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拝啓スノードロップ  作者: 梨乃実
第X章 伝承
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正典:岐路編 #3 祝え、呪え Ⅲ

 ずっと耐え忍んでいると、やがて痛みに気づけなくなる。そうして歪み果ててから後悔したところで、取り返しなどつくはずもないのだ。


 折角の休日だが、今日は娘のリリャを同僚のクッカに預けた。休みに寄越してくるなんて珍しい、と彼女は下品な笑いを浮かべる。「想像していることと違う」と説明しても、彼女はにやついたまんまだ。おまけに「二人目ができるといいわね」なんて騒ぎ立てる。憂鬱だ。私は彼女の勢いに押し出されて、足早にカフェへ向かった。


 店に入ると、奥で座っていたフィーリクスが新聞を閉じる。わざとらしくネクタイを緩めると、甘えた声で私を迎える。


「キエロ、寂しかったよ。見てみろ、周りの客は誰も背広なんて着ていない。おかげで気が休まらなかった」

「ごめんなさいねフィーリクス。あなたが仕事に行ったことにしておかないと、リリャが騒ぐと思って」

「違いない」


 そう言って、フィーリクスは地図を取り出した。


「その地図は……レトンニエミの森のものかしら」

「ああ。ちょっとばかり、な」


 フィーリクスは唇に人差し指を当ててウインクをしてみせる。職場で写してきた、と言いたいのだろう。だから精密そうな見た目をしているのだ。

 彼の仕事は水力発電所の建設なので、森林の地形図や魔素の濃度を記した地図がいくらでも手に入る。フィーリクスは紙面に描かれた沢を辿って指を這わせた。


「キエロ。この前教えてもらった場所というのは、この辺りだろうか」

「ええ。間違いないわ」


 フィーリクスは頷くと、赤いインキを走らせる。男女が最後に目撃されたという場所、被害者の持ち物が見つかった場所、小道――ひとしきり書き終えると、フィーリクスはもう一枚の紙と重ね合わせた。そして唸る。


「嫌な場所だな」

「どうして?」


 彼は無言で肩をすくめる。店員からミルフィユ(オペラ)とコーヒーを受け取ると、美味しそうに食べ始めた。私が戸惑って手をばたつかせても、彼は軽快な音でパイ生地を崩すだけだ。

 しばらく沈黙が続く。フィーリクスのことだ、何か目的があるのだろう。近くの席の客が掃けた頃、フィーリクスは唐突に口を開いた。それは久しく聞いていなかったサクサの言葉だ。


「魔素が過集中している」

「魔素の? それがどう――」


 フィーリクスがシッ、と息を強く吐き出す。私がカレヴァの言葉で喋ったせいだろう。記憶を手繰り寄せ――たどたどしくなってしまうが、サクサの言葉で返した。


「魔素が過集中しているのが、どうして『嫌な場所』になるのかしら」

「魔術の特性による問題だ」


 彼は深刻そうな声色では喋らない。コーヒーを指したり、ミルフィユの乗っていた皿に目をやったりしている。


「兵器を作ったり扱ったりする人間がやるような話だから、あまり大声では言えない。だがキエロには説明しておいた方がいいだろう」


 フィーリクスは楽しげな語気で説明する。相変わらず器用な人だ。


「軍用魔術も含め、大概の魔術は自らの体内にある魔素を消費するだろう」

「ええ、そうね」

「そういう魔術を使って発動する魔法は、魔素が過集中している環境に弱い。魔法が使えないこともあれば、魔法が暴発するリスクもある」


 学校で耳にしたような――確かにうっすらと記憶がある。


 ふだん街中で魔法を使う分には気にならない。しかし今回の――レトンニエミの森のような、魔素が非常に多く存在する場所では、魔法の扱いは充分に注意しなければならないと。急流に逆らって泳げないことや、ガスが充満した場所で火をつけてはいけないことと同じ。無謀かつ危険なことだと教わった。


「だが」


 フィーリクスは二枚並べた紙を示す。一方は赤い印のつけられた地図、もう一方は――等高線のような、しかし地形とはいまいちかみ合わない線が描かれた地図だ。彼の説明から察するに、魔素分布の粗密を示しているものだろう。


