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拝啓スノードロップ  作者: 梨乃実
第X章 伝承
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正典:岐路編 #1 障壁 Ⅱ

 気持ちのいいくらい腹が立つ朝だ。


 頭上には、珍しく雲一つない晴天が広がっている。なのに大きな水の球が落ちてきて、私はずぶ濡れになった。

 最近の荒天だって、流石に水の塊を降らせるなんてことはない。十中八九彼の仕業だ。ブリキのバケツを持って立っているなんて、あんまりにも手法が古典的すぎる。


「ちょっとイーリス、私の携帯端末の方にも水が飛んできたんだけど!」

「ヨンナ、何で私に文句言うの? 彼に言ってよ」


 朝っぱらから彼氏と電話をしていたヨンナは、少しだけ視線を上げた。校舎二階の廊下で、没個性な金髪の男子が不敵に微笑む。ヨンナは窓から身を乗り出す馬鹿を一瞥すると、また私の方を見た。


「でも元を辿れば、イーリスがヨキネンに狙われるようなスピーチをしちゃったのが始まりでしょ?」


 アルマス・ヴァルコイネンを擁護したのが良くなかった、とヨンナは言いたいのだ。常識的に考えれば無理はない。アルマス・ヴァルコイネンは極悪非道なドラゴンで、教会の教義に真っ向から対立する存在だ。表立って嫌がらせをされることはほとんどないけれど、やはり大半の生徒とは疎遠になったように感じる。――ヨキネンに関しては、逆に接触頻度が高くなったのが悩みどころだが。


 暇なのか何なのか、今日の彼はまだこっちを見下ろしている。


「やはりヨンナさんは素晴らしい。可愛らしいだけじゃないのが何とも良い。俺はそんなあなたが好きだ。差し支えなければ、あなたの彼氏の末席に加えてくれないか?」

「ごめんヨキネン、願い下げ」


 ばっさり切り捨てられたにもかかわらず、彼は特に表情を変えるでもなく唸る。


「仕方ない、次はエレノアさんに告白するとしよう」

「なんであんたは私の周りを固めようとするの」

「包囲は基本的な攻撃方法の一つだ」


 なるほど、彼は私を叩きたいがために、私の周りでちょっかいをかけまくっているのだ。もしかすると、ヨンナも私の知らないところで絡まれて迷惑しているのかもしれない。そう思うと申し訳なくなる。


「私はいくらでも受けて立つけれど、周りの人は巻き込まないで。それとも何か? 私のことがそんなに好きなの?」

「好きな女の子に水をかけるはずがないだろう。夏のビーチならまだしも」


 嫌味に本気で返されると、無性に苛立つ。しかし彼は手加減してくれない。私を怒らせるだけじゃまだ足りないらしく、また訳の分からないことを言い出した。


「まあ俺は優しいからな。今日はもう家に帰るし、イーリスさんに上着を貸してやろう」


 廊下の窓から私に向かって制服のジャケットを放り投げてくる。反射的に受け止めてしまったのが悔しい。


「嘘でしょ、ヨキネンの服、私と同じ柔軟剤の匂いがするんだけど! 最悪!」


 辛辣なヨンナは、ジャケットについた残り香に過剰反応する。それでも彼は軽く笑い飛ばすだけだ。


「ひどいなヨンナさん。素晴らしき庶民の香りだろう」

「庶民とか言わないでよ!」


 やかましいったらありゃしない。そして、こんなやり取りが常態化しつつあるということが何より恐ろしい。庶民だの庶民じゃないだのと騒いでいたヨンナは、ついに校舎のエントランスの方へと逃げていった。本当に申し訳ない。


 しかしそれよりも、さっきの彼の発言が気になる。


「何でもいいけれど、今日はもう帰るってどういうことなの? 授業は何一つ終わっていないでしょう」


 彼はいつもより長めに鼻から息を漏らす。


「まあいい、一から説明しよう。この街の『水』が、いかに特異なものであるかについて」


 彼は廊下の窓枠を掴んで飛び越えると、一階部分の屋根を立ったまま滑って石畳の上に着地する。バケツを持ったままやるのだから、その身体能力は侮れない。

 彼は、バケツに残った水滴を指先でなぞる。


「もともと世界には水と大気しかなかったそうだ。ある時、海に落ちた卵の殻からこの世界が造られた。それをしたのはワイナミョイネン。水をつかさどる神、あるいは精霊――時代が進むと英雄とも」


 彼が語るのは、原始的な信仰の話だ。真の神を唯一と定めるノウム教会の教義とは対立してしまうもの。だから、この学校にいて別の信仰を説く人間なんて、なかなかいるものじゃない。


