第66話 先輩の一目惚れ
先輩の様子がおかしい。
剣崎さんを相手にした途端、いつもの軽い調子が消え失せた。
あれは多分……惚れている。
そうとしか考えられない。
一ツ橋大生に対するただの憧れという線も考えられなくはないが、可能性としては薄いだろう。
だって先輩は剣崎さんが一ツ橋大生であることを知る前から様子がおかしかったから。
あの真っ赤な顔と声や身体の震えは恋だ。
思えばかつて『つ、つつつつ月上京花です!』と璃莉に自己紹介をした私と同じである。
それにしても、一目惚れなんて安直だな。
……って、それこそ私が言えた口ではない。
私も、まるで運命に導かれるが如く、璃莉を一目見て惚れた。
それから少しずつ距離を縮めていって、紆余曲折ありながらも最後には恋を成就させ、今に至る。
「あ、あの、握手してもらってもいいですか⁉」
うわっ、かなりこしゃくな方法で距離を縮めている!
私なんて璃莉と手を繋ぐのにどれだけの時間を費やしたと思っているんだ!
「握手? まあ、いいけど……」
剣崎さんは首をかしげながらも先輩が差し出した手を握る。
男性的な大きな手に包まれて、先輩は「ふあぁ……」と恍惚とした表情だ。
わかりやすい人だな。
「えーあのーこほん」
場を仕切り直すかのような咳払いをしたのは今までほったらかしにされていた社長だ。
そういえばいたな、と思うくらいには空気となっていた。
「剣崎君、聞いての通り私の姪は受験生だ。しかも君と同じ大学を志望してる。だからここはひとつ、彼女の家庭教師をお願いできないかな? うちの母屋を使っていいからさ」
ほう、これはこれは……。
心の中で唸る私。
先輩の肩は飛び上がり、剣崎さんは驚きの目を社長に向ける。
「え? 俺が勉強を教えるんですか?」
「うん。むろん、その時間のバイト代は出すよ」
「はあ、それなら俺は構わないですけど……」
剣崎さんは先輩を見る。
「君はいいの? さっきも言ったように、俺、ぶっちぎりの成績で合格したわけじゃないよ」
「ぜ、ぜぜぜぜ是非! お願いします!」
「そう? ならいいけど」
先輩はパァッと、これ以上ないほどの喜びを見せ、剣崎さんと共に母屋へ向かって行った。
右手と右足、左手と左足を同時に出しながら。
本当に、わかりやすい人だ。
その姿を後ろで眺めていると、社長が口を開いた。
「少しは力になれたかな?」
「狙ってやったんですか?」
「もちろん。わかりやすかったからね」
ですよね。
社長は「はあ……」とため息をひとつ挟む。
「本当は金銭面で力になってあげたいんだけどね。でもうちは社長の私が作業着を着て働かなければならないほどだからそんな余裕もなくて……。いやはや、情けないなあ」
働いても大きな利益は出ない。
中小企業にありがちな、いわゆる自転車操業だ。
その現状に社長は嘆き、またため息を吐いた。
「でも先輩は感謝していると思います」
「そうかなあ……そうだといいね」
「絶対していますから、安心してください」
「ははは、そんなに断言してくれるとは。心強いね」
目を細めた社長の表情に、どこか見覚えを感じた。
……ああ、そうか、師匠だ。
その笑みは、かつて様々な手立てで私と璃莉を引き合わせてくれた師匠と重なるものがあった。




