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拝啓スノードロップ  作者: 梨乃実
第1章 千三百三回目の春
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濃紫編 #3 相反 Ⅲ

 人垣の発生確率に狂いが生じたらしい。常に『根暗伊達眼鏡』と罵られる僕――ロラン・D・アグノエルからしたら、驚異的な事象だ。


 原因は考えるまでもなく昨日にある。髪を切られた。服をしこたま買わされた。シェリルの強引な指示のもと行われたことだから、昨日のショッピングが意味深いものであることは間違いない。しかし僕が思うに、どれもこれも、人だかりを形成するにはあまりに些末である。


 簡潔に言えば、僕はこの状況を理解できていない。


「君、どこのクラスに転入するの?」

「ねえ、私と番号交換しない?」

「ちょっと、抜け駆けしないでよ!」

「あ、あの、すみません、通してください」


 脱出しようとしても、みな武術の経験者なのだろうか、さり気なく、そして瞬く間に行く手が遮られる。助けを求めて昨日の三人衆を探すが、沢山の女性に阻まれて見つけられない。

 どうすればよいのだろう。こんなにも女性の顰蹙(ひんしゅく)を買って囲まれることなんて、人生で初めてだ。今日の処刑はいつだろう。授業中だけはやめてほしい。


 その時、誰かに強く腕を引かれる。周囲の女性が何故か包囲を解いた。導かれるままに踏み出すと、そこには黒髪の一部を紫に染めた、小柄な女性が立っている。


「おはようございます、クロエ。ご協力感謝いたします。お陰様でホームルーム開始時刻までに教室に到達できそうです」

「おはよう。ディー氏に見てもらいたいものがあっただけだし。協力ってほどじゃない」


 そう言って彼女がリュックから取り出したのは、ファストフード店の紙袋だ。見たところMサイズ、フライドポテトとハンバーガーのセットを購入した際に決まって使われる規格の袋である。表面に油染みがあることも含め、何の変哲もない紙袋だ。


 これが僕に見てもらいたいものなのだろうか。クロエが提示するくらいなので、何か秘密が隠されているのかもしれない。魔術的な仕掛け――


「ここにあるのは何の変哲もない紙袋です」

「何の変哲もないんですね」


 どうやら邪推だったようだ。では一体クロエは何を見せるつもりなのだろう。

 リュックに再び手を突っ込んだクロエは、黒のマーカーペンを取り出す。袋を畳むと僕に持たせて、何か描きはじめた。


「目、ですか?」

「うん。第三の目」


 袋の側面中央にいびつな目のマークを描いたクロエは、僕から袋を取り戻して、今度は穴を二つ開ける。嫌な予感しかしない。


「まさかクロエ」

「あっれー? お二人さん、朝から仲良しじゃん」


 僕が言いかけたところで、突然、誰かが背中に追突してくる。


「クロエ、おはよう」

「はよ」

「おはようございます、キングストンさん。そして(けい)(つい)捻挫(ねんざ)の危険がありますので、後方か」

「はいはい、ロランおはよう」


 いつも通り、シェリルは僕の言葉を強制終了させた。そしてクロエの手の中にある紙袋に視線を落として、サムズアップをする。


「それいいね。サイコー」

「さすがシェリル。わかってる」


 やめておいた方がよいのではないだろうか。


 しかし、こうなったら彼女らは止まらない。携帯端末を取り出したシェリルはクロエに向かって謎のゴーサインを出し、クロエは僕らから離れて柱の陰に隠れる。シェリルは僕の手をがっちり掴んで二階に上がった。陣取ったのは、一階のエントランスと屋外が見渡せる通路だ。


「あの、キングストンさん? いたずらはやめましょう」


 シェリルは僕に向かって「静かに」とジェスチャーをする。もう何を言っても無駄なようだ。


「あー、ジェイ? おはよう。あの、ね。相談したいことがあるの。できれば……一人でエントランスまで来て。お願い。ジェイにしか頼めないことなの。そう。今どこ? わかった。ありがとう」


 シェリルはジェイを嵌めようとしているらしい。可哀想に。ジェイが電話口で居場所を答えて、シェリルは外に視線を向ける。するとシェリルは素早く携帯端末を操作して、クロエをコールした。


「クロエ、標的発見。エントランスゲートより六〇フィート。見える?」

「こちらクロエ、標的確認した。これより対象に接触をはかる。オーヴァー」


 二人とも随分楽しそうだ。クロエが通信を切断して、シェリルは携帯端末を動画撮影モードに切り替える。僕を掴んだまま片手で操作するとは、器用なことだ。


「キングストンさん、悪質ですよ」

「しっ。黙って」


 もうどうにも止めようがない。仕方がないので眺めていようか。


 カメラの向こうでは、クロエがジェイの位置を確認しながら紙袋を構えている。ジェイは携帯端末をいじっていて、まるで気づく様子がない。クロエが背後からにじり寄り、紙袋を掲げ――


