第59話 彼女がいます
「なんだ今のは……痛たたた……」
面を脱いだ剣崎が苦悶の表情を浮かべた中、私は社長へと視線を向ける。
話を本題に戻すためだ。
「ここで働かせてくれますよね?」
「え、あっ、はい……。よろしくお願い致します……」
「短期間ですが、それでもいいですか?」
「そ、そりゃもうご自由になさってください。折れた竹刀も私があとで片付けておきますね……。」
社長は目を泳がせて敬語。見るからに気まずそうだ。
自信満々に剣崎を紹介して勝負をふっかけたのはこの人だから、気持ちは理解できる。
こちらとしては、力を過小評価されたことなど、もう気にしてないのに。
「あっ、剣崎君、働くにあたって色々と教えてあげてよ」
社長はおもむろにそんなことを言い出した。
「……えっ、俺がですか?」
「一度剣を交えた仲だしいいでしょ? じゃあ私は仕事に戻るから。あー忙しい忙しい」
そそくさと去って行く社長の背中を眺めながら剣崎が、
「社長め、相手をするのが嫌で逃げやがったな……どんな顔して教えたらいいんだよ……」
と顔をしかめて呟いた。
私の耳にもばっちり届いている。
続けて剣崎は私を一瞥したかと思うと、すぐさま視線を他所へやり、押し黙る。
同じくこちらも一言も発さずにいると、やがて「はあ……」と大きなため息をついて、
「しゃーねーか」
そう呟いて顎で道場備え付けの更衣室を指す。『着替えてこい』と指示しているのだろう。
何も言わずそれに従った後は、すでに作業着に着替え終えて待っていた剣崎の後を追った。
道場を出て工場へ移動。そこで施設や業務内容の説明。
最中、剣崎は必要以上の言葉を発さなかった。ここでのアルバイトの役目や仕事の流れ、休憩室や更衣室の場所と簡単な使用方法などを淡々と説明したに留まる。
しかし大方の施設を巡ったあと、最後に訪れた誰もいない小さな食堂で、
「さっきは、悪かったな」
口元をもごもごさせながら照れくさそうに、謝罪の言葉を告げた。
「いえ、今となってはまったく気にしてませんから」
「まったくって……」
正直に告げた私に対し、剣崎は額に手を当てて呆れたように。
「ちょっとは気にしろよ。俺は二度と忘れられないぞ。女子高生に煽られて、挙げ句得意な剣道でボロ負けしたことなんて」
「それはまあ、災難でしたね」
「他人事みたいに言うな。てか、甘く見たことに関しては俺が悪かったけど、言葉遣いは相当エグかったぞ、お前」
たしかに。
今思い返してみると、よくあれだけの煽りが口から出たなと、自分でも思う。
そういう素質があるのだろうか。ありがたくない素質だ。
「それはまあ、ごめんなさい」
「今回はお互い様ってところだな」
「私の方が強いことに変わりないですけどね」
「そこは意地でも譲ろうとしないんだな」
剣崎は「ふっ」と小さく笑って、「でも事実だ」と明るく告げた。
その潔さはスポーツマンとして褒められるものだろう。
「それで、感想戦とは言わないが……」
剣崎は一変して真剣な眼差しを向ける。どうやら先ほどの試合の話がしたいらしい。
「あの奇妙な型から繰り出される力はどんな稽古で身に付けた? 頭に岩でも落ちたのかと思うほどの衝撃だったぞ。面をつけていたのに」
「私の剣は示現流です」
端的にそう答えると、剣崎は顎に手をやる。
「示現流? 聞いたことがあるような、ないような……」
「古流剣術のひとつで、あの独特の構えは蜻蛉と呼びます。厳密に言えば構えではないのですが……」
「ほう、それはどういうことだ?」
興味津々といった様子で尋ねる剣崎に、私は丁寧に答えてやった。
質問は一つ二つに留まらず、示現流の信条や日々の稽古の内容まで多岐にわたる。
そこにあるのは剣士としての純粋な知的好奇心で、ときおり新しいことを知った子供のような驚きと笑顔を見せる剣崎に、私自身、嫌悪感というものはまったく感じなかった。
なんだかんだ、私と剣崎は剣の道を志す者同士。
根本は馬が合うのかもしれない。
「ところで、なんでまたバイトなんて始めたんだ? 大事な稽古の時間が減るだろ」
知的好奇心を満たし終えたのか、剣崎は少し話題を変える。
「欲しいものがあるんです」
「欲しいもの? いい用具を揃えても稽古の時間が減ったら意味ないだろ。俺みたいに暇な文系大学生ならともかく、高校生なら学校も忙しいだろうによ」
欲しいものが剣道用具と決めつけるこの人はどれだけ脳が剣道一色になっているのだろうか。そうとうな剣道バカだ。
でも、昔の私は同じだった。
強さと美しさを剣に求め、脇道に逸れることなくただただ剣の道を走っていたあの頃は、誰よりも剣道バカだったと自覚している。
「恋人へのクリスマスプレゼントが欲しいんですよ。そのためにバイトを始めました」
だから今、こんな風に変わった自分を少しだけ可笑しく思う。
嘘偽りなくはっきりと告げると、剣崎は目を丸くした。
「恋人⁉ お前に彼氏がいるのか⁉」
「彼女がいます」
「……はあ?」
「私の恋人は同性ですから。れっきとした彼女です」
「あー……なるほど……そっちか……」
『そっち』という言葉に侮蔑の意味は込められていないように感じた。
ただ自分とは違う普通に少しだけ戸惑いがあり、言葉で上手く表現できないだけなのだろう。
その証拠と言うべきか、剣崎は一度「うん」と頷いて、「お前の感じだとむしろそっちの方がすんなりくるな」と軽い口調。
「どういう意味ですか?」
「武士みたいなお前の恋人になれる男なんかいないってことだ」
それは褒めているのか、それとも貶しているのか。
少なくとも女子高生に向ける言葉ではない気がするのだが、発言の主が剣道バカであることを鑑みると、最大級の褒め言葉なのかもしれない。
「どうせ年下で可愛い系の彼女とかだろ」
「正解です」
言葉はかなり足りないが。
正確には『年下で、天使を凌駕し女神すら霞みこの世の生きとし生ける者の中で可愛さの頂点に君臨する、彼女』
それが璃莉だ。
「ふん、やはりな」
ギリギリの正解にもかかわらず、剣崎は得意げに笑った。
そして続けざまにこんな話を切り出した。
「もしお前の恋人になれる男がいるとすれば、あいつみたいな完璧超人だな」
「あいつ?」
想像もつかない三人称に首をかしげると、剣崎はその名を告げる。
「フィールドのプリンスだ。今、流行ってるだろ」




