第1章 2-2 雪原を行く
カンナも、それ以上尋ねても無駄だと察し、黙った。
事務所はすでに人がおり、エサペカは中で休んでいた。カンナたちも少し休み、事務所が用意した四頭立ての犬ぞりを確認すると、ライバが綱を引き、荷物の合間に潜りこむようにカンナとエサペカがソリの後ろへ乗って、勢いよく出発した。
天気が良く、雲が無かったので放射冷却現象が起き、異様に冷えた。かなり着こんできたつもりだったが、体の芯から震えが来て、カンナはこのまま凍死するのではないかと恐怖した。それほど、ソリへ吹き付ける風が異様なほど冷たい。我々の概念でいえば、マイナス二〇度ほどなので、無理もないのだが……。
しかし犬たちはますます元気で、顔じゅうを毛長竜の防寒覆面でおおったライバも犬たちを勢いよく操っている。同じく覆面のエサペカも鼻歌を歌う余裕ぶりだ。カンナとて同じ覆面なのだが、まるで効果がないように感じるほど寒い。いや、痛い。冷気が顔に突き刺さる。
数刻も雪原を一気に走り、やがて明るくなると、周囲の景色が判別しだした。
針のような針葉樹林をやや遠巻きに湖畔を疾走。異様な寒気は、湖から吹き付ける極北風でもあった。風がユーバ湖の上を通る時に水蒸気をたっぷりと含み、それがリュト山脈にぶつかって吹きかえすため、トロンバーは信じられないほど雪が降る。年末の今はまだ、これで少ないほうであった。年が明けるとドカ雪のシーズンで、最盛期には、人々は二階から出入りするというから言語を絶している。
「ライバ、そろそろ休もうよ!」
エサペカが声を張り上げる。
「ライバ!」
「分かってるよ、北極鹿でもいたら、獲ろうと思ってさ!」
新鮮な肉があれば、冷凍肉より良いに決まっている。犬たちにも、竜肉の木っ端ではなく新鮮な鹿の骨を与えられる。
「見当たらないから、いいから止めなよ!」
エサペカが、やおらガリアである白樫の細くて長い、丸く削られた杖を出して、横倒しのカンナ越しにライバの背中をつついた。
ライバがそりを止めた。犬たちの息が白い。勝手に雪を食べて水分を補給し、雪中へ寝そべって体温を調節している。
「カンナさん、起きてください、大丈夫ですか?」
エサペカに支えられて、カンナは何とか半身を起こした。メガネが凍って真っ白だ。覆面を脱ぎ、メガネをとってシャリシャリと指で薄氷を削げ落とす。
「いやあ……ちょっと、言葉にならない……」
涙と鼻水も凍っている。息が喉の奥にへばりついて、窒息するかと思う。
「今日は……どこまで行くの?」
「少し休んで、あの林のあたりまで行って、雪濠を作りましょう。そこを拠点に、周囲を偵察します。竜が現れたら退治して……バグルスをおびき寄せましょう」
ライバがあっさり云った。そうだ、問題はバグルスだ。
カンナが目を細めて林を見やるが、よく見えなかった。反射が激しくて、眼がチカチカする。
覆面をとったライバとエサペカは目の下に隈みたいな模様を描いている。いつのまに描いたものか。雪面からの日差しの反射よけだという。カンナも、ライバに予備の染料で描いてもらった。
見渡す限りの白い風景で、白毛長竜の防寒服に身を包んだカンナは、まるで保護色だった。風もなく、晴天で、カンナはウガマールの砂漠を思い出した。気温はともかく、砂が雪になっただけだ。そうなると、なにやら感覚も変わってきて、見慣れた風景にも思えてくる。どこまでも白い砂漠。美しい、死の光景。
「北極鹿なんて、どこにいるのよ?」
エサペカも遠くまで見渡したが、生き物は一切いない、静寂の白景だった。
「そう簡単にはいないか」
ライバもため息をつく。
二人はゆったりと景色を見やって、油断無く竜を監視していた。ここはもう、竜属の領域にさしかかっている。
カンナは雪原に立って足首まで埋まり、大きく伸びをして身体をほぐした。ここら辺は雪が固まっており、そりもよく走る。とにかく、この、そりの移動は辛い。
「……?」
違和感に気づいたのは、カンナだけだった。
ガリアが、それを教えてくれる。
鋭敏な犬にも気づかせない、その白い悪魔の擬態は、完全に姿と気配を消す。
カンナの内なる感覚が、竜と共鳴する。
ビリビリビリ……電気の流れるような音がカンナの耳に響きだした。その音は、次第に大きくなって、ライバとエサペカも不思議に思って周囲を見渡したころ、耐えられなくなった竜が至近から雪煙をあげて飛びかかってきた。




