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拝啓スノードロップ  作者: 梨乃実
第X章 伝承
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正典:岐路編 #2 巷説 Ⅰ

 雪はまだ降らない。


 そのわりに灰銀に陰る空が、私たちの頭上を塞いでいる。必然、すっかり暗くなっていた心も更に曇る。


 同僚の目撃談を手掛かりに弟――アルマス・ヴァルコイネンを探し当てたものの、件の通りでは人が壁のように守りを固めていた。通してと喚いてやっと、群れにわずかな隙間が空く。アルマスは囲いの中心で、何やら警官と話し合っているようだった。


「――なら言ってくれればいいのに。頼むよ」

「ごめんなさい、忙しく働いているおまわりさんを邪魔しちゃいけないと思ったんだ」

「いちいち様子を見に来ていたんじゃ余計な仕事が増える。許可があるなら最初に伝えに来てくれ」

「僕としたことが、考えが及ばなかったよ」

「お茶目が可愛いのは子どもだけだ。ほんとうに頼むぞアルマス」


 どうやら警官との問答は着地をみたようだ。アルマスが心底申し訳なさそうに平謝りする。制服の男性――もとい警官の幼馴染は、背中を向けて去っていくところだった。


 彼の後姿を見送ると、アルマスはすぐさま地図を取り出す。地面に置かれた機械を覗き込んで、よれた地図に何かを書き込んだ。アルマスは大きなスープ鍋くらいある機械をひょいと持ち上げると、十歩ほど進む。


「相変わらず、一人で黙々と何をやっているのかしら」


 人だかりもほとんど解散したので、私はアルマスとの距離を詰める。かじりつくように紙面を見つめているアルマスは、私が背後まで来たのにまったく気づく様子がない。


 幼い頃、読書に没頭しているアルマスをからかって遊んだことを思い出す。懐かしさに浸りきってしまいたくなるが――今は遊んでいる場合ではない。


「ねえアルマス」

「なっ!?」


 よそ見をしながら機械を地面に置こうとしていたアルマスは、背後から呼びかける私の声に驚いた――それはもう盛大に。その拍子に握った手の力を抜いてしまったのか、機械が地面とぶつかって大きな音を立てる。


「しまった! ゲージが……」


 アルマスは二度目の悲鳴を上げ、機械の蓋を開けて中の機構を見る。あらかた確認が済んだのか、一瞬ちらとこちらを振り向いた。


「――姉さん。僕を止めに来たの? 先に言っておくけれど今回の僕は譲らないよ。ここでやめてしまったら姉さんのためにならないから」

「何とでも言いなさい。私も、やたらと譲るつもりはないから」

「相変わらず頑固だね」


 アルマスは地図に顔を寄せながらぼやく。紙面に焼き付いた小さな三角形に指先で触れ、拭き取るような動作をした。三角形は消える。


 次いでアルマスが機械を持ち上げると、魔法の機械――おそらく測定器具なのだろうそれは、ダイヤルをひとりでにくるくると回してみせた。アルマスは安堵のため息を漏らす。大方、機械が壊れていなかったとかそんなところだろう。


「じゃあ僕は作業に戻るから。姉さんも早く職場に帰って」


 アルマスは、珍しく素っ気ない態度で私を追い払おうとした。だが、この状況でアルマスから離れるつもりなど毛頭ない。フィーリクスや娘のリリャを守るため、まずアルマスに尋ねなければならないことがある。今までは有耶無耶にしてやり過ごしてきたが、問題はいよいよ間近に迫ってきた。


「アルマスの言い分はわかったから、とにかくこっちに来て」

「姉さんがそういう時はなんにも分かっていない。いつだってそうだ。頼むから放っておいてよ」


 アルマスは私の指したのとは逆方向に一歩を踏み出す。わざとらしい大きな一歩だ。けれど私が腕を引っ張ってやると、アルマスは情けない声を出しながらつんのめった。不満げな表情を浮かべているのに、相変わらずされるがままだ。


「僕はいやだよ」

「いいから来なさい」

「行かない」


 意味のない押し問答の末に、アルマスは黙ってついてきた。茂みを軽く分け入ったところの川べりにアルマスを座らせる。人の目はない。ただ陽の光と、さんざめく水の音だけがある。木々に囲まれたこじんまりした空間だ。


