高級娼婦になれるし、教養を身につけることができたらならば、商人や高級官吏の愛人にもなれる。
そして、ガリア遣いだ。
スターラでのガリアの発現率は、誰も統計を取っていないので正確にはわからないが、サラティスとあまり変わらないように思われた。ただ、竜退治請負組織が固まって、周辺農村や遠くはウガマール、またこのスターラからガリア遣いが集まってくるので、平均して一千人ものガリア遣いが集まり、千人に一人という男のガリア遣いもたまにいる。スターラでは、男のガリア遣いの例は皆無だった。
貧民窟の孤児から、その強靭な精神力のせいかガリア遣いとしてのし上がる者は多い。そして、その大半はスターラの裏社会に詳しいため、暗殺者として糧を得る。そのため、ガリアも竜退治より対人暗殺向きとなる。
幼少時代の食糧事情で成年になっても子供と見まごう体格のままのクラリアは、十一でこのガリア「透過風園流星刀」が突如として発現した。もっともガリアの銘をつけたのは自分ではない。そんな学はない。十四で暗殺者組織メストの一員になったとき、バーケンがその威力を気に入って自ら銘づけた。
が、別にバーケンに恩義があるとか忠義があるとかではまるでない。そういう感情が育つ環境で生きてこなかった。
顔も、スターラ人にしては目が細く一重でしかも両目が離れており、口が小さく、そばかすだらけで鼻が低い。竜の国では愛らしいという評もあるかもしれないが、ここでは絶望的に見栄えが良いとは云えず、体も小さく幼いまま。とても「女」として成功できそうもない。もしガリアが発現しなかったらどうなっていたか、それだけが今でも恐ろしい。
そんなクラリア、まさか自分がスターラ防衛ヴェグラー部隊の大隊長を任じられるとは、想像もしていないことだった。
しかし気負いも何もない。いつも虚無が隣にある。
配置されたのはトロンバーの右翼陣地で、湖の反対側、森林と雪原地帯だった。森の中には住民避難用の雪濠や簡易小屋が多数造られており、その防衛も担う。だが、そういうのは副官に任せ、クラリアはひたすら竜との戦いをどのように進めようか思案していた。
(なにせ、こっちは暗殺専門だ……)
部隊には他にもメストはいるのだろうが、誰がそうなのかはよくわからない。暗殺者同士、いっしょに仕事をしたこともある数人程度ならまだしも、こう何百人も集まっては、誰がそうなのか、知りようもない。
天幕や雪濠ではなく、雪原に建てられた簡易小屋に入ったクラリアは、小さな薪ストーブの隣で、豆と竜肉のスープを食べていた。ほぼそれで生きてきたクラリアは、いまでもほとんどこれしか口にできない。しない、ではなく、できない。味がどうとかではなく、偏食になってしまっていた。無理にまともな食事をとると、吐く。
連絡・伝令係兼斥候が犬ぞりを飛ばして戻ってくる。湖畔の戦い、そして正面街道でも大規模な竜軍の侵攻が始まったことを伝えてきた。
「いよいよ、きやあがったぜ。あのダールさんの読みは、大当たりだ。完璧だあな。夜中にまさかトロンバーが襲われたって聞いたときゃあ、肝が冷えたが……ダールさんが追っ払ったちゅうしよう……」
見るからに奴隷崩れめいた小女が、そんな下街の蓮っ葉な男言葉を発するので違和感があったが、誰も見下すものはいない。アーリーとレブラッシュが大隊長に任ずるには理由があるだろうし、メストとしての実力を流れ聴いていたものは、こいつがあの「見えない刀のクラリア」か……と、逆に寒心した。
「で? こちらはどうするんですか?」
「こっちは、ばらけるんだ。いくら敵さんが竜の総大将だって、でかいのをそうごろごろ回してくるとも思えねえ。きっと、裏の避難民を襲うのに、単発で珍しい竜をわんさか放って来るだろうさ……こっちもばらけて、警戒するんだ」
それは、散兵という概念だった。散兵戦術そのものは、百年前の都市国家同士の戦争時代には存在しないものだったが、その後の竜との戦いにおいては、基本はガリア遣いが多くて数頭の竜を各個撃破なので、むしろ散兵が発達した。今回は竜も軍団を組むというので、先祖返りでフルト達も陣を組んで戦っているが、混戦になれば自然に散兵へ戻った。クラリアは、暗殺竜がバラバラに襲ってくるのであれば、とうぜんこちらも普段とおりにバラバラになるほうが良いと考えたまでだ。




