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メルがマンドレイクの育成をはじめて丁度一週間。
この一週間で新たに出来た女神マンドレイクはそれぞれ個別で鉢に入れられ、数人の魔術師と定期的に着替えと食事を運び込む侍女に強制的に里子に出し、順調にデータを取っていた。
が、本日突如再び現れたライアンにより今度は放牧場の入り口が破壊された。
「いよぉ猫目の色男ぉ~久しぶりだなぁ……今日は逃げないのかぁ?」
「久しぶりに会った男に馬乗りされる習慣は無いんだけどなぁ。取りあえずどけよ、三白眼の野獣」
運悪くマンドレイクの量産の為、放牧場のテラリウムにいたイヴァンとザミラはライアンの襲撃に対処するのが遅れてしまった。
放牧場の入り口とテラリウムの入り口を破壊しながら真っ直ぐ突き進んで来たライアンは、迷うこと無くイヴァンに飛びかかり胸倉を掴むと、突っ込んだ勢いそのままにイヴァンにソリの様に乗り畑を荒らしまくり止まった。
ライアンのこの襲撃でテラリウム内で栽培していたマンドレイクは軒並み破壊されただの荒れ地状態。
王宮の方から近衛兵と騎士団が数名走ってくるのが見えるが、ライアンに弾かれすっとんだザミラは現状を良く理解出来ずにいる。
「お前とメルティーナ姫のよぉ、婚約破棄の書類をよぉ、俺、レイスコット家の名義で出したんだけどよぉ、いくら貴族でもよぉ、婚約に全く関係ない王家でも無い家の名義じゃ大神官を動かせねぇって破棄されたんだなぁ~」
「そうかぁー。で、なんでそれがこの状況と関係があるんだ?」
全身が半分ライアンの重さと衝撃で埋まったままのイヴァンが、自身の胸倉を掴んでいる巨大な両手をぺしぺしと叩きながら、引き攣った笑顔を浮かべる。
すると満面の笑みを浮かべたライアンが、イヴァンを起こすように掴んでいた胸倉を引っ張ると、粘着質な笑みを深め口を開く。
「正攻法が駄目ならぁ、その耳引き千切って耳飾りを奪えば良いって事だろぉ? お前ならマンドレイクですぐに治るしなぁ? 俺にくれよそれぇ、なぁ……?」
「はっ!? っかメルの耳は――」
イヴァンが口を開いた直後、その頭にライアンの見事な頭突きが降り注ぎ鈍い音がすると、イヴァンの声がピタッと止まった。
そしてライアンが掴んでいた胸倉を放すと、イヴァンの体は無抵抗のまま地面に倒れ沈んでいく。
ライアンの強烈な頭突きで脳震盪を起こしたイヴァンは一瞬で気絶したのだ。
ついでにイヴァンと大まかな感覚を共有するザミラも、一瞬雷が落ちたような衝撃が頭を襲い、失神までは行かなかったものの芝に突っ伏し悶絶している。
ゆらりと立ち上がったライアンは、気絶しているイヴァンの耳飾りに手を伸ばす。
「師団長! 駄目ですって駄目駄目! 落ち着いて下さい!」
「そうですよ! こんな事をしても姫様は振り向きま――」
「うるせぇぇぇええぇぇ!!」
ライアンを止めようとその背中にしがみついた近衛兵二人は、ライアンが叫び大きく腕を振り回しただけで綺麗な放物線を描き吹き飛ぶと、テラリウムの壁を破壊し散っていった。
さすが師団長だけある。ライアンがイヴァンの髪を掴みそのまま怒りに任せ立ち上がると、残っていた騎士と近衛兵は盾を構え、瞬時に完全な迎撃態勢をとる。
「お前等に分かるのかぁ……? 何年も何年も、メルティーナ姫に必死にプロポーズしてはかわされ、耳飾りを贈っては返され……ようやく王に認められそうだと思ったらこんな山猿に横からかっ攫われた俺の気持ちがよぉ……」
ついに王宮の警備の為放し飼いにしている大きな魔狼さえも現れ、ライアンにうなり声を上げる。
衝撃が収まってきたザミラが視線を上げると、そこにはイヴァンを引き摺りながらじりじりと騎士や近衛兵に向かってくるライアンの姿が目に入った。
じりじりと騎士達が下がる中、魔狼は突如ザミラの存在に気付いたのか、ライアンからザミラを守るように立ちふさがり唸る。
「そっか私、動の母神だった……」
すっかりその事を忘れていたザミラだったが、思い出したついでに賭に出てみる事にした。