「これはこの街、この国に古くから伝わる土着信仰。一度は薄れ、そしてまた拾い集められた古い神話だ。そして神話は、魔法が芽吹く源になる」

「学校をさぼることと神話に、なんの関係があるの」


 彼は目を細めてにやにやと笑う。私が風邪をひいてもおかしくない状況なのに、悠長に話すものだ。友達が一人もいない理由は、こういうところにあるのだろう。


「博識なイーリスさんには不要かもしれないが、いいことを教えよう。この街の水は、他の地域の水に比べて魔素の含有量がかなり高い」


 彼はそこで言葉を切ると、手でひさしを作って空を眺める。向いているのは太陽の方だ。


「そして面白いことに、太陽信仰の盛んな地域では太陽光が大量の魔素を含む」

「確かに聞いたことはあるかもしれない。自然の中にある魔素の量は、地域差があるって。でもまだ話が読めない」


 焦りは禁物だぞと、窘める様に彼に手を振られる。彼は一々人の神経を逆なでしないと喋れないらしい。


「不思議だと思わないか? 各地域の神話における神の立ち位置と、魔素の量。こじつけかもしれないが、俺はそんな妄想をして面白がっているところなんだ」

「思想信条の自由は万人にあるから別に咎めるつもりはないけど――」

「それで、ついさっきも楽しんできた」

「はぁ?」


 彼は私の台詞に不穏な言葉を被せる。楽しんできた? 何を楽しむというのだろう。


「千二百個の紙コップに魔素用導線を貼り付けて繋いで、それぞれ誘導で干渉しないように一定距離を保った状態で廊下一面に配置する。コップに水道水を注いでやれば、簡易的な魔素タンクの完成だ」

「で、廊下で魔素タンクを作って何になるの」


 彼は「よくぞ聞いてくれた!」と誇らしげに声を張り上げる。


「一昨日、お前が教室にいると騒ぎが起こるから入ってくるなと言われてだな。しかし教室に立ち入れる状態であれば、俺は教室に入る。そこで試しに、水を魔素の供給源に利用して障壁を構築してみた。魔素が枯渇しない限り誰も教室と廊下に踏み入ることはできない」


 そうきたか。クラスメイトに対する壮大な嫌がらせだ。


「ヨキネン、仕返しをしたいのはわかるけれどやりすぎでしょ」

「いやイーリスさん、これは仕返しではない。単純に、俺が教室に入らないための方法を実践しただけだ」


 ため息が出る。そうだった。彼はだいたいそんな奴だった。私の反応をまるっきり無視して二本指を立てた彼は、どこか誇らしげでさえある。


「俺が教室に入ることはない。そして水の持つ魔素を使って実験も出来た。一石二鳥だ。イーリスさんに水をかけることにしたのは、丁度バケツがある時そこにいたからであって、もう俺は帰る」


 彼は踵を返して校門の方向へ歩き出した。謝罪はない。いい加減頭にきたので彼のジャケットを背中にぶつけてやる。それでも平然としていて、彼は埃を払って拾い上げた。無言でいるあたり彼らしい。


 そのとき、硬質な足音と共に、後方から声が聞こえてきた。


「イーリス! ヨキネン君もいるのね! 探していたわ!」


 踏み出すたびにずれる眼鏡を手の甲で押し上げて、エレノアが走ってくる。


「――って、イーリスびしょ濡れじゃない! すぐ医務室に着替えにいきましょう。それとヨキネン君、何故か私たちの教室が使えないらしくて、講堂で朝のホームルームをすることになったって」


 その言葉を聞いて、今まさに帰ろうとしていた彼はもう一度方向転換をする。元凶のくせして白々しい。


「危うく帰るところだった。エレノアさん、あなたは親切だな。俺はそんなあなたを好ましく思っている。付き合ってほしい」

「ごめんね、ヨキネン君。私、付き合うなら年下の男の子がいいの」


 もはや茶番だ。エレノアは優しいしちょろいから、いつも告白を上手く断れないでいるのに。彼だけは別とでも言いたげなほど、あっさりと拒否する。


「ヨキネン。私がエラのフォローをするまでもなく振られるなんて、はっきり言って相当だよ」

「その通りだ。俺には魅力がないらしい。しかしイーリスさんのように全く魅力がないわけではないので安心してくれ」

「はいはいそうですか、それは良かったですね」

「ああ、本当に良かった」


 講堂に向かうと、もうほとんどのクラスメイトが集まっていた。今日私が家を出た時間がそもそも遅かったし、そこへきて彼に水をかけられたのだから無理もない。

 講堂の指定された一角は、私とエレノア二人分の席しか空いていなかった。案の定隣の席に座っているのは彼だ。余裕のある笑みを浮かべながら、持参した図書館の本を読んでいる。