「キエロの言い分が正しいとするなら、呪術は寧ろそういう、周囲にある魔素が多い場所ほど扱いやすいはずだ。一般的な『魔術の痕跡』が残らないのなら、恐らく体内の魔素を使っていないのではないだろうか。なら、別のところから魔素を供給する必要がある。まあ……どれもこれも素人の仮説ではあるがな」


 フィーリクスが指で示した場所は、線がぎゅうぎゅうに描きこまれている。事件現場と同じ場所だ。いびつな円には何やら数値が添えられていて、他のところに書かれた値よりも大きい。偶然だろうか、それとも――


「何にせよ、事件現場で呪術が使われていなければいいんだ。すべて俺の邪推だからな」


 フィーリクスはコーヒーを一気に呷った。地図を手早くまとめて、空間の割れ目に放り込む。


「さて、キエロ。たまにはデートに行くか?」


 代金を店員に渡して、彼は少し訛りの残るカレヴァ語で囁いた。こちらに手を差し伸べて待っている。


「今日はどこへ連れて行ってくれるのかしら」

「そうだな。たまには森を散策するのもいいんじゃないか?」


 互いに固く手を握り合う。行き先はレトンニエミの森だ。



 雨が降り出しそうな曇天の中、車を走らせる。無言のまま二十分も進めば、散策路の入口までたどり着いた。

 私とフィーリクスは、白樺に囲まれた渡し板の上を歩く。気持ちの良い秋の季節もいつの間にか過ぎ去り、まだ昼間だというのに随分と肌寒かった。目につくところの苔桃はほとんど摘まれてしまっていて、いよいよ冬の気配を感じる。


「――ここか」


 フィーリクスが足を止める。彼は瞬きをして金色の瞳を元の碧眼に戻した。


「今キエロの立っているところが、魔素の過集中している場所の一つだ。そして」

「警官の彼に教えてもらった……行方不明者の持ち物が見つかったという場所」


 ここでアルマスが呪術を使っていなければいい。そうすれば私の疑問はすべて晴れる。弟は偽りの新聞記事なんて書いていない。そして事件に関与なんてしていない。いま話題になっている失踪事件はただの魔法犯罪で、弟は新聞記者として、そして研究者として街の平和のために尽力している。


 ただそれだけの話だ。


 懐から小瓶を出し、口をあける。胃もたれしそうなほど甘ったるい、強い魔素の香りが漂った。いまだ怪しい輝きを失わずにいる血を、優しく垂らす。地面に金赤の血が染み込んでいく。


「言葉は彼の口から零れ、詩歌は波と押し寄せる。さあ共に手を取り合おう、再び詩歌を語り合おう」


 歌うように、訊ねるように、昔聴いた音階をなぞる。あの日見た光の帯は立ち上らない


 ――はずだったのに。


「そんな」


 ゆらゆらと淡く光っていた魔素はだんだんと強く煌めく。光の帯は雪の結晶のように枝葉を伸ばしていき、やがて私たちを取り囲んだ。


 弟は、ここで呪いを使っている。


「キエロ、これはどういうことだ」


 あり得ない。弟に限ってそんなことはあり得ない。


 私から見て疑わしい言動はしていたけれど、それは私の知識が古いだけのはずだった。ここへ確かめに来たのも、弟が呪術を使っていないことを、私が憶えていたやり方がなんの意味もない遊びだったことを証明するためだ。


「嫌。そんなのは嫌……」

「キエロ、説明してくれ」


 フィーリクスは私を抱きしめて、その大きな手で背中をさする。薄れゆく魔素の光を眺め終わって、私はようやく深呼吸ができた。


「ここで、アルマスが呪術を使っていたの」


 フィーリクスの表情に影が落ちる。


「それで、どんな呪術を使ったのかは分かるのか?」

「いいえ、そこまでは読み取れない。けれど……」


 私が言い淀んだので、フィーリクスは首を横に大きく振った。


「この光が呪術によるものなのは間違いがないのか」

「ええ。呪術は少しでも間違えれば魔素をこんな風に動かせない。つまり、私の記憶は正しかったということになるわ」


 フィーリクスは軽く舌打ちをする。私の涙を指で拭うと、まるで自らを説得するように言った。


「まだアルマスが事件絡みで呪術を使ったとは断定できない」


 焦点の合わない彼の瞳に、鋭い光が灯った気がした。


「俺が調べてくる」


 私はその言葉に頷き、縋りついた。


 




