濃紫編 #1 方略 Ⅹ
彼はにやりと笑みを浮かべる。
「なあ、対策軍に見つかっちゃいけないのに、何で俺はこんなところで買い物しているんだろうな?」
またクイズだ。もしかすると彼は対策軍が撤退するまでの間、暇つぶしをしたいのかも。仕方ないからあたしは答えてあげる。
「買い物しないと生活に困るからでしょ?」
「そんなわけないだろ。究極的には『領域』に籠っていても暮らせる。通販で事足りるからな」
一昔前のロランみたい。「移動に時間を掛けるのは非効率的です」とか言っていたから、彼とロランで理由は大きく異なるけど。
それはともかく、彼が買い物している理由。きっと彼は内向的ではないから家の外に出たいのかもしれない。でも監視が――
「もしかして、監視されてない?」
彼はこっちを見ていたずらっぽく微笑んだ。
「大正解。『監視・記録・ネットワーキング複合術式』は何故構築されたのか。何故ロストテクノロジーを今でも制御できているのか。それは、アルマス・ヴァルコイネンがあたかも存在しないかのように見せかけるために必要だからだ」
「すっごい陰謀を感じる。術式、アルマスが自分で作ったでしょ?」
「ノーコメント」
本人が名乗らないからいまいち確定じゃないけど、言っていることがスケール大きすぎ。彼は絶対にアルマス・ヴァルコイネンだ。
特に、この術式を利用しているのは警察や竜災対策軍。取り締まる側の組織が、取り締まられる側の提供する術式を使っているなんて、闇が深い。
「じゃ、その対策軍がいなくなるのを待って、その間に改竄術式ってやつで記録いじって、そのあとロランを止める。これでオッケー?」
「いや、少し違う」
彼はあたしの自信たっぷりの回答を訂正する。これで正解じゃないとか回りくどすぎるんだけど。
「改竄術式は遠隔制御ができない。直接魔石に触れるしかないんだ」
そう言われて、あたしは会ったときの意味深な行動を思い出す。
「それで最初、天井を確認してたんだ」
「ああ。この通路には魔石はないようだ。しかし奥へ行って魔石を探すとロラン君から目を離すことになる。ロラン君の近くにいることを考えたら、対策軍がいなくなるまでは何もできない」
彼はそこまで呟くと急に振り返った。姿勢を低くして、曲がり角ギリギリまで身を乗り出す。
すごく不穏な動き。嫌な予感がする。
「……どうしたの?」
あたしが聞くと、彼は人差し指を唇に当てて鋭く息を吐き出した。
「あいつら初手からロラン君を攻撃するつもりだ。くそ、想定外にも程がある。下手すりゃ死人が出るぞ……!」
「なにそ――」
「お前はここにいろ。タイミングが来たら報せる。合図をしたら、ロラン君を全力で呼び戻せ」
彼はあたしにそう言いつけると、中腰のまま素早く走っていった。
もう全然状況が追えない。
一人取り残されて、あたしの頭の中には彼の言葉がめぐる。
死人が出る。
彼の言い方だと、きっと死ぬのはロランじゃない。だって、アルマス・ヴァルコイネンと思しき彼が、「強い」って表現するんだから。殺されるのは対策軍の方だ。
彼はそうならないために走っていったんだろう。でも彼が完全にロランのことを、対策軍のことを守り切ってくれる保証はない。
その時、男の叫び声が聞こえてきた。
「――堕ちるような糞虫に手加減は無用だ!! さっさと殺せ!! お前たちが耐えられたことに、その程度のことに耐えられないような雑魚はこの世に要らん。暴れだす前に害虫は駆除しろ!!」
「なんでそんなこと言うの……!?」
規則正しい足音を止めて、ロランの近くまで来る対策軍。指令を飛ばしているのはたぶん対策軍の奴。がなり立てている内容は、隊員を鼓舞するためとはいえ聞くに堪えない。
確かに、ドラゴンに成ることも堕ちることも、全部自己責任。堕ちる人は心が弱いって考えるのは、普通の感覚。
でも、堕ちたからこの世に要らないなんておかしい。
だけどあたしにできることは何もなかった。文句の一つも言ってやれない。それをいいことに、対策軍の奴は追い打ちをかけるように侮辱した。
「堕ちるような輩だ! どうせドラゴンになった理由も、碌でもないに決まっている!」
あたしは一気に血が回るのを感じた。
最悪。本当に最悪。人生で一番頭にくる。
衝動に任せて強かに拳を床に叩きつける。冷たく鈍い音がして、押しつぶされた肉が傷みを訴えた。でもそんなのどうだっていい。
「ふざけんな……! 命を懸ける理由がろくでもない理由でたまるか……!」
あたしが襲われているのを見て、誰も助けようとはしなかった。身の危険があるから、それは当たり前の反応。
なのにロランはあたしを助けるために死にそうになった。それでも諦めないで最後には救い出してくれた。今日だって。結局は、好きでも何でもないあたしを守るために、付き添ってくれているだけ。
あたしは、ロランは底辺だからって内心小馬鹿にして、自分の立場のためにいじめを止めなかった。あの事件の時、きっとあたしがロランだったら「ざまあみろ」って思って見捨てたはず。自分がいじめられているのを傍観していた奴なんて、助けようとは思えない。
それでも助けようとしてくれる心の強さが、ろくでもないものなわけがない。
自分のことのように怒って、他人を守ろうとしてくれる優しさが、ろくでもないなんて言われていいはずがない。
けど、怒ったところで、今すぐあたしに出来ることはない。できるのは彼の合図を待つことだけ。
「……あたしもドラゴンに成れば、ロランを救えるのかな」
「――怒り、怒り怒る! 母さんは激昂。僕、おかしい? おかしいから! 母さんは幸せになれないの、ね! 寂寞と寂寥を飲み込むと嬉しくなる。僕を棄却するとしあわ、死! 僕、死んだ方がいいぞ! 僕死ねよ? 死ね、死ね死ね……」
ロランの言葉が過激さを増していく。理性はもう残ってないのかもしれない。
涙は止まらなかった。
「ばか……。そんなに否定しないでよ……」
ドラゴンは耳が良いんでしょ。あたしのお願いくらい聞いてくれてもいいのに。
そんな想いはロランにはまるで伝わらなくて、暴れるのをやめる気配はない。ショッピングモールは灼熱の世界と化し、青紫色の火が断続的に空気を焼く。
ぴたり、と。
ロランの動きが止まった。
妙に静かで気味が悪い。この場にいるみんなが、そう感じた瞬間だった。
「――ぅぅううああああああああああああああはははははははは!!」
フロア中を、ロランの絶叫と紫の爆発が支配する。




