1-75:79年目の秋です3
秋になりパラルトではここ数十年ない賑わいを見せていた。
街を歩く貧しい者も裕福な者も一様に笑顔を浮かべ、それぞれが秋の収穫を喜んでいた。
そして、今日行われる収穫祭の会場となる街の中央広場へと人々は流れていく。
その街の広場にまだ背丈が2Mに届くかと言う若木が植えられていた。不用意に人が触れたりしないように周囲を柵で囲い、その柵の四方にそれぞれ衛兵が立つといった厳重な警備に守られている。
この若木こそが今年の実りを齎してくれた神樹であるとの発表が成されている。
いつの間にかこの神樹の前には小さな祭壇が設けられ、今では連日祈りを捧げる者達が後を絶たない。
その為、この街にある教会はこの神樹の所有権を声高々に主張しているが、だれもその声に耳を傾ける者はいなかった。
民衆は皆、自分達に実りを与えてくれた神樹は目の前にあり、その恩恵は教会に関係なく与えられている事を知っている。民衆にとって、教会であろうが、国王であろうが、自分達に直接恩恵を与えてくれる者を信じるのは自然な事であった。その為、主張すればするほど教会の権威は地に落ちていくのだが、肝心の教会関係者達はその事に気が付いていなかった。
「むぅ、何とかあの神樹を手に入れろとは、教皇様は何をお考えなのか」
パラルトのユーステリア神教司祭ゼムトスは、本部より届けられた書状を見ながら窓の外に見える神樹を見て溜息を吐いた。書状には、このパラルトに植樹された5本の神樹のうち一本で良いので入手し、神国へ送れとの指示であった。
ゼムトス自身は確かにユーステリア神教の敬虔な信者であった。それ故に、人々が幸せに暮らす事を第一と考える至極まともな人であった。それ故に、今この街が長い苦しみから解放されるかもしれない、そのきっかけとなる神樹をいくら教皇の命令であっても傷つけたり、奪ったりする事など出来るはずがないのだ。
このパラルトでは、教会も率先して市民救済を行っていた。その為、行政と教会の関係は非常に良好であった。これも、この街が神樹の効果試験場所に選ばれた要因であった。
ゼムトスはこの時、まさに教会と自身の道徳とで板挟みとなっている。
「むぅぅ、唸っていても仕方が有りませぬな。さて、代官どのにご相談に行きますか」
ゼムトスは椅子から腰を上げ、代官のいる行政庁舎へと向かうのだった。
パラルト代官であるトリアは女性ながらも優れた行政官として名が通っていた。
既に年齢は60を過ぎているが、この気候変動に逸早く対処した者の一人であり、その御蔭でこのパラルトは城壁内に多数の農地を持ち、また義倉を作るなどの様々な飢饉対策を早期に行ってきていた。
しかし、そのパラルトにおいても長く続く冷害に苦しめられ、すでに余裕は無い状況になっていた。
その中においての神樹植樹並びに豊作である。彼女も行政庁舎の窓から祭りの状況を笑顔を持って眺めていた。
その最中にゼムトスの来訪を告げられる。
トリアにとってゼムトスは戦友と呼んでも良い関係を築いていた。
冷害による不作、飢饉、難民、治安の悪化。縦続きに起こる問題をゼムトスは精神面から支え続けてくれたと思っている。先日、今年の豊作を共に喜び合ったばかりであり、それ故にこの突然の訪問を驚いていた。
そして、ゼムトスに渡された書状を読み、彼女は驚きを露わにしながらも、すぐに表情を改める。
「これは、教会の総意と思ってよろしいの?」
笑顔すら浮かべるトリアに、ゼムトスも同様に笑顔を浮かべる。
「さて、末端のいち司祭ごときに上層部の事は解りかねますな。なにしろ、碌に手紙すら届きません」
言外にて自分は手紙など見てはいないとの意味を匂わせる。そして、それを受けトリアは手紙を畳み、国王へ認めた手紙と合わせて側近に届けさせる。
「しかし、あの神樹とはいかなる存在なのでしょうか?あの神樹があるだけで作物は育ち、天候も穏やかになる、奇跡以外にありえないでしょう」
ゼムトスは出された紅茶を飲みながら、トリアへ問いかけ少しでも情報を得られればと思う。それは教会の為でなく、この神樹によってより多くの者を救いたいとの思いからの発言であった。
ゼムトスの思いを知っているトリアは、可能であれば神樹の情報を渡してあげたいと思った。しかし、トリアは自分が持っている僅かな情報であっても広める権限をもっていない。その為、苦笑を浮かべ一切の発言は行わずゼムトスは結局世間話のみで帰る事となった。
「神と悪魔は紙一重と申します。神樹の扱いは十二分に注意が必要だと思っています」
帰り際、ゼムトスの後ろ姿に向けトリアが呟いた。一瞬歩みを止めたゼムトスは、一つお辞儀をすると教会へと戻って行くのだった。
◆◆◆
その頃、ビルジットは今年収穫された100個を超える木の実を目にしていた。
あまりに一気に収穫が増え、木の実の今後の取り扱いに悩んでいたのだ。
ゾットルからの報告書によれば、この木の実を食べる事により、鬼などへと進化を促されるとの事であった。しかし、鬼や、伝説のエルフであろうとも亜人へと姿を変える事が進化だとは思えない。
それは、自分が幼少の頃より育てられた倫理観などによるものである。
根底にユーステリア神教の教えが有る事を否定するつもりはない。それ故、あえて亜人になる事は考えていないが、事の真偽は確認したいと思っていた。
「結局、誰に食べさせるかか」
ビルジットの頭の中に複数の人物の顔が思い浮かぶ。その中において、まず戦闘力が低くいくら強くなっても取り押さえられる者との事で文官へと絞る。更にその中で両極端の思考をする者が必要だと考え直す。
ああでもない、こうでもない、悩み続けるビルジットの下にトリアからの手紙が届くのだった。
そして、その手紙を読み終わったビルジットが非常に黒い笑みを浮かべる。
「誰か、至急ロマリエを呼べ!相談したい事が有る」
ビルジットがロマリエを呼び、何かを指示した。その指示を聞いたロマリエは表情に驚きを浮かべ、次にビルジットと同様に黒い笑みを浮かべる。
その後、王都の教会からユーステリア神国へ数人の教会関係者が今年の作物などの信者からの奉納品を届ける。そして、その奉納品とは別に、一つの箱が教皇側近にひっそりと手渡されていた。
その夜、教皇は久しぶりの贅沢な食事に満面の笑みを浮かべる。
「おお、今年は嬉しいの、近年は秋であっても今一つ彩に欠けておった」
「はい、今年はグラント王国において予想以上の豊作でありました。それ故、今年は上納品が非常に豊かであります」
側近の言葉に頷きながら、教皇は次々に出される食事を平らげていく。
「おお、美味いのう」
一通りの食事を終わらせた教皇の前に、デザートが出された。
「林檎を砂糖で甘く煮たデザートでございます」
教皇の目の前に、甘く煮たデザートが出されるのだった。