 ***


 キエロを家に帰して向かう先は、アルマスの暮らすアパートだ。街の中でも特に活気のある地区で、必然人通りも多い。


「親友の家とはいえ、不法侵入は気が引けるな」


 いつもと違い、魔法で転移する先は玄関ドアの内側だ。左の瞳に意識を向けると、ほのかに熱を帯びる。ぼやけていた輪郭が急に鮮明になった。透過する家々を意識の外へ追いやって、アルマスの借りている部屋を見つける。家の中は魔素が充満していてよく見通せない。


「何もなければいいんだ、何も」


 空間の点と点を強引につなぎ合わせ、一歩踏み出す。自宅の裏庭からアルマスの家へ。景色は一瞬で塗り替わった。


「相変わらず、あいつはどうやって生活しているんだ」


 入ってすぐの部屋は殺風景極まりない。簡素な木のベッドと椅子、小さな丸テーブルだけがある。戸棚を開けると今日の分のパンが少々。あとは開封されていないビールが一本。ただそれだけだ。よく掃除はされているし、アルマスなりの几帳面さは伺える。しかしまともに生活できているのか心配になるほど、うら寂しい部屋だった。


 これ以上の詮索は、本当ならしたくない。


 クローゼットの隣、奥の部屋へ続く扉は閉ざされている。魔法を使って中を軽く覗き見ようとしても、異様なほど厳重に守られているせいで何もわからない。空間を見通すこの祝福まほうをもってしてもそれが叶わないとなると、いよいよ誰にも見てほしくないのだ。


「さて、何が出てくるか」


 常識的に考えれば、書きかけの新聞記事があるからとか、貴重な魔術書があるからとか、そんな理由だろう。そうじゃなくても、例えば戦時中にこっそり差し入れてくれたような大変刺激的なポルノグラフィだとか、ごく個人的な理由で見せたくないものでも構わない。


 ドアノブに手をかける。金属の冷たさが伝わると同時に、微かな痛みを感じた。不審に思い左目に魔力を籠める。ひときわ濃い魔素の霧が、煙のように視界の端を舞った。急いで追いかけると、魔素のかたまりは何の変哲もない鍵付きの手帳へ吸い込まれていく。


「まさかな」


 鍵は見当たらない。しかし魔術が張り巡らされているようには見えないし、どうやら普通に開錠できそうだ。この手帳の鍵を開けておくこと、それがドアの仕掛けを解く方法なのだろう。


「悪いな、アルマス。お前が思っているよりも、俺は数倍いたずら好きな子どもだったんだ」


 手元に針金はないが、空間を自在にずらせるこの魔法を得た今、特に道具は必要ない。シリンダを揃えると、小気味のいい音とともに手帳の鍵が開いた。中は白紙だ。


「まさかこの白紙にも仕掛けがあるのか……?」


 不安が過る。手帳の鍵をもう一度弄ろうとした――その瞬間。ドアの方から小さく物音が聞こえてきた。手帳から魔素の光が飛び出し、ドアに吸い込まれていく。ほどなくして、ドアノブがひとりでに回った。ドアが錆びた音を上げて、中の暗闇を露わにする。



 ――悍ましい光景だった。


 整然と並べられた魔術書、計測機器、試薬そして――()()()()()に漬かった魔素結晶。部屋の中は赤い瓶だらけだった。


 怪しい出どころのものではない。そう思いたかった。何か詳細の分かるものはないかと、机の上に丁寧に積まれた紙を見漁る。


「どうしてこんなことに」


 呪術の影響範囲と、軍用魔術の痕跡の推定検出範囲が描かれた地図。ラベリングされた小瓶――魔術痕跡の偽装用。知らない男の名前だ。すべての名に取り消し線が引かれた名簿。その中には、行方不明になった同僚の名前もあった。メモ書きらしき計算式は、意図した魔術の痕跡を作り出すためと思われる。「呪術痕跡に関する諸実験」と走り書きされた文書には、分光器によって観測できるおおよその光の波長が結論されており――メモに書かれた数値と相違ない。


