濃紫編 #4 身侭 Ⅵ
身勝手で非合理な論理でも、それが僕にとっては正しいことだった。うだうだと暈し続けていたが、つまり僕の恋心とは、そういう我儘極まりない願望なのだ。
場違いとしか思えない灯りの中、一瞬だけシェリルと目が合う。一段落したところで彼女は教員に手を振って練習を抜けた。僕らのことが気になるのか、部活はほとんど中断してしまう。
仕方のないことだ。学園の女王が学校一番の厄介者と話すなんて、奇異の目で見られて当たり前のこと。
これはいかにも気まずい。せめて眼鏡だけでも外せば違うかとポケットに突っ込んでみたが――レンズを通さない分、視界に多少の青みが増しただけだ。僕も非合理なことをする。案外、この状況に動転しているのかもしれない。
目の前で腕を抱えて立っているシェリルは、珍しく何も言わないでいた。滴る汗を拭うこともない。心なしか距離も遠くて、ハンカチを彼女の頬に当てるにも僕から近づく必要がある。
「ありがと」
されるがままのシェリルなんて、一度たりとも見たことがない。
いや、彼女だって普段の振る舞いをできないこともあるはずだ。僕はそれを直視してこなかったし、だからあんな取り返しのつかないことを言ってしまった。「他人に救いを求めない」なんて、ひたすらに僕を救おうとしてくれたシェリルにぶつけていい言葉じゃない。
「キングストンさん――いや、シェリル。今朝はひどいことを言った。本当に申し訳ない」
僕のしたことは謝って許されるようなことではない。もっと利口に、傷つけないようにできればよかった。僕はどこまでも不器用でかなわない。
シェリルが「ばか」と呟く。同時に、軽くというには過分な衝撃が胸に伝わってきた。
「ロランだけが謝ることじゃないもん」
そう口にしながら殴るあたりシェリルらしい。突き出した拳を開いて、彼女は僕にもたれかかってくる。
「あたしもひどいことをした。だってあたし、全然ロランの話聞かなかったもん。ロランのためになるって思ってた。けど、嫌がってるのに勝手に押し付けたら、それって結局あたしのためじゃん」
落ち込んでいるのだろうか。彼女に非はないだろうに。
――いや。そのことを僕は一度たりとも伝えなかった。
「ずっと整理がつかなかったけれど、全て僕のためだって分かっていたよ」
「あたしも同じ。ロランがあたしのために怒ってくれていることはわかってた」
「それでも受け入れられなかった。だから拒絶してしまった」
「あたしたち一緒じゃん。ばかみたいだよね」
小さな声で言うと、シェリルは突然僕の肩を掴んで顔を上げた。
「じゃあもう、あたしたち同罪だったってことにしよっか」
「そうしよう。……なんて、僕が言うと、どうにも無責任に思えるな」
シェリルは僕の言葉に吹き出して、何が面白いのか大笑いする。置いて行かれた気分だ。
「大丈夫。あたしだって十分無責任だから」
手を引かれてベンチに座ると、シェリルも隣に腰を下ろす。このまま僕が何もせずにいれば、いずれシェリルが話をしてくれるだろう。
でも今回は僕から話そう。
「シェリル――」
「ロラン――」
思わず思考が止まる。シェリルの方も、こっちを見たまま固まってしまった。僕がもたもたしているからこうなるのだ。またシェリルに任せっきりになってしまう。
「僕から、話してもいいかな」
「い、いいよ! 全然オッケー。何でも言って」
落ち着かない挙動で、シェリルは首を大きく縦に振った。笑うのは失礼なのでかみ殺すよう努めるが、手で押さえても漏れてしまう。そうこうしているうちに、シェリルが脇腹を肘で突いてきた。なんとか呼吸を整えて、出来る限り本心に近い言葉を探す。