 この街に来てからというもの――アルマスが小さかった頃は特に、この場所で秘密の相談をしていた。学校の悩みも、叔父の家での悩みも。川がうねって上げる水の声に、どんな事だって紛れ込ませてしまえるような気がしたからだ。私にとってもアルマスにとっても、それは幼い頃から変わらないようだった。


「――アルマスが怪しいものを作っているというのなら、私は止める。この街の安全を脅かすことになるもの」

「そんなこと僕だって理解しているよ。ドラゴンのやること――特にドラゴンの使う魔法は信用ならないって。だから僕を放っておきたくないんでしょ?」


 すっかりしょげかえって、アルマスは自分の膝に顔をうずめる。


「僕がさっさと街を出ればいいんだ。誰もいないところで静かに暮せば。全部僕の責任なんだから、僕が我慢すればいい」


 アルマスが自分を責めているのは最初から分かっていた。戦争の最中、敵軍のドラゴンに襲われた街を救ってくれた――その時から。


 アルマスも私も、テリヨキの街でドラゴンに襲われたからここにいる。両親との永遠の別れを余儀なくされ、ルミサタマという知らない土地で、名前しか知らない親戚と暮すことになった。元凶になったドラゴンという存在――そしてドラゴンの無慈悲なまでに美しい魔法を、恨まないはずがない。私より遥かに幼かったアルマスは尚更だろう。


 それでもアルマスは命を賭した。忌むべきドラゴンになることを、自ら選んでみせたのだ。称賛こそすれ、責めるいわれはない。間違いなく、アルマスは私の命を救ってくれた。


 ドラゴンになったアルマスと初めて面と向かったあの時、私はきちんと直感していた。何年も姉としてアルマスのことを見てきたのだ。


 私ならドラゴンとしての自分を認めてくれるんじゃないか。


 アルマスがそうやって私を信じてくれていることは、はっきりと伝わってきた。


 拒絶して苦しめたのは私だ。アルマスはずっと我慢し通し。これ以上苦しませたくないと足掻いても、またアルマスに我慢を強いるだけになっている。


 ――もしアルマスが、堕ちる瞬間を自分で把握できているのなら?


「けれどね、フィーリクスやリリャのために、そして何よりアルマスのためになることなら、とやかく言わないことにするわ」

「え?」


 アルマスは、間の抜けた表情のまま固まってしまった。


「ごめんなさい。今までへたなやり方しか思いつかなかったの」


 自分の行動から目を背けずにいるのは、想像以上に気力が要る。それでも、アルマスの苦しみが少し和らぐと思えば立ち向かえる。


「今までと目指すところは変わらない。アルマスは人のいないところにいる方がうんと安全だし、早く街から出て行ってもらった方がいいのは一緒」

「そうだよね……」


 期待する様子もなく、アルマスはもう見慣れてしまった苦笑を浮かべる。


「でも、自分がいつ堕ちるのかわかるんでしょう? この前言っていたわよね。それにフィーリクスからも聞いた」


 驚嘆の表情を浮かべたアルマスは、やがてまなじりに涙を溜めて俯く。


「姉さん。その言葉は、僕への許しと受け取って……いいの?」

「私の大嫌いなドラゴンで、お母さんとの約束も、私との約束も破ってドラゴンになったことは許さない。でもね」


 アルマスは耳を赤くして必死に涙をこらえる。距離を詰めて背中をさすると、慌ててそっぽを向いた。


「アルマスは私を救ってくれたの」


 嗚咽を漏らして涙を拭う姿は幼い頃となんら変わりない。そうだ。変わったのはアルマスじゃなくて私の方だった。辛い時を二人で乗り越えてきたこの弟となら、街を出ていくその時まで、誰一人悪者を作らずに済むんじゃないか。


