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第76話 先輩のこと、好きですか?

 久しぶりに浴びた日光で、目まいがした。

 体力もすぐに限界を迎え、息が切れて、何度もアスファルトの上に倒れそうになった。

 でも気力でなんとか持ちこたえ、ゆっくりながらも歩みを進める。

 

 駅までたどり着き、電車に乗った。

 息を切らしてフラフラしている寝間着姿の女子高生は周りから異様に思われているかもしれない。

 

 ……周りの目など、どうでもいい。

 

 私が立ち直れていたら仕返しを画策することはなかった。

 そう、先輩は私のせいで退学になったのだ。

 

 電車を降りた。

 半年ほど前の夏を思い出す。

 江戸サマーランドからの帰り、先輩の背中を追いながら璃莉と手を繋いで走った道だ。

 少しの混乱はあったけど、楽しさを感じたひとときだった。

 そこを……今はひとりで歩く。

 寒空の下。楽しさなど、微塵もない状態で。

 

 最後の力を振り絞り、マンションの階段を上がる。

 ようやく、先輩の家に着いた。

 壁に手をつきながら、インターフォンを押した。


「……」


 応答がない。もう一度押す。


「……」

 

 また応答がない。いてくれと願いながらもう一度。


「……はい」

 

 先輩の声……か?


「月上京花です」


「……京花ちゃん……来てくれたんだ……」


 少し違うような気もしたが、先輩の声だった。


「……ちょっと待っててね」

 

 言われた通り待つ。

 ちょっとか。


「……」

「……」

「……」

 

 ちょっとどころではない。

 かなり待つと、ドアが開いて、先輩が現われた。

 そしてその表情を見て、


「――っ」


 私は絶句した。

 先輩は大きく目を腫らし、鼻も頬も赤くなっている。

 ついさっきまで、ずっと泣いていたのだろう。

 なかなか出てこなかったのは涙を止めるため。

 インターフォンで聞いた声に違和感を持ったのは、涙声だったからだ。

 

「あ、あの……せ、先輩……」

 

 開口一番、まず謝ろうと思った。

 でも声が出てこない。いつも前向きな先輩のこんな姿、初めて見た。


「京花ちゃん、私のこと聞いた?」

 

 返事の代わりに、頷く。


「そう、あはは、退学になっちゃった……」

 

 無理に明るく振る舞おうとする先輩を見ていられない。


「ごめんね。力になってあげられなくて」

 

 謝るのは先輩ではなく、私の方だ。


「ごめんなさい。私のせいです」


 ようやく口を開くことができた。

 それを聞いた先輩はぶんぶんと手を横に振って。


「京花ちゃんのせいじゃないよ。だから自分を責めるのはやめて。退学になっても高卒認定試験に合格すれば、大学受験に挑戦できるから、今までの努力が無駄になったわけじゃないし……」

 

 私を気遣う言葉を紡ぎながらも、先輩の顔はどんどん歪む。

 そして言葉を止めて、また涙を流し始めた。


「でも高卒認定試験っていつあるんだろう。浪人になっちゃうのかな。そんなお金ないよ。あと高校退学って就職に響くのかな。いい企業に就職してお母さんに楽をさせてあげたいのに、できるのかな……」

 

 泣きじゃくって不安を吐露する先輩はこの世の絶望と言わんばかりに震えていた。


「それに、できることなら、お母さんが必死になって行かせてくれた学校を、中高の六年間も通った学校を、大好きだった学校を、ちゃんと卒業したかったな……」

 

 かけるべき言葉が見つからない。

 呆然と、先輩の前で立ち尽くすことしかできない。

 

 やがて先輩はハッと私を見て、涙を拭いながら。


「ごめんね京花ちゃん。今のは忘れて。本心じゃないから……」

 

 だれだって見抜ける、わかりやすい嘘だ。

 先輩は本心で不安を抱き、本心で涙を流した。

 だからこそ、私の心にも堪えた。


「今日はここでバイバイしてもいいかな? 私もちょっと、疲れちゃってさ……」

 

 そう言いながらまた涙ぐんでいる。

 涙を我慢できそうにないのだろう。

 私は頷く。


「じゃあね、京花ちゃん」

 

 パタンと、扉が閉まった。

 その扉をしばらく眺める。この奥で、先輩は泣いているのだろうか。

 

 ああ……。

 ああ……。

 ああ……。

 

 まず璃莉、その次は師匠、そして先輩。

 私の大切な人達が、どんどん不幸になってゆく。

 もはや怒りも悲しみも後悔も消えて、私は抜け殻のようになっていた。

 生気を無くした目で、フラフラと先輩の家を後にする。


 その道中、先輩との思い出が頭をよぎった。



 ――『君! 新入生だよね!』――



 ――『そうか……結局京花ちゃんは剣のことしか興味がないんだね』――



 ――『そう。普通は人それぞれ違うんだよ』――



 ――『変だなんて思わないよ。だってお互いに好きなんでしょ? それが一番じゃん』――

 


 強引に竹刀を押しつけられ、道場へ強制連行された。

 これが剣道を始めることになったきっかけ。

 

