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22話

 パルネア首都にいるビュゼフ将軍は、海軍提督カルニーツァからの書簡を手にしていた。

「珍しいな、あのやんちゃ坊主が弱音を吐くとは」

 老眼鏡を掛けたまま、「ふーむ」と低い声で唸るビュゼフ将軍。



 陸軍に三十年以上籍を置いているビュゼフ将軍は、カルニーツァ提督のことはよく知っている。先帝の代にはまだ海軍は整備されておらず、帝室の私掠免状を与えられた私掠船が主な海上戦力だった。

 カルニーツァ提督は若いが、私掠艦隊の一員として実績を積んでいる。海賊としての腕前は確かだ。



 ビュゼフ将軍の副官が口を挟む。

「今は陸軍の戦力維持が急務ですし、海軍の書状など捨て置かれてはいかがでしょうか? 相手は海賊提督ですよ」

「いや、カルニーツァの坊やは乱暴者だと思われているが、乱暴なだけでは海賊として生き残れない。長く生き残る海賊は例外なく慎重だ」

「軍人と同じ、ということですか」



 副官の言葉にビュゼフ将軍はうなずく。

「彼が常勝無敗と呼ばれているのも、勝てない相手には決して勝負を仕掛けないからだ。負けそうならさっさと退き、勝てるときに逆襲する。ある意味、理想的な軍人だよ」

 そう言ってビュゼフ将軍は書状を読み直す。



「その彼が勝てないと言っているのだから、本当に勝てないのだろう。彼は意地っ張りだが、陛下から預かった艦隊を何よりも大事にしている」

「では沿岸部からのロイツェン攻略は不可能ということですか」

「そうだな。まあ彼の艦隊が洋上で頑張っている限り、ロイツェン艦隊の攻勢に怯える必要はあるまい」



 そう言ったとき、ドアがノックされて下士官が入ってくる。

「閣下、北部方面の偵察隊より緊急報告です。ロイツェン軍がパルネアとの国境地帯に集結中とのこと」

「その口振りでは、国境防衛の為ではなさそうだな」

「はっ。野戦の演習をしている他、防寒着や弾薬を大量に輸送しているのを確認しております」



 ビュゼフ将軍は顔をしかめたが、続けて質問する。

「他に情報は」

「マリシェ公女が軍勢を率いているとの噂があります」

「誤報や影武者ではないな?」

「確認は取れておりませんが、クロツハルト紋章官が来ているのは間違いありません。憲兵隊員を随行させて確認しています」



 マリシェ公女に陰のように従う謎の異邦人・クロツハルト。その存在は徐々にグライフ帝国の関係者に知られるようになっていた。

 ビュゼフ将軍は陽動や誤報である可能性も考慮した上で、改めて沈思黙考した。

(この動き……我が軍の後方輸送路を遮断するつもりか)

 彼は職業軍人の常として、自分の職責における優先順位を整理する。



(私が絶対に避けるべきことは、パルネア占領に失敗することではない。陛下よりお預かりした軍を喪失することだ。南征の為に編成された軍団を喪失すれば、自動的にパルネア占領も失敗する。さらに我が帝国は南征の機会を当面失う)

 その上で、ビュゼフ将軍は軍団喪失の可能性について検討する。



(今回の動きが陽動や誤報だとしても、我が軍はこれからも弾薬不足と輸送路遮断に怯え続けねばならん。事態を解決するには輸送路の安全を確保した上で、弾薬の輸送を待たねばならない)

 怒濤の勢いで思考を巡らせる将軍。

(これらの作戦に必要な期間は、増派戦力の準備も含めて約半年。冬が来てしまう。積雪と凍結で輸送はさらに困難になる。何より、あのロイツェンが黙って見ているはずがない)

 結論はすぐに出た。



「全軍に通達。ただちに作戦行動を中断し、各師団の司令部に集結。集結後は相互に支援しつつ、帝国領内への退却を開始せよ」

「えっ? あ、いえ、ただちに通達いたします!」

 下士官が敬礼して走り出すと、副官が驚いた表情で詰め寄ってくる。

「閣下、何もそこまでしなくても。まだロイツェンの出方は不明です」



 しかしビュゼフ将軍は首を横に振った。

「むしろ逆だ。そちらの疑問は解決している。マリシェ公女……いや、軍師クロツハルトの仕業か」

「どういう意味です? まだロイツェン軍は動いていません」

「とっくに動いていたのだよ。パルネア人たちを使ってな」



 聖灯教徒という大きなくくりで見渡せば、聖灯教勢力の動きは完全に連携している。パルネア人たちによる襲撃や輸送妨害。そして各地で頑強に続く領主たちの抵抗。

「パルネア貴族たちが我々に対して遅滞戦術を行い、その間にパルネア民衆が輸送妨害や襲撃で我が軍の弾薬を枯渇させる。仕上げはロイツェン軍だ」

 弾薬を消耗しきったグライフ軍に対して、万全の準備を整えたロイツェン軍が動き出す。

 それも直接攻撃ではなく、本国との輸送路を分断する動きだ。



「クロツハルトは我々と本国を切り離すつもりだ。我々は本国に帰還することもできず、補給も受けられずに敵地に孤立する」

「孤立するといっても、パルネアの領主軍は旧式な上に小規模でバラバラです。物の数ではありません」

「弾薬を使い切った後でも、そう言い切れるかね?」



 グライフ兵は射撃に長けているが、槍や弓は使えない。そんな訓練は受けていないからだ。だから弾薬がなければ戦えない。

 一方、パルネア兵は剣だろうが棍棒だろうが、白兵武器を振り回して戦うのは得意中の得意だ。

「パルネア人が一斉蜂起すれば我々の弾薬は十日で無くなるだろう。本国からの指示を仰ぐ猶予すらない。国王から農民に至るまで、パルネア人は恐れを知らない。何人撃たれようが戦いをやめないだろう」



 パルネア王は最後まで降伏を拒み、剣を取って戦い続けた。弾薬集積所に襲撃をかける敗残兵や農民たちも命がけだ。

 ビュゼフ将軍は溜息をつく。

「パルネア王が最後まで降伏しなかったせいで、この国はまだ帝国領にはなっていない。貴族も聖職者も民衆も、誰も我々を支配者だと認めていないからな。我々は陛下の狩人として鹿をしとめたが、肉を切り分ける前に狼がやってきた」



 パルネア各地に散らばる残党と、ロイツェンの正規軍が協力関係にあるとすれば、グライフ軍に勝ち目はない。グライフ軍の全ての動きはパルネア人が見ている。手の内を知られていては戦争にならない。

 副官がふと、思い出したように質問する。

「海軍はどうしましょうか? 一応、連絡や協力要請をしますか?」



「連絡はもちろん必要だ。だが協力要請は無意味だろう」

 ビュゼフ将軍はそう答え、地図を示す。

「海軍の船で脱出できれば理想的だが、港までの安全が確保されていない。海軍の艦船が今、どこの港にどれだけいるのかもわからない。それに港に到着後、何かの事情で船に乗れなかった場合には致命的な事態を招く」

 この連携の悪さも敗因のひとつだと、ビュゼフ将軍は改めて痛感する。



 その上で、彼は副官に命じた。

「事態は一刻を争う。君は参謀たちを召集したまえ。ここも引き払う」

「はっ」

 副官が慌ただしく走り去った後、ビュゼフ将軍は腕組みして目を閉じた。

「まんまと俎上に乗せられたか。……見事だ」

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