1-100:83年目の秋です
「セイヤ!セイヤ!セヤセヤセヤセヤ!」
「セイヤセイヤセイヤセイヤ!」
「セヤセヤセヤセヤ」
暑さも和らぎ、みんな秋の実りでポッコリお腹になる秋ですよ。
心も体も、ゆったり満足、みんな幸せを満喫するはずの秋なのです・・・けど、心の中に木枯らしが吹き荒れている樹です。
「セヤセヤセヤセヤ」
「セヤセヤセヤセヤ」
うわ~~ん、周りが騒々しいのですよ?
どうしてこうなった!なのですよ?
思えば、夏にはその兆候が見えていたのです。
木の柱、茅葺の屋根、う~~ん、教会というよりは・・・・
そんな事を思いながらも、わたしの神殿が出来るのをワクワクしていた自分です。
なぜ、なぜあの時軌道修正をかけなかったのでしょう?
遠い国ではわたしの子供達や孫たちが、厳かな雰囲気満載の神殿を背に、崇められているのを見ます。
この近辺では石材を手に入れる事が難しいようなので、まぁそこは木製でもいいかな?
なんて妥協してしまった自分が思いっきり憎いです!
そうなのです、今わたしの眼前には、どう見ても神社かお寺、ともかく木造一階建ての建築物があるのです。御賽銭箱はなぜかありませんが?換わりに供物台はあるのです。
秋の実りが山のように蠢いてます・・・あれ?
と、ともかく、それでも一応仕方ないかっと妥協はしたのですよ?
ほら、文化の違いってやつです・・・・あれ?
この人達、元々は同じ文化圏にいませんでした?
そもそも、貴方達どっから異文化持ち込んできたのですか?
確かに、建物がすでに前に見た聖歌隊や神父さんの厳かな雰囲気には合わない気が・・・っと思っていたのです。でも、そもそも神父さんはどこ?
聖歌隊は?少年少女合唱団でも可なのですよ?どこからどうみても法被着たおっちゃんが音頭をとってます。歌も讃美歌なんかじゃないのです、意味は解らないですけど民謡っぽいのですよ?
ましてや、おっちゃんの周りには、なぜかやはり狼さんや大型猫さん達が不協和音を奏でています。
あと、鈴の換わりなのでしょうか?それは太鼓ですよね?手で叩く小さなものから、バチで叩く大きなものまでありますね。
とにもかくにも、思いっきり和なのです!お祭りなのですよ?
それも、盆踊りなんかじゃないのです、思いっきり男の祭り!って感じがビシバシなのです。
当たり前のように山笠まであるのです。なぜ?
そして、その山笠を男の人達が担いで、わたしの周りを一周します。その時間を競争しているみたいです。その後に森を通って村まで走るみたいです。その山笠が5分おきに5組出発しました。
きょ、教会のなんっていうのでしょう、厳粛で、荘厳で、神秘的な、ちょっと憧れちゃう?みたいな物を期待していたのですが、勇壮で、活気が有って、庶民的な、ちょっと参加しちゃう?みたいな物に変わってしまってます。
う~~~嫌いではないのですよ?こういう物もワクワクドキドキで良い物なのです。
でも、でも、これは参加できないと駄目なのです!参加してこそのお祭りなのですよ!!!
ただここでボ~~っと見ているのは、ましてや周辺を囲う様に設置された屋台すら遠くから見ているだけなのです!ひやかす事すら出来ないのです。
それなのに、屋台の美味しそうな匂いだけはバッチリ漂って来るのですよ!
酷いですよね?残酷ですよね?
ふえ~~~ん、わたしには、褌姿のお兄さん達の後ろ姿しか楽しみがないのです~~~~
それだって、確かに最初はちょっとドキドキしたのですよ?
え?キャッ!チラッ、チラッっと楽しめたのですよ?
でも、それもお祭りに活気が出始めると、だんだん物寂しさにとって変わっちゃったのです。
みんながワイワイ大騒ぎしているのを、ぽつんっと遠くから眺めている事しか出来ないのです。
お祭りに来ている人たちは、み~~んな笑顔なのです。
手に手に何か食べ物や、飲み物を持って、山笠に声援を送って、桶から水を掛けている人達もいます。
御揃いの法被を着ている人、華やかな服を着て恋人?と歩いている人、子供を真ん中に手を繋いでお祭りを
見ている人、みんなそれぞれです。
一応、みんなわたしの前でお祈りをしてくれます。
みんなの感謝の気持ちが、なんとなく感じられて、ほんわかした気持ちになるのは確かです。
お祈りする表情には、苦しみや、悲しみは感じられません。みんな幸せいっぱいの笑顔があるのです。
それ自体は、わたしが望んでいた事なんだと思います。
周りの人達がみんな悲しそうなのは嫌いです。苦しそうなのも嫌いです。
子供の笑顔を見ていると、嬉しくなります。
でも、このお祭りの中で、わたし一人だけが置いてかれてしまったような、見えない壁が、わたし達を隔てているのです。そんな何とも言えない思いが、ふっと過るのです。
そうすると、いろんな思いが溢れてきます。
・・・・・・・わたしは、何のために生まれたのでしょう?
他人を幸せにする為だけに生まれたのでしょうか?
わたしは何のために生きているのでしょうか?何が楽しくて生きているのでしょうか?
わたしの前では、お祭りのクライマックスの花火が打ちあがります。
花火の打ちあがるドンっという音に続いて、皆の歓声が響き渡ります。
空には、大きな、本当に大きな花が開き、消えていきます。
何て綺麗なんでしょう。そして、なんって寂しいのでしょう。
あ、もしかしたら、わたしは泣いているのかもしれません。
子供達から心配そうな思念が届きます。わたしの気持ちが伝わってしまっているのでしょう。
お祭りは今クライマックスを迎えています。
お祭りの終わりの雰囲気が、更に寂しさを感じさせます。
今まで楽しそうな笑顔を浮かべていた人達の中に、幾人も目に涙を浮かべて祭りの会場だった場所を見ている人達もいます。
全てには終わりがあるのですよね?どんなに楽しくても、必ずその楽しさにも終わりがあるのですよね?
それだったら・・・




