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何のために生きてるの?  作者: 美濃由乃


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11/11

そんなものは無いのに


 それから、雨海はしばらく学校に来なかった。


 雨海のことしか考えられなかった春は、何度も彼女の教室や音楽室をのぞいてみた。

 だが、どこにも雨海の姿はない。

 それでも毎日、春は雨海が学校に来ているかを確認する。連絡先も知らない春にできるのは、それくらいのことしかなかったから。


 そうして今日もまた、春は雨海の教室へ向かう。


「ねぇ春、いい加減もう諦めたら? たぶん転校で決まったんじゃないかな?」


 春の後には、早紀が当然のようについてくる。

 あの日の出来事が、早紀の主導で進んでいたことを春は後から知った。早紀は春に隠し事はしない。聞けば全部素直に教えてくれた。


 雨海との接触から、すぐに春との関係に気が付いたこと。

 二人を引き離すために、帰り際の雨海の講師を待ち伏せて接触し、情報を流したこと。

 当日は裏付けするためにわざと雨海を挑発し、講師にはドアの外で会話を聞いてもらっていたこと。

 雨海が男子生徒と密会していると言えば、少しの醜聞をも作りたくない講師を動かすのは、とても簡単だったそうだ。

 春の父親を呼んだのは、たんに春を引き離すため。春に迷惑をかけないように、父親に流した情報は、それらしいものにしておいたらしい。


 春の父親を動かす力もそうだが、初対面のあの講師まで、雨海の危機という形で、不安を煽って信用させた早紀。

 春は早紀の話を聞いていて、こんなにも上手く立ち回る早紀を出し抜くなど、自分には最初から無理な話しだったのかもしれないと思った。


「というかもう無視はや~め~て~。私は寂しいよ春」


 話を聞いて以来、春は徹底的に早紀を無視していた。ガキがやるようなこと。そう言われても仕方ないと思ってはいるし、これは別に意趣返しというわけでもない。

 無視をしているというより、たんに早紀と話しをする気になんて、到底なれなかっただけ。


「沢木さんのことは早めに忘れたほうがいいって、春には私がいるから寂しくないでしょ、ね?」


 あの日のことなんて、まるで気にしていないような早紀。

 あんな計画を実行して、雨海から引きはがしておいて、どうしてこんなふうに普通でいられるのか。春には早紀のことが理解できない。理解したいとも思わない。

 そのまま早紀を無視して雨海の教室に向かう。早紀も気にせずついてくるが、今の春には、それすらどうでもよかった。



「なぁなぁ、久々にピアノの子みたよオレ!」

「えマジ? あのかわいい子だろ? しばらく見なかったけど」

「休んでたんじゃね? 前の休み時間が終わるときにチラッと見たんだよ」

「そういえば俺もみたわ、一緒にいた人ってピアノの先生かな?」


 廊下で立ち話をしていた男子生徒たち。その会話が耳に入ってきた時点で、春はすぐに駆け出していた。

 誰のことを話していたかなんて一目瞭然だったから。

 雨海が登校してきたのだ。


 周りから迷惑そうな目を向けられても、気にせず廊下をひた走る。途中まで歩いてきていたのもあって、雨海の教室にはすぐについた。

 だが、そこに雨海の姿はない。


 たとえ大勢の生徒がいる中でも、春は雨海の姿を間違ったりはしない自信がある。ここにはいないと瞬時に判断し、すぐに音楽室に向かう。

 雨海の向かう場所なんて、それくらいしか春には思いつかないから。


「前の休み時間でしょ? 荷物だけとりに来たならもう帰っちゃってると思うよ」


 走ってついてきた早紀が、お構いなしに話しかけてくる。春はそれも無視して走った。

 そんなことくらい、わざわざ言われなくても春だって分かっていたから。

 もう関わらせないと言っていた講師の声が、春の脳内でうるさいほど繰り返される。

 だから春に合わせないように、あの講師がすぐに雨海を連れて帰った。

 そんなことは、想像したくなくても勝手に頭に浮かんでくる。

 そんな未来を打ち消すように頭を振って、春は音楽室に向かう。


 そこにはきっと雨海がいて、今でも一生懸命に裁縫セットを使って何かを作っているのだろう。