 高等部に進学した直後、少し仲違いした。

 だが、それは私を心配してくれてのことだと、夏休みに再会したとき分かった。

 

 そして、『普通』に定義がないことを教えてくれて、璃莉との恋を心から祝福してくれた。

 

 感謝してもしきれない、私にはもったいない先輩。

 そんな先輩は今、どん底にいる。

 もし、そこから救える人がいるとしたら……。


 望みを繋ぐために、鞄からスマホを取り出した。

 バッテリー残量はごくわずか。一週間も放置していたから、残っているだけありがたい。

 レインを開いて、フレンド欄のとある1人に目を付けた。


『剣崎誠士郎』


 発信ボタンを押した。

 先輩を救えるのは、この人しかない。

 



『よう月上』


 


 しばしの呼出し音の後、剣崎さんは電話に応じてくれた。 


『いいときにかけてくるじゃないか。今ちょうど――』


「それより、私から話したいことがあります」


 なにがいいときだ。

 なんの用件があるのかは知らないが、今はその嬉々とした声を受け入れられる状況にない。

 だから遮断し、本題を切り出す。


『ん? 急な用でもあるのか?』

 

「あります」


『なんだよ?』


 私は一呼吸置いた後、振り返って先輩が住むマンションに目を向ける。

 電話の向こうにいる剣崎さんに、あの中で悲しみにくれる女の子を救ってほしい。


「剣崎さん」と呼びかけた私は、問うた。


「先輩のこと、好きですか?」


『ブフォ!』


 なにか飲んでいたのか、それを吹き出す音を拾った。

 

 遠い声で『汚えな誠ちゃん』『ちょ、黙ってろ大地』なんてやりとりが聞える。


 今、男友達といるのだろうか。


『ゲホッゲホッ……つ、月上お前……急に何を……』


「先輩のこと、雅さんのことが好きかと聞いているんです。答えてください」


『いやいやいや、なんでお前に……』


「早く、答えてください。お願いします」


 ふざけた気持ちなど微塵もない真剣な声が、電話の向こうにも通じたようだ。剣崎さんは黙った。

 

 私がもう一押し、電話相手にもかかわらず「お願いします」と頭を下げると、剣崎さんは『ふう……』と大きく息を吐いた後、


『好きだよ』


 照れくささを込めて言った。


『最初出会った時は意識なんてまったくしなかったけど、雅のやつ、信じられないくらい真っ直ぐで努力家でさ。勉強も、俺に対する好意も、常に全力なんだよ。勢いが凄すぎて引く時もあるけど、近くでいるうちに段々と、その、あの、か、可愛いなって思うようになっちまって』


 徐々に小声になっていったその声は、しかし私にしっかりと届いた。


『こ、これでいいか! 月上!』


「いや、好きかどうか確認しただけで、経緯や理由まで聞いてませんけど」


『だあー! そういやそうだった!』


 勝手に色々と話してくれた剣崎さんは『でもよ』と急に声のトーンを落とす。


『実は雅、ここ一週間くらいバイト先に来てないんだ。嫌われるようなことでもしたかな……』


「それ、今回電話した用件に大きく関わりがあります」


『なに? 雅になにかあったのか? 雅はなんと言ってるんだ?』


「自分で確かめてください」


『お前なあ……』


 剣崎さんは呆れたように嘆息して、言葉を続ける。


『それができないからお前と連絡先を交換したんだろ。雅は携帯を持っていないから自分で確かめる事なんて無理だ』


「○○〇区 ×××マンション △△△号室」


『はあ?』


「もう一度言います。○○〇区 ×××マンション △△△号室」


『なんだよそれ』


「先輩の家です」


『はあ⁉』


 剣崎さんは驚きの声を上げた。


「電話じゃなく、会ってあげてください」


『いや、でも、招かれてもいないのに……』


「会ってあげてください。声を直接聞いてあげてください。そばにいてあげてください」


 真剣な声に、またも剣崎さんは押し黙った。


「お願いします」と言うと、しばし沈黙が流れたのちに。


『わかった。行くよ。今すぐ行く』


 その言葉に、私は少し安堵を覚えた。


「ありがとうございます。インターホンを鳴らして応答がなくても、しばらく粘ってみてください。先輩はきっと家にいますから」


『あ、ああ、わかった。それと……』


「それと?」


『大丈夫か? 雅もだが、お前もだ。声しか聞けないが、なんだか様子がおか』


 声が途切れたスマホの画面を確認してみる。真っ暗だ。


「大丈夫ではない先輩を救ってあげてください」


 充電切れのスマホに掛けた言葉は、誰に届くことなく消える。


 でも、剣崎さんならきっと成し遂げてくれるはずだ。


「私はどうあがいても、大丈夫とはなりませんけどね」


 最後にそう呟いて、スマホを鞄の中にしまった。

 冷たい風が吹く寒空の下を、またフラフラと歩き出す。

 

 

 剣崎さん、好きな人のそばにいてあげてください。

 私には、それができませんでしたから。



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