「第三の目、開眼!」

「――うあああああ!? テロだぁ!? 俺、しんじゃう!?」


 クロエとジェイの叫び声が同時にエントランスに響き、辺りが静まり返る。が、すぐに雑然とした音が戻ってきた。ジェイはそれで冷静になったのか、頭から袋を外して振り返る。


 駄目だ、耐えられない。


「ジェイの……驚き方……くっ、面白すぎる……!」


 確かにテロが起きないとも限らない。だが、この平和な時世に、しかも油の臭いにまみれた袋をかぶせられただけだ。咄嗟に「しんじゃう」と言うあたり、ジェイは意外にも胆が小さいらしい。


「おい、シェリル。ふざけんなよ」

「えー、何のことー?」


 シェリルの存在に気づいてやって来たジェイは、紙袋を突き出して講義する。が、すぐにクロエが掠め取って、自分で袋を被った。


「俺、しんじゃううう!!」


 見事な物まねだ。頼むから追い打ちをかけないでほしい。


「ふふ、クロエ、やめてください……。ひっ、お腹痛い」

「ハーグナウアーが、笑ってる……だと?」

「笑ってるの、初めて見た」


 ジェイとクロエがそんな呟きを漏らす。笑ってしまったのはまずかったか。


「ああ、すいません。ジェイの尊厳を深く傷つけてしまったこと、心からお詫び申し上げます」

「いや、それはどうでもよくて。お前……笑えるんだな」


 少々心外だ。隣でシェリルがやたらと口角を上げているのも、あまり気分がよくない。


「勿論、笑うことくらいあります」

「はいはい。そう怒るなって。ハーグナウアー、また無表情になってるぞ」


 ジェイは僕を肘でつついてくる。別に怒っているというほどではないのだが、何をどう捉えたのだろう。不思議な人だ。


「で、イタズラのためとはいえ折角集まったんだし、ちょっと提案。あたしたち四人で、休み時間に勉強会しない? どうするか、今決めちゃおうよ」

「賛成。ディー氏がいるなら」

「俺も賛成。ハーグナウアーがいるなら」


 もはや確定事項じゃないか。断りづらい。彼らの近くにいる時間はできる限り減らしたいのだ。休み時間までシェリルに捕捉されることはないだろうし、出来れば遠慮しておきたいのだが。


「僕は――」




「お前、まさかローレントくんか? ハッ、面白い格好してんな。前の方が似合ってたぜ。そんなんでシェリルに合わせてるつもりなのか? ダッセ」


 いつの間にか、彼は復学していたようだ。

 乱入してきたのは、かつてシェリルに暴力を振るった男だ。ドラゴンになって傷は治ってしまったが、割って入った僕も、一度重傷を負わされている。


 勝手に、足が半歩下がった。


 前回と同じだ。シェリルを理不尽な暴力で追い詰めたあの時と、同じ。唐突に現れて、自分の欲望を押し付ける。切り口がジェイへの当てつけから僕へのものに変わっただけで、目はずっとシェリルを見据えている。


 いや、冷静になれ。彼が先に手を出したら、前回よりも罰が重くなる。彼だってそこまで考えなしじゃないだろう。


 不穏な空気に観衆が移動を開始する。とばっちりを食らったら堪らないとでも思ったのだろう、さっきまで賑わっていた廊下には、僕ら四人と、彼が残された。


 僕は彼に微笑みかけることだけに徹する。迂闊な発言をして事を荒立てたくはない。その間ずっとシェリルは彼に苛烈な目を向けて黙っていたが――ついに我慢できなくなったようだ。


「しつこいんだけどエイナル・ルンドベリー。あっち行って」

「しつこいも何も、シェリルが俺のこと焦らしてんのがいけねえんだろ? ローレントくんにベタベタくっついて、俺に興味ないみたいなポーズ取っちゃってさ。可愛いことするじゃねえか」

「焦らす? あんた言葉も分かんないの? 拒絶の間違いでしょ。ロランを殺しかけて、あたしに重傷を負わせたやつのことを、どうして受け入れるの?」


 シェリルは強硬な姿勢を取る。しかし彼は退かない。


「お前も大概分かってねえよ。都合よすぎか? ローレントくんが俺にいじられてんのをガン無視しといて、庇われたら今度は彼氏ごっこ。ローレントくんがシェリルを受け容れると、本気で思ってんのか?」