 そうして急いでやってきた春に気づいて、




『あら、遅かったじゃない』




 春は音楽室のドアを開けた。


 そこには、誰もいない静かな空間が広がっていた。

 もちろん雨海が声をかけてくることはない。

 誰もいない、何もない音楽室。


『ここは私の部屋みたいなものだから』


 そう言って置いていた雨海の私物もなくなっていて、いつも二人で座っていたパイプ椅子も、丁寧に重ねられ、片づけられていた。

 たしかに雨海と一緒に過ごした場所なのに、何もかもがあの頃とは違っていて、雨海がもういないことを理解するには、もう充分だった。


「ほら、言ったとおりでしょ。たぶん教室の物もなくなってたみたいだし、もう転校で決まりみたいだね」


 着いてきていた早紀が息も切らさずに言う。


「もう戻ろう春。残念だったかもしれないけど、これで沢木さんには会えないことは理解できたでしょ? ならさ、きっぱり切り替えてこうよ! 勝負事に切り替えは大事だよ!」


 音楽室というただの空間に、早紀の明るい声だけが響く。

 神経に障るその声を聞いても、春は怒る気力すらなかった。

 ただ何も考えられず、ふらふらと歩き続ける。

 ピアノに向かったのは特に意味はない。それとも雨海の嫌いなものを無意識に壊そうとでもしていたのだろうか。

 そのまま壁際にある鍵盤の方に回り込む。

 そこで、春は見つけた。


「……ねぇ早紀」

「え? あ、何々! どうしたの春!」


 久しぶりに声をかけられて嬉しかったのだろう。早紀があからさまにテンションをあげて応える。


「早紀はどうしてあんなことしたの?」

「あんなことって、沢木さんのこと? 今は怒ってるかもしれないけど、春のためにしたことだって、お願いだからわかってほしいな」

「僕のため?」

「うん。将来バドで成功したとき、表彰台の上で達成感を感じながら、あのとき沢木さんと別れてよかったって、絶対そう思うはずだから」

「今の僕の意思は関係なく?」

「ごめんね春。でも仕方ないの、春が間違ってるなら私が教えてあげなきゃいけない。たとえ嫌がられても、私は春を正しい道に戻してあげたかったの。それがきっと春の幸せにつながるはずだから」

「そっか、じゃあ早紀はなんでこんなことまでしてくれたの?」

「私は今までもこれからも、春をずっと支えるって決めてるからよ! いつも言ってるでしょ?」

「うん、だからどうしてそう決めたの?」


 浮かれていた早紀が、少しだけ真面目な表情に戻る。春はただじっと早紀を見つめて答えを待った。


「春は知ってるよね? 私の親のこと、あの頃私の父親が出て行って、仕事がある母さんは家にいなかった。だから私はいつも一人。そんな時に救ってくれたのが春じゃない」


 嬉々として過去の思い出を話す早紀。その眼には、ある種狂気的なものが宿っているようにすら見えた。


「春が私をバドミントンに誘ってくれて、おじ様も親身になって指導してくれた。春は私のヒーローで、おじ様は本当のお父さん。そのおじ様から私は、正式に春のことを頼まれてるの。これからもずっと支えてあげてくれって、だからね、親公認で、春の隣が私の居場所だよ」


 語り終えて満足そうな早紀。

 春はその理由をきけただけで充分だった。


「ねぇ早紀、最後に気持ちを整理したいから、ちょっとだけ一人にしてほしいな」

「……ん、わかった。満足するまで整理して、ちゃんと沢木さんのことは忘れて、それから私に戻ってきて」


 すぐに了承した早紀は、自分は物分かりのいい女性だとでも言いたげな顔をして、まっすぐにドアに向かって歩いていく。


「ゆっくりでいいからね。私は廊下で待ってるから」


 そう言って、早紀が音楽室のドアを閉めた。

 それをしっかりと見届けてから数秒後、



「要は他人に言われたってだけじゃないか。つまらない理由だったね。そう思うでしょ?」


 そう語りかけながら、春はピアノの椅子に置かれていたものを手に取った。

 それはぬいぐるみ、布と綿でつくられた女の子の人形。

 最初に比べるとずいぶんと上達した。

 これなら誰がみても、はっきりと女の子の可愛らしい人形に見える。


 それでも春に、誰かはわからないけど、と言われたことが悔しかったのだろう。ぬいぐるみの背中には『あみ』と平仮名が縫われていた。少し頬を膨らませながら、せっせと文字を縫う姿が思い浮かび、自然と頬が緩む。