「僕は、シェリルのことが好きだ。でも今までは、シェリルがくれる肯定的な評価を好いているんだと決めつけていた。それに、シェリルは僕に助けられたと思って特別優しくしてくれているみたいだったから。シェリルと離れたいのは、僕を気遣ってくれる人を危険に晒したくないからだ、とね。けれど、よく考えてみたんだ。僕の傍に居ることがどれほと危険か、かつて僕の攻撃で大やけどを負ったシェリルに分からないはずがない。それでも僕の傍に居たいと言ってくれているんだ。なのに何で僕は遠ざかりたかったのか」
シェリルは何も言わずに僕の顔を見つめている。その前のめりになった姿に、彼女なら目を逸らさないでいてくれるという直感が降ってきた。何故だろうか、思いのほか抵抗なく言語化できている。
「シェリルのことを信じてなかったんだ。母さんみたいに、おかしいとか、このままだと自分は幸せになれないとか、そう言って居なくなるんじゃないかって。でも本当はシェリルと一緒に居たい。いつも僕のことを考えてくれて、支えようとしてくれる。ちょっと強引だけど、拒否する僕を諦めないでくれたのはシェリルだけだった」
少しだけ声が震える。こんなことを問いかけたら、シェリルが僕を見る目が変わるような気がした。
その時、シェリルの汗ばんだ手が僕の手を強く握る。今日も今日とて、僕の指を握りつぶしてきそうなくらいの怪力だ。どうにも放してくれそうにないし、力を緩めてくれる気もしない。
やっぱりシェリルは変わらないな。
「僕は……頭のおかしな奴なんだろうか」
シェリルは視線を落として、すぐにまた僕の方を向く。ほとんど即答だ。
「本音を言うと最初はちょっとだけそう思ってた。暗いしキレるし、マジでヤバい奴だ、って。でもロランのこと見てきて全然印象が変わった。ロランはおかしくなんかない。一緒にいて幸せになれないなんてことは絶対ない。ロランの行動は、いつだってあたしのためのものなんだって思えたから。やり方がサイコーにバカなだけ。けどやり方なんていくらでも変えられるでしょ?」
まさかこんなにも認めてくれているなんて、考えてもみなかった。僕がいままで直視してこなかっただけで、ずっと与え続けてくれたものだ。遅くなったけれど、ようやく受け入れられる。
「ありがとうシェリル。サイコーに信頼のおける台詞だ。これは自信を持って言える」
「ばーか」
シェリルの穏やかな罵倒に「ご明察」と返してやると、彼女は頬を膨らませて変な顔をする。そしてしばらくの沈黙の後、俯いて口を開いた。
「あたしね、謝っておかなきゃいけないことがある。ロランがいじめられてるのを、あたしは見て見ぬふりしてた。そのくせ、ロランに助けてもらってから手のひら返してさ。ほんとあたし都合良すぎ。その後もロランのこと見下してた。ロランはあたしが助けてあげないと駄目なんだ、って。ロランにも考えがあったのに全部無視して、それですごく困らせた。あたしってサイアクでしょ? 本当にごめんなさい」
そういうことか。シェリルにしてみれば、不満の対象が自分であるかのように感じられたのだろう。僕の紛らわしい態度のせいで勘違いをさせた。
握られた手を包み込むと、シェリルは一瞬引っ込めようとして――また僕の膝の上で落ち着いた。
「どんなにシェリルが最悪だと思おうと、僕はシェリルを好いている。つまり現在進行形で救われているんだ。本当に感謝しているよ」
「ありがと」
シェリルにしては大人しい反応だ。もっと大騒ぎすると思ったのに。けれど、彼女らしいというべきか、静かだったのはほんの一瞬だ。勢いよく立ち上がるとポニーテールを振り回して叫ぶ。
「ああもう、あたしたち自分勝手すぎ。全然お互いのこと話してなかったじゃん。よし、今度こそちゃんと決めた! あたし――」
なにやら告白でもしそうな気迫でこちらを見るので、指でシェリルの口を封じておく。何でもかんでも彼女に言わせてしまったら、僕の立つ瀬がない。
「言わせて。保留中だったからね」
