第2章 2-3 氷河竜
そのアーリーめがけ、氷河竜の冷凍ガスが吐きつけられる。パーキャスでの特大大海坊主竜の際もそうだったが、火気の象徴たる赤竜の血と気を引くアーリーに、熱水だ、冷凍だの水気は相克の関係で分が悪い。それは相手も同じだったが、純粋な気の大きさで、この山のような巨大生物と、大柄とはいえ人のサイズのアーリーでは、アーリーが負ける。
それを強引にひっくり返すのがダールの半竜化だが、異様に生命力と気力を消費し、じっさい、夏のサラティス攻防戦で半竜化したアーリーは、寿命をかなり縮めている。いま、続けざまに半竜化しては命にかかわる。次に半竜化するには、最低でも三十年は待たなくてはならない。
そうこうしているうちに、町の外周部から次々に火の手が上がった。やはり、ヴェグラーの真新しい宿泊所がねらわれている。しかも竜の気配はなく、あのガルドゥーンが火を点けているのだろう。
トロンバーは、中心は冷凍、周囲は火に包まれつつあった。
「マレッティ!!」
たまたま接近していたマレッティめがけ、アーリーが良く通る野太く澄んだアルトの音声を発した。
「なによ!?」
野良犬の群れめいて通りを埋める毛長走竜へ対峙していたマレッティが、振り返らずに答えた。
「ここはもういい!」
「えっ!?」
「フルトを引き連れて、火を消せ!」
「はああ!?」
どうやって!? と云うまでもなく、もうアーリーが再び氷河竜へ向かったので、マレッティはまた癇癪を起こし声にもならない悪態をつきながら、そこらにいるフルト達を引き連れ、その場を去った。何頭かの竜がすかさずマレッティを襲ったが、光輪がまばゆく乱れ飛んで一瞬にしてすべて輪切りとなり、血を振りまいて雪上にごろごろと転がって、フルト達を震え上がらせた。
アーリーは半竜化もせずに、どうやって氷河竜を倒すか、考えなかった。今ここで倒す必要はない。追い返せばよい。それは、パーキャスでこの世のものとは思えない超特大の大海坊主竜を相手にしたとき、カンナより学んだことだ。竜を殺して報酬を得るガリア遣いにとって、意外と、追い返せばよいという発想は無かったのである。
追い返せばよいのであれば、やりようはある。
竜にも負けぬほど夜闇に開かれる丸いその瞳が赤く光って、眼からガリアの力が火となって吹き出る。さらに気合と共にその背後にも炎が噴きあがる。ガリア「炎色片刃斬竜剣」の輝きがいや増し、氷河竜も無視できぬほどに熱気が真冬の冷たい夜空に映えて、夏みたいに陽炎がゆらめいた。
氷の塊にすら見える竜が、木造の建物を破壊しながらアーリーと向き合う。
また雪が降ってきた。
アーリーは、普段瞑想をしながら、ガリアの炎を体内に溜めこみ、練り上げている。
いざというときはそれを一気に爆発させ、すさまじい破壊力を発揮する。自らの命を燃やす半竜化はそう容易にできるものではないので、代わりにアーリーはそういう手法を自ら編み出している。
瞬間の爆発力で、一気に氷河竜を退散させねばならない。
一方、氷河竜も、アーリーの火竜の気に対抗心をもったものか、冷気を極限まで体内で圧縮し、一気にぶつける準備をしているのが明白だった。
アーリーが眼や肩、頭上から炎が自然に上がるのと同様に、氷河竜の長面の口や鼻からも、凍気が吹き上がる。この氷点下という環境や体格差から云って、まともにぶつかってはアーリーが不利か。
雪が一気に降りしきってきても、両者は微動だにしない。
マレッティがどういうふうに立ち回っているものか、町のあちこちを燃やしていた火は、収まってきた。鎮火に役立つガリア遣いでもいたのだろうか。
だとすれば、勝負はこの一撃で決まる。
両者の気合が頂点まで達するのに、そう時間はかからなかった。
「うぉあああ!!」
やおら雄たけびをあげ、アーリー、斬竜剣を振り上げる!
反射的に氷河竜が動いた。
大量の冷凍ガスが、その大口から噴射された。竜の体内に蓄積されている水分も同時に吐き出され、分厚い氷の棘となって地面や建物へ着氷した。
アーリーが走り、その氷を避けながら回りこむ。走る先に誰かの家があったが、住人は既に避難している。そのままドアを体当たりでぶち破り、反対側の窓を突き破って出る。思わぬアーリーの素早い動きに、氷の鎧をまとっている氷河竜はついてゆけず、苛立って周囲へひたすら氷の小山を気づいた。アーリーはさらに移動し、場所を悟らせない。ついに氷河竜は薄い氷の幕に覆われたその巨大な翼を開き、微細な氷幕を剥離させながら身を屈めて震わせ、全身の氷を剥がすと同時に強力な脚力と尾の地面を打ちつける一撃で、一気に空中へ浮かび上がり、さらに大きな翼を二度、三度と動かして初期揚力を得ると、たちまち離陸した。