 全て、姉とこの街を守るための段取り。魔法障壁(巨大かつ緻密な術式)を組み上げるための材料だったのだ。


 親友を庇える証拠なんて、この部屋には一切なかった。アルマスらしい整った字で書かれた紙を、何枚も何枚もめくった。めくる程に、アルマスが失踪事件を画策したことは確かになっていった。


 その時、玄関のドアが勢いよく開けられる。アルマスだ。彼は緊張した顔で問いかける。


「何故フィーリクスがここに?」

「キエロに内緒で、猥本でも借りようかと思ってな」


 返答を聞き、アルマスは意外そうに目を見開いた。彼は仕事場から急いで帰ってきたのだろう、背広は少し乱れている。


 いささか不気味な沈黙の後、彼は少し息を吐いて――微笑んだ。


「そう。お目当てのものは見つかった?」

「……ああ。俺の好みとは違うが大収穫だ」


 ――刹那、アルマスが大きく踏み込む。殺意は乗っていない。足止めをするつもりもなさそうだ。だがそれは、人間一人を屈服させるには充分な殴打。


 まともに受け止めるわけにはいかない。


 雑な転移でアルマスの部屋を出る。場所はアパートの目の前の通りだ。想定よりも高い位置に出てしまったせいで、着地で勢いよく転がることになる。


「……あまり汚すとキエロに怒られるんだが」


 久しぶりの運動だ。ドラゴン相手に土汚れだけで済んだのだから上々だろう。大通りはすぐに騒がしくなった。近くの交番から警官が顔を出す。


「警官! アルマス・ヴァルコイネンの部屋を調べろ、今すぐにだ!」


 これ以上の警告をする余裕はない。

 アルマスはベランダから軽々と跳躍し、背後に降り立った。へらへらと笑いながらネクタイを緩める。


「フィーリクス。そんなにおかしなことかな」

「は?」


 アルマスはあれだけ周到に証拠づくりをしておいたくせに、何も悪いと思っていなさそうな口ぶりだ。怒りを通り越して、寒気さえ覚える。


「だって、姉さんの言いつけを守るのが一番。二番目は、姉さんをドラゴンの脅威から半永久的に守ること」

「アルマスがそれを重んじていることは理解しているつもりだ。だが、お前は、自分が何をしたか分かっているのか?」


 いくら姉を大事に思っていても、アルマスの行ったことは凶行に他ならない。それなのに、彼は呆れたように首を振るだけだ。


「姉さんが早く出て行けというから、かなり工期は短縮せざるを得なかった。結果的に僕の魔力だけでは足が出てしまうから、少々別の手段で補おうとしただけだ」

「補うって……そのために人を殺めたというのか」

「申し訳なかったけれどね。でももちろん、魔法障壁の強度は妥協していない。ドラゴンが暴れた程度では破ることのできない障壁だ。それが半永久的にこの街を守る」


 対峙した親友は、まるで別人のようだった。昔から妙に頑固だったが、それでも優しい奴だったのだ。それが今や――


「お前の姉のためとはいえ、到底許されることではない」


 呟くと、アルマスは薄ら笑いをやめる。静かに閉じられた瞼がゆっくりと持ち上げられ、強く輝く青の瞳が覗く。


「許しを求めるつもりはないよ。僕のやったことは明確な罪だ。そんなことはとうに理解しているよ。でも――」


 空気が低く振動する。周囲の魔素が彼の強い魔力に引っ張られているのだ。青白い光を放ちながら、アルマスの右手に水滴が集まっていく。


「――いま一瞬の犠牲なんて、些末なものじゃないか」


 魔力と水で編み上げられた透明な剣が揺らぎ、形作られていく。

 切っ先はこちらに向けられていた。


「フィーリクス、僕は言ったはずだ。好きなようにやるって」



 彼の鋭利な言葉とともに、ぽつり、ぽつりと氷雨が降りはじめる。

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