シェリルが頷く。
「僕はシェリルと一緒にいたい。時が許す限りずっと。迷惑ばかりかけるけど、自分勝手にシェリルの傍に居ていいかな」
シルバーの瞳をこんなにも間近で見たのは、実のところ初めてかもしれない。シェリルが上目遣いに見つめてくるので、じわじわと気恥ずかしくなる。返答がないので、僕はおかしなことを言ったかもしれない。思えばこれは、告白として成立しているのだろうか。補足説明が必要だったかもしれない。
「――ねえ。それ、あたしに聞いたら勝手じゃなくなっちゃうんじゃない?」
シェリルが首をかしげる。全くもってその通りだ。動転しているにも程がある。もう幾分かは余裕を保てると思っていたが、僕の見立ては甘かったようだ。
「ごめん、矛盾してしまった。じゃあ……僕は、シェリルとずっと一緒にいる。勝手にね」
「このままだとロランの片思いになっちゃうね」
別にシェリルがそう望むなら片思いだろうが一向に構わないが、まるで試すような口ぶりで僕を揺さぶるからたちが悪い。流石は学園女王だ。
「片思いでいいよ、僕の勝手だから。シェリルが嫌なら諦めるけど」
途端、シェリルの両手で頬を挟まれ、鼻先が当たりそうなほど顔が接近する。彼女はやたらと瞬きをしてから僕を見上げた。
「嫌なわけないじゃん。それに片思いにはならないから安心して」
僕のシャツの襟を整えて、シェリルは背筋を伸ばす。一歩下がると、凛とした声で言った。
「あたしは好きな人とは一緒にいたいの。そしてあたしは、ロランのことを永遠に好きでいる。だから、あたしはロランとずっと一緒にいる。口出しは許さない。文句言ったら噛みちぎるからね」
シェリルは「がう」と僕の顔の前で歯をかみ合わせた。最初から最後まで脅迫じみているのに安心できるなんて、不思議なものだ。
こんなの、裏切ろうと思ったって裏切れない。
「相変わらず、へたくそな笑い方」
指摘されたからには改善したいが――なぜか上手くできなかった。
「ごめん。でもシェリル相手に繕うなんてできないよ」
シェリルの頬に触れると、ブロンドの髪があたってくすぐったい。彼女は頬に添えられた僕の手に指を絡ませた。腰のあたりをシェリルの腕が滑っていく。
「一つだけ言わせてほしい。こんなにも穴が無くて反論のしようもない三段論法、僕は今まで見たことがないよ」
「でしょ?」
勢いに流されて唇を重ねてみる。感じるのは生体組織の弾力だ。一瞬力が籠められるが、シェリルは別段抵抗するでもなく口を開ける。スポーツドリンクの甘酸っぱい味が共有されて、これがキスというものなのだと初めて実感した。
息継ぎができなくて離れると、シェリルが余裕綽々といった様子で話しかけてくる。
「ねえ、二人だけの特別な呼び方したい。ロランはあたしのことなんて呼びたい?」
「そうだな……シェリー、とかどう?」
「好き。じゃああたしは、あー、どうしよう。ロリーだと女の子みたいだよね」
不意にロリーと呼ばれて母の顔が過る。けれど、シェリルにだったらそう呼ばれてもいいかもしれない。
「シェリルがそう呼びたいなら、それでもいいけど」
シェリルは豪快に首を振る。髪が当たって痛いが、そんな僕なんてお構いなしだ。
「いや、もっとカッコイイの考える。特別感がある名前にしたいし。そしたら、ロラン……ローレント……。レン! レンでどう?」
「シェリルが主観的に格好良いと思うなら、それでいいよ」
「決まり。レン。大好き」
ああ、なんだか高校生みたいじゃないか。命懸けでドラゴンになって――それがきっかけで普通の恋ができるなんて、思ってもみなかった。いや、普通の恋と表現するにはだいぶ我儘だ。何てったって、危険を丸無視して一緒に居ようというのだから。
けれど、それも悪くないかもしれない。
「シェリー。僕も大好きだ」