「イーリス、隈がすごいわ。昨日はいったい何時まで調べものをしていたの?」

「たぶん夜中の二時くらい。ライト眩しかった?」


 エレノアは首を振り、心配そうに眉尻を下げる。


「いいえ、それは問題ないわ。でもあんまり根詰めすぎちゃ駄目よ」

「気を付ける、ありがとう」

「どうせそう言いつつ夜更かしするのよね。仕方ないわ、三日に一回は強制的に消灯するから覚悟しておいて」


 やはり親友には分かってしまうものなのだろう。絶対に寝かしつけるのだと、彼女は気合たっぷりで鼻を鳴らす。やはりエレノアは可愛い。ついついハグをしたくなる。


「ねえイーリス! あんまりきつく抱きつかないで!」

「えーいいじゃんちょっとくらい」


「――それで、イーリスさんはどんな調べものをしているんだ?」


 隣の奴が水を差してくる。彼はどうして絡んでくるのだろう。アルマス・ヴァルコイネンを擁護しているのが気に入らないなら、放っておけばいいのに。


「それ、本当に知りたくて聞いてる?」

「もちろん。イーリスさんほど社交辞令が似合わない人はそういないからな。あなたに対して意味のない挨拶はしない」

「ああそうですか。別にいいけれど」


 彼の理屈がいまいち分からないけれど、隣で薄情者のエレノアが大きく頷いているので、あながち間違ってはいないのだろう。複雑な心地だ。


「『スズランの手記』の、最初の写本を読んでいるの」

「あの英雄譚か。小さい頃はフェーリクスのようになりたかった。人間が単身ドラゴンを封印するなんて、あまりに規格外すぎて憧れる」


 普通はそうか。アルマス・ヴァルコイネンは邪悪なドラゴンで、物語の英雄はドラゴンを封印したフェーリクス。アルマスさん本人と関わってしまうとそうは思えないけれど、あの人はいつだって悪と恐れられ封印される存在だ。

 私が上手く返事をできないでいると、ヨキネンは何か気づいたように指を鳴らした。


「なるほど、あれか! もしかしてイーリスさんは、ヴィランになりたいという願望が――」

「違うから」

「――あるのか? でもだとしたら少々痛々しいぞ」


 私が否定しているのに彼は口を噤まない。いったい何をどう繋げたらそんな結論に至るのだろう。


「ヴィランへの憧れはないから。アルマス・ヴァルコイネンは本当にヴィランだったのかっていう疑問があるだけ」

「それはそれで痛々しいな」


 彼は私に喧嘩を売っているのだろうか。いや、売っているのだろう。


 アルマス・ヴァルコイネンが悪役でないなんて、胡散臭くて目障りな考え方だ。信念があるなら好きなようにしなさいと、半ば放任する形で母が許してくれた。外向きにはただそれだけ。それが受け入れられるかどうかも、真実が突き止められるかどうかも私次第だ。今のところ、皆に受け入れてもらえるような確たるものはない。


「痛々しくても、私が真実を知りたいんだから動くしかないでしょう」

「伝わらないようなのではっきり言うと、イーリスさんの言う『真実』は、『事実』ではないよな。俺はそれが痛々しいと言っているんだ」


 彼は意外なことを言う。てっきりアルマス・ヴァルコイネンを敵視してのことだと思っていた。


「真実は真実でしょう。『スズランの手記』に書かれていることは一つだけれど、本当はどうだったのかを知らないといけない。アルマス・ヴァルコイネンが不当な扱いを受けることになる」


 彼はわざとらしく息を吐きだして、おまけに首を横に振る。


「だからそれだ。イーリスさんの言う『アルマス・ヴァルコイネンの正当な扱い』とは何か。既に問題提起からして偏りがあるんだよ」


 グレーの瞳を一切逸らさず、彼はゆっくりと言葉を並べていく。


「アルマス・ヴァルコイネンが過去に何をしてきたのか。『スズランの手記』の信憑性はいかほどか。この街のことだけではない。『大回帰』という、世界全体を巻き込んだ戦争もそうだ。すべて濃い霧の中。もしかしたら裏付けが残っているかもしれないし――およそ何百年、何千年と経っているんだ、記録が何も残っていないかもしれない」


 にんまりと笑った彼は、急に声を小さくする。


「俺には、イーリスさんの言う『優しいアルマス・ヴァルコイネン』の方が幻想に思える。特にイーリスさんは、お家柄からして非常に政治的な利用価値が大きいのだから、助けられたのにも理由があるかもしれないぞ。もちろん、ただのお人好しだったのかもしれないしな」


 政治的な利用価値。そう言われてしまうと否定できないのがもどかしい。私は直感的に、ただただ善意で助けてもらっただけだと判断した。けれど冷静になって立ち返ってみれば、確かにそれは勘だ。理由があった証拠も、なかった証拠もない。アルマスさんの宣言した通り、彼は自分のことについてまだ何も語っていないのだ。そして仮に彼が本心を伝えてくれたとして、それが信憑性のある証拠かといえばそうではない。


 ヨキネンは「庶民にはない悩みだ」と得意げに鼻を鳴らす。そして突然立ち上がって叫んだ。


「そう、俺という庶民はいつだって中道を歩む者!」


 即座に「黙れヨキネン」と罵倒が飛んでくるあたり、彼もなかなか損な役回りだ。九割方彼自身の行いのせいだけれど。


「どうだ、イーリスさん。俺にかかればこの程度容易い」

「ヨキネンは何を誇っているの」

「政治的な利用価値の低さだ。イーリスさんが同じことをしても、俺のようにはなるまい」


 呆れてしまいそうになるけれど、彼の言動は逃げようがないほど核心を突いている。完全に図星で、恥ずかしさが込み上げてくる。


「というわけで、ここまでくれば自分が水をかけられた訳を理解できただろうか。『冷静になれ』だ。この街の水は特別だからな、いい具合に頭を冷やしてくれるかもしれない」


 彼の得意げなウインクほど、腹の立つものはない。

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