「それは……」


 エイナルは嫌な奴だ。だが頭が回る。現にシェリルは、彼の指摘に言い返せないでいた。僕は何とも思っていないが、何かシェリルにとっては引っかかることがあるのだろう。


「安心しろよシェリル。俺はそういう、都合のいいお前のことも受け容れてやるからさ」

「あんたなんか願い下げなんだけど」


 シェリルがきっぱりと撥ね付けると、彼は口調を強めた。まずい、ヒートアップしてきている。

 だが……どう割り込むべきか。助けたいが、舌が口内に貼りついて動かない。


「なぁ、シェリルは何様のつもりなんだ? 許してやってるんだからいい加減俺の言うこと聞けよ。そいつの家格が上ってのは今んとこ認めざるを得ないけどよ」


 エイナルがシェリルの胸倉を掴んだ。このままじゃ危険だ。


「あ、あの、すみません! もうそろそろやめにしません――」

「うるせえ殺すぞ!」


 二人の間に割って入ると、エイナルは即座に殴りかかってきた。避けようと身を捻るが体が追い付かず、彼の拳が頬を掠る。僕の鼻を圧し折りたかったのだろう彼は、舌打ちすると――腕を突き出したままの体勢から、驚くべき鋭さで回し蹴りを繰り出した。


 強い、衝撃。


「ロランっ!」


 当然軌道が見えたところで回避できるはずもなく、彼の足が綺麗に脇腹に入る。魔法で強化された蹴りの威力に吹き飛ばされ、そのまま床に転がるしかない。怪我はすぐに治りそうだが、鈍痛が腹部全体に燻る。息を吸うのも遮られるくらいだ。クロエに支えてもらってようやく立ち上がる。


 シェリルは僕の方に駆け寄る素振りを見せるが、クロエが僕の傍に来てくれたのを見て彼と再び相対した。


「エイナル・ルンドベリー、あんたから手は出さないって決まったはずでしょ!」

「先に逆らってきたのはこいつだろ! 俺はやり返しただけだ! それにな――」


 彼は目を血走らせてシェリルを睨みつける。尋常じゃない剣幕にシェリルは彼から距離を取ろうとするが、彼は素早く間合いを詰めてシェリルの髪を掴んだ。


「痛い、やめて! 放して!」


 必死にもがくシェリルを嘲笑いながら、彼は囁く。僕には全部聞こえていた。動けないまま、ただ見ていた。


「俺は知ってるぞ。鷲みてえな姿のドラゴンが堕ちて、ショッピングモールで暴れたってな。取り逃がしたのを内々に処理したんだ。あの避難警報は誤作動でした、ってな。兄貴が俺に愚痴ってきたのは偶然だったが、お前らほんとに運が悪いよ。なぁ、ここまで言えば頭の良いシェリルは分かるよな? 俺の言うことを素直に聞いていればいいってことがさぁ?」


 途端、シェリルは青褪めた。脅迫されたのだから仕方がない。しかも彼は、竜災対策軍の中核を担う一族。発言力は強い。

 しかし、彼がまだ確実に吹聴すると決まったわけではないし、僕にはエイナルを黙らせるための奥の手がないわけではない。何よりその情報が噂として流れたところで、軍はそれを真実と認めることはできないだろう。悪評には慣れているので、放っておけばいいだけの話だ。


 だがシェリルは――懇願した。


「わかった、わかった! お願いだから、ロランのことは口外しないで。何でもするから……」

「くっ、あっはははっ! 素直なシェリルは嫌いじゃないぜ」


 エイナルの手がシェリルの肩に、腰に、触れる。シェリルは抵抗しない。彼の侵略を許している。


 全部、僕が堕ちたドラゴンだと知られないための行動だ。すべて僕のせいだった。僕の存在が彼女を不幸にしている。


 やっぱりだ。


 正気を取り戻して一番に考えたのは、僕がいつかシェリルを不幸にしてしまうということだった。けれどいつだって僕は浅慮で、実際はこんなに近くまで刻限が迫っていたのだ。


 僕はとんでもない愚物だ。知っている、分かっている、考えた。そんな高慢な言葉ですべてを解した気になって、結局何も理解できていない。何を変えようともしない馬鹿な人間だ。まったく僕はどこまでも愚かしい。そうして辿り着いたのがこれだ。自分の業をシェリルに背負わせている。


 あの日どんなに恐喝されても、大きな傷を負っても、襲い来る理不尽に抗い続けた彼女が。




 今、僕のせいで理不尽に屈しようとしている。




 彼に蹴られた痛みは、たちどころに消えていた。


「――エイナルさん、一緒に運動場まで来てもらえますか?」


 自分でも予想だにしなかった。

 そう笑顔で告げたのは僕だったのだ。

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