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拝啓スノードロップ  作者: 梨乃実
第1章 千三百三回目の春
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濃紫編 #1 方略 ⅩⅣ

「幸せ」。

 あたしがそう言いかけた瞬間、ロランは激昂する。


「違う!!」


 ロランは羽毛が鎖で逆立つのも気にせず、激しく頭を振った。縛られているからそんなに勢いはないけど、あたしは押されて尻もちをつく。


「嘘ばっかりだ! 幸せだなんて嘘だ! 嘘、嘘、嘘嘘嘘!! あは、あははははは!!」

「嘘じゃない、嘘じゃないよロラン……! ねえ――」


 迂闊だった。ロランがあれだけお母さんのことで悩んでいたのに、あれだけ繰り返し嘆いていたのに。何であたしは「幸せ」なんて言葉を使っちゃったの?


 ロランは狂ったように笑いながら捲し立てる。今までに聞いたどんな早口よりも冷たくて、苦しそうな叫び。


「嘘じゃない? あはは、理由がないんだよ!」


 ロランがあたしに近づこうと、ぐっと鎖を引っ張る。全く身動きは取れていないけど、鎖は擦れて音を立てる。


「安い同情にしか思えないんだよ! どんなに手を尽くし言葉を尽くし慈悲を掛けてもらっても、僕は、シェリルの望むようにはなれない。全部、全部全部全部! あは! 何もかもが釣り合わないんだよ! シェリルのように華やかじゃないし、器用じゃない。バッドステータスにしかなり得ない。僕と一緒に居たって何の得もない。ねぇシェリル? あははははは! 僕はさぁ、気味が悪いんだよ。何でそんなに僕に拘るの? 勝手にドラゴンになった僕に、どうして拘る? ねぇ?」

「そ、んな……、だって、だって、ロランは……!」


 泣いちゃ駄目。絶対泣いちゃ駄目。辛いのはあたしじゃなくてロラン。あたしはロランの感情の全部を受け止めなきゃいけないの。ここで涙を流したところで、何にもならない。

 ロランはあたしを助けてくれた。あたしがロランと一緒にいるのは、守ってくれたあの後姿が忘れられないから。事件の後、どんどん孤立していくロランを放っておけなかったから。あたしが、そう思ってしまえるくらいロランのことが好きだから。


 耐えろ、シェリル。必ずロランを連れ戻すの。あたしが耐えればロランは無事戻ってくる。あたしはロランのことが好きだから、なんて言われたって平気なの。あたしの想いを伝えるのは、日常が戻ってきてからでも充分間に合う。今は受け入れるべきなの。


「まるで僕が悪いみたいじゃないか! 僕がシェリルを縛り付けてしまったみたいじゃないか!! 自分の所為だって顔するけどさ、これは僕が決めたことなんだよ。責任なんてシェリルにはこれっぽっちもないのに、もうこうするしかないみたいな顔しないでよ!」

「違う……! 違うの……!」


 もう、どう答えろっていうの?


 ロランの言っていることは、あたしの本心じゃない。あたしの望みじゃない。責任もあたしにあるし、ロランに縛り付けられてもいない。何から何まで、決定的に間違っている。


「何が違うんだよ!! どうせ償いだとか思っているんだろう? どうせ、僕のことなんてどうも思ってないだ――」




「――うるさい黙れ!!」




 世界が一瞬で静まり返った。


 あたしはロランのことを受け容れなきゃいけない。優しく包んであげなきゃいけない。

 でも口から出たのは真逆の言葉だった。


「勝手に決めつけてんじゃねーよこの根暗眼鏡!!」

「え、な、」


 あたしには元から我慢するつもりなんてなかったのかもしれないけど、自分でも驚くほど、思っていたことがそのまま出ていく。

 もうこの際、片っ端からぶつけよう。


「いい? 聞いて。あたしはロランに一目惚れしちゃったの。ロランはあたしを助けちゃったんだから、好かれないわけがないでしょ。分かってる? あたしは、何でもいいからロランと一緒に居たかったの。ロランがドラゴンに成ってどんどん孤立していって。弱ってるところを見て、今近づけば付き合えるって思ったの。言っとくけど、気づかないロランが悪いんだからね! あたしはチャンスを活かすために出来る事をしただけ! 文句ならあたしを助けた時のロランに言って!!」


 なんだかんだ悩んだけど、あたしの本心なんて結局これ。責任とか、そんな言葉で繕ったって意味はない。だって一目惚れしただけだから。


「違う、そんな、はず」


 これだけ言っても、ロランはまだ否定しようとする。ほんとムカつく。

 あたしはロランの顔の羽毛を掴んだ。「痛い」とか言っているけど、そんなの知らない。


「ロランの意見は聞いてない。あたしはロランが好きなの。大好きだから一緒に居るの。じゃなきゃこんな面倒くさいやつと二人で出かけたりしないから。親しくなったのが最近とはいえ、知り合ってからはそこそこ長いよね、あたしたち。知ってるでしょ? あたしが、気に入ってる子としかプライベートな話しないってこと。ね、気に入られてる自覚ない? あるよね? こんだけお互いの家で遊んだりして、しかもあたし結構雰囲気作ってるつもりなんだけど、ロラン見て見ぬふりするよね。そんなにあたしのこと嫌い? ねぇ、聞いてる? 返事しろよ」