「だから約束。まず、リリャには会わないで。それと、アルマスのやり残したことが終わったら街を出ること。今度は破らないでね」

「姉さん……ありがとう」


 涙を慌てて拭き取ると、アルマスは勢いよくこちらに向き直る。


「次は僕の番だね」


 一呼吸、躊躇うように鼻をすすって、それでまた顔を上げる。


「僕はその……姉さんに気を遣わせて、迷惑ばっかりかけているから。その分お礼がしたかったんだ」


 そう言いながら、アルマスは鞄から書面を取り出す。豊かな曲線を描く筆記体と大きなスタンプが目に入った。そして几帳面に字体を揃えた手書きの図面も。


「まず、仮に僕が無意識のうちに戻ってきて暴れても、大丈夫なようにしておきたい。そう思って、相殺型大規模障壁を組むことにしたんだ」


 手渡された紙には、アルマスが言った通りの名前がある。私には正直難しすぎて分からない。けれど大学の高名な先生が認めるくらいのものだ。機能も安全性もきっとすごいものなのだろう。


「でも、単体だと供給する魔素の量に無理があった。そこで、天候調節術式を同時に動かすんだ。あらゆる気象現象から、足りない分の魔素を拝借する」


 頑張ってみたんだ、とアルマスがはにかむ。


「大部分はもうできているんだ。あと二ヶ月――二ヶ月だけ僕に猶予をください。それで全て終わるから」


 アルマスの碧くまっすぐな瞳が、一層力強く輝いた。


「――姉さんとこの街に誓って。約束だ」






 ***


「それで、キエロはオフィスから飛び出したあとは何をしていたの? 今日一日ハーパネンさんの機嫌が悪かったのはキエロのせいなんだから、教えてちょうだいよ」


 クッカは半ば呆れたように問いかけた。彼女は学生の頃と変わらず、豪快にスカートをたくし上げて自転車を漕いでいる。


「それよりも、そうやって裾を上げるのはどうなの。友人として恥ずかしい」

「私はやめないから。新品のスカートなの。泥はねはごめんだわ」


 ついでに「キエロはスカート気にしないのね」と煙に巻かれ、なんだか納得がいかない。


「話を逸らすのはいいけど、結局どうなったのよ。弟くんとは」


 噂好きで話好きのクッカは、こうなるとだいたい止まらない。


「何をやっているのか問いただしたわよ。そしたら大きな魔術を組んでいるって。市長さんと大学の先生のサインがあったんだから、私からはもうなんにも言えないわ」

「キエロはばかね。弟くんだってそんなに抜けてないわよ」

「本当にそうかしら」

「むしろ、キエロよりも随分ましかもしれない」

「もう、クッカったら!」


 蛇行して逃げていくクッカを追いかけるが、まるで追いつかなかった。彼女はあれで優秀な自転車乗りなのだ。


 私は潔く諦めて徐行する。クッカは急につまらなくなったのか速度を落として、私の隣に並んだ。


「キエロをいじめるのはあんまり面白くないわね」

「面白くなくて結構」


 私をからかって遊ぶのは、フィーリクスだけで充分だ。


 クッカは私が不機嫌だと気づいていないのか――はたまた分かっていてそうしているのか、楽しそうに噂話をはじめる。


「ねえキエロ、知ってる?」

「噂話の大半は興味がないし知らないわ」

「そんなつれないこと言わないで。へたすると私たちにも関わることなんだから」


 楽しそうににやついて、クッカはひとりでに喋りだす。


「最近、行方不明者が多いみたいよ」

「それはどこで?」

「街の郊外の森」


 クッカはおどかすように低い声を出す。けれど怖くもなんともない。


「そんなのいつもの話じゃないの」


 季節は秋。今年の夏は暑くなったから、より一層だろう。


「どうせベリー摘みに行って遭難しているんでしょう? コンパスを忘れるんだか、暗くなるまで夢中になっちゃうんだか知らないけれど。毎年飽きもせず何人も行方不明になるじゃない」

「そうだけど」


 何故か狼狽えたクッカは、まだありもしない噂話を続ける。


「今年は、発見される人が少ないんだって。あとトナカイも沢山いなくなっているって」

「そんなの偶然でしょ。トナカイだって、夢中になってキノコでも食べているんじゃないかしら」

「まあ、そりゃ確かに……」


 クッカは腑に落ちない様子だが、こんな不毛な話には付き合っていられない。


「さあクッカ、さっさと帰って夕飯を作りましょう。夫と子どもが待っているわ」


 フィーリクスに話すべきこともできた。雲間に覗いた夕日へ向かって、自転車でひた走る。



 なるたけ平穏に。それが私の目指すべきものだ。

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