ザミラに背を向け守るように立ちふさがる巨大な魔狼の背中にどさっと体を預けると、驚く魔狼を尻目に全力で全身を撫で始めた。
「よしよしよーし、良い子良い子。偉いねー守ってくれるのねーありがとー大好きよーよしよーし」
突如場の空気を無視したザミラのこの行動に、ライアン以外の全員が唖然とした表情を向けると、ザミラの腕の中の魔狼にある変化が起きる。
ただうなり声を上げる黒い魔狼だったのが、嬉しそうに尻尾を振りはじめ、さらにその体毛もザミラの髪のように艶やかな黒へと変貌している。
「凄い良い子ねー、私の言葉分かるかしら。あのね、あのでっかい人が引き摺ってる私と同じ髪色の人が居るでしょ? あの人をね、これ以上傷を増やさず回収したいんだけど、出来る? 本当はあのでっかい人も取り押さえたいんだけどね……」
ザミラの言葉を理解したのか、魔狼は目を輝かせ一度吠えると、ザミラに頬ずりをしそのままライアンに向け走り出した。
「……少し遅かったでしょうか?」
「あれ? ホルンさんだー。一週間ぶりー」
ひょっこりと騎士を連れ現れたホルンは申し訳なさそうな表情でザミラの隣に座ると、そのまま騎士に目配せをする。
そのホルンの冷ややかな視線を受け、色々な衝撃から立ち直った騎士と近衛兵は、ライアンに噛み付く魔狼に参戦しようとうなり声を上げ走って行った。
さすがに分が悪いライアンが、イヴァンを手放し本気の反撃に出ようとしたとき、魔狼はさっとイヴァンの襟元を咥えると、尻尾を振りザミラの元まで走り寄って来た。
「凄い! 凄い凄い! 本当に良い子ねー! よーし、ご褒美にいっぱい撫でてやろーお腹出せ出せー」
ぼてんと素直に仰向けに寝そべった魔狼のお腹を、ザミラがこれでもかと言う程撫で回している横で、ホルンはマンドレイクの破片をイヴァンの口に詰め込み始める。
「師団長が自身の名義で婚約破棄状を持って来たので突っぱねたのですが、その後見事に執務室の扉を破壊して行ったのでまさかと思って来てみたのですが……。何と言いますか、やはり母神の力は無茶苦茶ですね」
「あそこで暴れてる猛獣の方が無茶苦茶な気がする。あれで本当に普通の人間なの?」
体中に人間を貼り付けたまま猛然と腕を振り回し続けるライアンに視線を向け、ホルンとザミラは盛大にため息をつく。
「私欲の為国の重要研究の一つであるマンドレイクと、その第一人者のイヴァンさんに危害を加えたと言う事で、ライアン師団長は軍法会議にでもかけましょうか」
マンドレイクでみるみるイヴァンの額の傷は治っていったが、傷が治ってもすぐに意識が戻るわけでは無いらしい。
仰向けに寝そべるイヴァンの額に布を被せるという、いつぞやかに見た光景が目の前に広がっている。
イヴァンに寄り添うように伏せをする魔狼を撫でながら、ザミラは眉間にシワを寄せる。
「さすがに軍法会議は……。メルに任せるとか?」
「それならまだ軍法会議の方が慈悲があ……ザミラさん、怪我をしたんですか?」
ザミラがホルンの視線の先に目を向けると、ドレスの裾から赤く腫れた足首が見え隠れしていた。
「そう言えば、猛獣師団長にぶつかった時捻ったような捻らなかったような……イヴァンの頭突きの衝撃で忘れてた」
「左様で御座いますか。師団長、ですね。そうですかそうですか」
久しぶりに聞いたホルンの【左様で御座いますか】と、無気味なまでに顔に貼り付いた完璧な笑みを間近で見たザミラは、取りあえず魔狼を撫でるかのようにホルンの背中をゆっくりと撫で始めた。
*
「この後ライアン師団長の身柄はレイスコット家に引き渡しますので、当面自宅謹慎となるでしょう。イヴァンさんもこれを機に魔術師棟に移って頂きましょうか」
大破したテラリウムの再建をするよりも、以前メルが言っていた魔術師棟の栽培部屋に身を移した方が効率が良く、再びライアンが暴れ出しても魔術師長が対応してくれるとの判断だ。
幸いマンドレイクの量産計画を魔術師長に相談したところ、快く引き受けてくれ、この一週間であっという間にマンドレイクの栽培部屋が完成したらしい。
厩の休憩室のソファに横になる、未だ意識の戻らないイヴァンを眺めながら、マンドレイクの炭酸割りと言う猛烈に微妙なものを飲まされているザミラは、思い出したように口を開く。