「ごめ、ん、なさい……」

「何謝ってんの。ロランが謝ること、なんにもないじゃん」


 膨らんでいたロランの羽毛が今はぴったり体にはりついて、なんかすごく細い鷲になっている。確か鳥って、恐怖を感じると羽根をしぼませるんだっけ。ロランは目を全然合わせてくれない。


 ――やっちゃったかも。かなり怖がっている。


 あたしは息を深く吐ききった。そして吸い込む。気持ちを落ち着けて、ロランの額を優しく撫でた。ロランは一瞬びくつくけど、ゆっくりと、あたしに心を許してくれる。


「別にロランを責めてるわけじゃない。あたしのことが嫌いなら、無理に付き合ってくれなくたっていいの。もし拒絶されてもあたしはめげない。ただそれだけのこと。だから、ね?」


 ロランの胸元に抱きつく。柔らかい羽毛に埋もれると温かくて――今はちょっと焦げ臭いけど、魔力の甘い匂いがする。ここ最近ずっと隣にあった、ロランの香り。


「もしあたしのことを少しでも特別に思ってくれているなら、その気持ちを教えてほしいの。……さっきは色々言ったけど、正直あたしだって、ロランの傍にいてもいいのか心配なんだから。イエスかノーかくらい伝えてくれたっていいじゃん。ロランのばか」


「――そ、っか。そうだったんだ」


 ロランは、あたしの行動の理由がやっと腑に落ちたんだと思う。穏やかな声で呟くと、体が糸みたいに解けはじめた。

 しばらくすると何かがぐっとのしかかってきて、あたしはぎゅっと抱きとめる。あたしの腕の中で、細くてぼさぼさの赤毛が光に照らされて、オレンジ色に光った。


 ――これは間違いなくロラン。戻ってきてくれたんだ。


 態勢を立て直そうとして鎖を踏んづけたロランは、危なっかしくよろける。ロランはあたしの肩に手をかけて覆いかぶさってきた。見上げると、ロランは珍しくはにかんでいる。


 こんな距離まで接近することは一度もなかったから、顔が近すぎて恥ずかしい。

 けど、それが何よりも心地いい。


「ありがとう、シェリル」

「こちらこそ。ロランのおかげであたしの心も決まった」


 ロランはあたしの背中に手を添わせ、強くたぐり寄せる。あたしはされるがままに、ロランの肩にあごを乗せた。


「ロラン、戻ってきてくれてありがとう」

「別に大したことじゃないよ。ちょっと自分の主観的価値を上方修正しただけ。シェリルが思いのほか高評価してくれていたからね」

「ばか。ほんとばか」

「うん……、そうだね」


 すごく幸せ。これで晴れてロランと付き合って――




 ん、ちょっと待って。




「ねぇ、他に言うことは?」

「好きだよ、シェリル」


 ロランが優しく微笑みかけてくれる。青紫色の瞳があたしだけを映していて、マジで最高の告白。


 でも、ほんのり、あたしにとって都合が悪い笑顔に見える。こう、なんていうか、イエスって言い切ってくれない感じがする。それともあたしの勘違いなのかな?

 試しにあたしはもう一回聞いてみる。


「ねぇ、他に言うことは? イエスとかノーとか」

「……うん、好きだよ」


 ロランがあたしのことを好きでいてくれているのは分かった。でもあたしが聞きたいのはそれじゃない。


「他にいう」

「大好きだよ」


 あんた確信犯でしょ。「一緒にいてもいいのか」って問いには答えないつもりでしょ。


「ねえ、ロラン? あたしから言えってことなの?」

「いえ違います断じて」


 天窓から差す光は祝福ムードだけど、今回だけは空気読めていない。ロランとおんなじくらい空気読めていない。


「じゃあ何? あたしを振ると?」

「違っ、まさかそんな、あ、でも、いや」

「なら言えよ」


 ロランが誤魔化し笑いをする。でもあたしの顔を見て少しずつボリュームを絞って、最後には黙り込んだ。

 あたしは沈黙したロランの脛を蹴る。


 すると、ロランはあたしの目を真っすぐに見つめて――言い放った。


「取り敢えず、付き合うのは保留にしてください!」


 ああもう、笑うしかないじゃん、こんなの。


 堕ちたロランが無事戻ってこられて、あたしのこと好きって言ってくれて。

 本当に、今日はサイコーの記念日。


 ロランは何故か後ずさりする。あたしはよれよれのダサいネクタイを握りしめた。


「ロラン、確か人間よりずっと頑丈なんだよね?」


 こんなに喜ばしいことなんてそうそうない。

 だからたまには、最高速でこの平手を叩きつけてやる。


「いや、やめ、ちょ」


 お祝いのクラッカーって、けっこう清々しい音するなぁ。

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