 置いてあったぬいぐるみは一体だけだった。対になる男の子のぬいぐるみ、つまり春を形作ったほうはここにはない。そちらはおそらく雨海が持っているのだろう。

 代わりに一枚の紙切れが、ぬいぐるみを重し代わりにして置いてあった。


 雑に破られたノートの切れ端。春はそれを手に取る。


『次で待ってる』


 書いてあったその一文は、確かに雨海の文字。

 メッセージを見た瞬間、春の脳内には、あの日、二人で見上げた夜空が、鮮明に浮かび上がっていた。


 ぬいぐるみを握ったまま、ノートの切れ端をポケットにしまい、春は近くの窓をおもむろに開ける。

 梅雨空が気まぐれに見せた晴れ模様。

 見るものに希望を抱かせるような、光あふれる空が広がっていて、校舎の最上階にあるこの音楽室には、夏の訪れを感じさせる爽やかな風が、これでもかと吹き込んでくる。


 風の音が響いてしまい、春は少し慌てて音楽室のドアに視線を向けるも、約束通り早紀が入ってくることはなかった。

 きっと早紀は、春が自分の元に帰ってくることを、微塵も疑ってなどいないのだ。自分は春のために尽くしている。だから春が戻ってくるのは当然で、将来も春の隣で正しい道へと導いていくのが自分の役目。

 そんなふうに考えて、早紀は言葉通りに、春があのドアを開けて出てくるのを、得意げな顔で待っているのだろう。


「誰が戻るか、ざまぁみろ」


 窓から身を乗り出せば、風を直に感じて、その気持ちよさに、春も心が晴れわたっていくようだった。


 怖くなんてなかった。春は、最後の最後でやっと、自ら進んでやりたいと思えることを見つけられたから。

 雨海の稀有な夢に比べたら足元にも及ばない、ただの子供の嫌がらせのようなこと。そうだとしても、その行動の結果が、雨海の待つ『次』へと繋がっているのなら、あの得意げな顔を歪ませられたなら、きっといい土産話になると思ったのだ。


 怖くなんてなかった。春は『次』が楽しみで仕方なかったから。

 周りの意思決定のままに生きなければならない、まるで誰かの作品のような無意味な今回を切り上げて、大好きな雨海と一緒にやりたいことを見つけて、お互いが自分の意思で生きる意味を見つけて、手を取りあって進む。そんな『次』を、春は喉から手が出るほど求めているから。


 だから、迷いなんて春には微塵もなかった。


「キミがいてくれると、いつも心強いよ。ありがとう」


 雨海のぬいぐるみを置いて行ってくれたことに、彼女なりの優しさを感じて、春は頬を緩ませる。

 きっと雨海も、春のぬいぐるみに、こうして勇気をもらうのだろう。

 そしてこのぬいぐるみは、春にとって、ただ勇気をくれるだけのお守りではない。

 今は離れ離れになって、悲しみの中にいる二人。だからこそ『次』は、初めから一緒にいたい。

 きっと、このぬいぐるみがその願いを叶えてくれ、すぐに最愛の人と引き合わせてくれる。春にはそう思えたのだ。


 そんな大切なぬいぐるみを、これから何があっても離してしまわないように、春は握る手に力をこめる。

 ただし、あの白く、か細い手に触れるように注意して、大好きな彼女に痛いと言われてしまわないように。

 それから、


「待ってて、ここからなら、すぐ次に行けるから」


 春は希望をその胸に抱き、雨海が待ってくれている『次』へと向かった。あの日、小指を絡めて交わした約束のとおりに。

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最終話のサブタイトルえっぐ… 幼さと危うさだなあ
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