「そっか、確かイヴァンは魔術師棟の薬理学者って扱いなんだっけ」
ホルンが国王の前で却下した事だが、結局一歩も引かない親子の攻防戦は【二人を官職にするが上司はホルン】と言う、どう考えてもホルンに優位な結果でまとまったらしい。
「今のところザミラさんも同じ立場ですよ。魔術師や侍女が育てているマンドレイクも魔術師長が作った水差しを使うと、お二人程では無いにしろ驚異的な速度で成長する事が実証されましたので、これから本格的に量産体制に入る事になります」
意気揚々と魔術師長はマンドレイクの為に環境を整え、部下の魔術師達が育てていたマンドレイクも早々に栽培部屋へ移植したらしい。
どうやら若い頃より魔力が飛び抜けて高い魔術師長は、ずっと王宮に缶詰だった為今までマンドレイクを育てる機会が一切なかったらしく、そこへこの度の母神の話を受け、血眼になってイヴァンを受け入れる環境を整えたとの事だ。
正直、ライアンがイヴァンに手を出したと知った時の魔術師長は、近衛兵と魔術師瞭の断絶寸前まで事は捩れていた。
「魔術師長は今後お二人を手放す気は無いと言い切ってましたね。何とも心強い後ろ盾を手に入れましたが、魔術師は貴族出身でも籍を抜いてその職に就くものなので、養子として迎えるよう頼むには難しそう――」
「何でいきなり養子の話?」
マンドレイクからいきなり養子の話に飛び、黙って聞いていたザミラも流石にこれには小首を傾げる。
「お二人が貴族籍になれば、師団長の様に文句を言うような輩は現れないと思いますよ? と言いますか、言えませんし言わせません」
「あ、私は平和だったし完全に自分は関係無いやって思ってたけど、もしかしなくてもホルンさんを狙ってる貴族令嬢っていっぱい……」
ホルンはその質問には答えない代わりに、見事な笑みを浮かべ確信犯の如く小首を傾げた。
そしてザミラも無言のまま笑顔で同じように小首を傾げる。
「さて、少し早いですがマンドレイクはもう成功したと言っても良いでしょう。後は栽培しながら薬効成分を調整していくだけですので。ですので次はスレイプニルです」
ホルンはそう言うとソファに深く座り直し、突如心底疲れたように目を瞬かせるともふっとスヌードに顎を沈めた。
「寝藁等の飼い葉は大量に手に入ったのですが、やはりククルの入手が難航しています。高山麦はどうにか手に入れたのですが、とても飼育していける程の量とは言え無いですね。これ程大量に遠方への買い付けをするなら、飼料用にククルと高山麦と、ついでにエリ芋を栽培する専門の農家か施設を、王都付近に作る必要があるかも知れませんね」
もふもふとスヌードに埋もれながら心底眠そうに話すホルン。
その余りにも珍しい光景を目を見張り眺めていたザミラだったが、ふとある事を思い出し恐る恐る口を開く。
「ホルンさん……? 最後にしっかりと睡眠をとったのはいつです?」
がっしりとホルンの肩を掴み真正面から質問をぶつけてみると、ホルンはとろんとした瞳で宙を眺めだした。
「最後に? ここを訪れた一週間ま……ん? 違うな。ええーと……」
「よーしよしよしよーし。良い子良い子ねーよーしよしよしよーしお休みなさーい」
ホルンの言葉を遮るようにスヌードをホルンの目の下までぐいっと持ち上げたザミラは、そのままホルンをソファに押し倒すと、魔狼にしたように頭やお腹を全力で撫で回し、イヴァンに駆けてあった上掛けをさっと取りホルンに被せると、さらにその上からも必要以上に撫で回す。
「ちょっ、動物扱いは止めて下さい……! 動の母神のそれは卑怯ですっ! それに今は本当に駄目ですって! 本当に寝てしま、い……」
もごもごとザミラの肩を押し抵抗していたホルンだが、徐々にその力も弱くなり、極限の睡魔に必死で抗っているのか、とろんと潤んだ紫の瞳の上を何度も瞼が行ったり来たりしている。
最終的にその目の上にザミラが掌を置いたところ、生きているのか不安になる程すとんと穏やかな眠りに落ちたホルンは、見事彫刻のような見た目となっていた。





