第99話
その日は宿を取って就寝し、翌朝。
教え子たちとともに朝食をとってから宿を出て、中央広場の噴水前に行くと、待ち合わせ相手のウルが先に待っていて、ぺこりとお辞儀をしてきた。
俺は片手を上げて、ウルに声をかける。
「よう、ウル。ずいぶんと早いな。俺たちも少し早めに出てきたつもりだったんだが」
「う、うっす。うちのために、ブレットさんやリオちゃんたちが協力してくれるっす。うちが遅れるわけにはいかないっす」
ウルは律儀だった。
そしてガッチガチに恐縮しているようだった。
俺はウルの前まで行って、その肩をポンポンと叩いてやる。
「そんなに気にしなくていいさ。教え子たちへの授業がてらだ。──それよりウル、今日の仕事は大丈夫なのか?」
「うっす。うち、普段は街のパン屋で雇ってもらってるっすけど、今日と明日は休みっす」
するとそれを聞いたリオとイリスが、感心したような声をあげた。
「へぇー、ウルってその歳で、もう働いてるんだな」
「すごいねウル。自分で働いて暮らしているんだったら、もう大人の仲間入りだね。私たちも頑張らないと」
対してウルは、わたわたと慌てて答える。
「そ、そんなことないっすよ! リオちゃんたちのほうが、よっぽどすごいっす!」
「……価値観の違い。……ボクは、毎日あくせく働くなんて、絶対に無理。……それができるウルは、尊敬に値する」
と、教え子たちとウルは、きゃいきゃいとそんな話をしていた。
なお、魔王ハンターとして魔王を退治するのも、報酬を受け取る以上は仕事であり、立派な労働であるわけだが、どうやらうちの教え子たちにその認識はないようだった。
ともあれ、そんな与太話をしながら、俺たち五人は図書館へと向かっていく。
ラヴィルトンの街の図書館は、中央広場から住宅街に向かってしばらく歩いたところにある。
やがて、閑静な住宅街の一角にある図書館の前にたどり着くと、少女たちはその建物を見上げて「おぉ~」と感嘆の声を上げた。
職人都市、あるいは芸術の都の二つ名を冠するラヴィルトンだが、その図書館もなかなかに立派なものだ。
三階建ての石造りの建物で、敷地面積も十分に広く、上流階級の邸宅ぐらいにはある。
この建物をいっぱいに使って蔵書しているのだから、その規模は相当なものだ。
しかもこの図書館は、ラヴィルトンの街の公費で運営されており、その利用料はなんと無料。
誰でも手軽に自主的に学べる環境を作り、それによって街の文化を発展させ、結果としてこの都市は今もさらなる発達を遂げている。
そして俺たちも、その恩恵を受けて気軽に調べものができるというわけだ。
俺は子供たちを連れて、そんなありがたい図書館の中へと踏み込んでいく。
入り口付近にいた司書さんに軽く挨拶をすると、司書さんは読んでいた本から目を離さずに、小さくこくりとうなずく。
俺は気にせず、子供たちを連れてそのまま書庫へと向かった。
「「「「うわぁっ……!」」」」
リオ、イリス、メイファ、そしてウルの四人が、再び感嘆の声をあげる。
ずらりと並んだたくさんの本棚に、革表紙の立派な本が、余すところなくぎっちりと収納されている。
その様は、まさに壮観の一言だ。
この図書館全体での蔵書量は、数万冊を数えることだろう。
専門書から娯楽書、魔法の教科書や料理のレシピ本、さらには随筆から物語に至るまで、多種多様な本が所狭しと並んでいる。
ラヴィルトンの街の性質上、職工や芸術関係の蔵書が特に手厚いが、それ以外の本も蔑ろにされてはいない。
さて──
問題は、この中からどうやって、目当ての情報を探し出すかだが。
「な、なあ、兄ちゃん……これだけの本、全部読まないといけないの……?」
リオが顔を青くして、そんなことを聞いてくる。
イリスとウルも、だいぶ怖気づいているようだった。
ちなみにメイファはというと、近くにあった本棚の本を一冊手に取って、それを適当にぺらぺらとめくって眺めていた。
こいつは多分、真面目に探す気がないな……。
おそらくは興味の向くままに本を開いているだけなのだろうが……まあいい。
俺はリオたちに向かって言う。
「この図書館の本を全部、端から端まで読んでいたら、それだけで一生が終わっちまうかもしれないな。そうじゃなくて、調べたいものに関する本を探すんだよ。今回だったら、狼人間について書いてある本だな」
「えっと……でも、先生。狼人間について書いてある本って、どうやって探すんですか……?」
イリスが質問してくる。
良い質問だ。
俺は少し考えてから、答える。
「それに関しては、基本的には必勝法はないな。適当にあたりをつけて探すしかないのが通常だ。今回だったら、勇者向けの本や、生物学、あるいは人類学あたりの棚を探してみるのが正攻法ってことになると思う」
「……でも、お兄さん……『基本的に』とか、『通常だ』とか言うからには、本当は、必勝法を知っている……?」
メイファが読んでいた本から目を離し、俺に視線を向けつつ言ってくる。
さすがメイファ、鋭い。
あと本を読みながら俺の話も聞いているとか、相変わらず器用なことをするなこいつ。
俺はメイファに向かって答える。
「まあな。実はな、どこの図書館でもできるわけじゃないが、このラヴィルトンの図書館なら可能だという、とっておきの必殺技がある」
「……必殺技。……それにはボクも、興味がある」
「うちも必殺技、教えてほしいっす!」
メイファとウルが、目をキラキラとさせながら食いついてくる。
リオとイリスもまた、興味津々のようだった。
ふっふっふ……いいだろう。
では究極の必殺技をお見せしよう。
「じゃあ、俺が実践してみせるから、よーく見てろ」
俺は教え子たちの尊敬のまなざしを受けながら、まず、書庫の前から移動した。
そして向かった先は、図書館の入り口前だ。
入り口すぐの場所にはカウンターがあり、そこには椅子に座った一人の女性がいる。
彼女はこの図書館の司書だ。
二十代半ばで眼鏡をかけた、大人しそうな雰囲気の女性で、今は外界のことにはまるで興味がないというように、手元の本を読みふけっていた。
俺はその司書の女性に向かって──とっておきの必殺技を放った。
「あのー、狼人間に関して調べたいんですけど、どの本を読んだらいいでしょうか?」
俺の必殺技を見た教え子たちが、一斉にずっこけた。
「ちょっ、兄ちゃん……! 必殺技って、図書館の人に聞いてるだけじゃん!」
リオがそう突っ込んでくるが、俺はチッチッチッと、人差し指を立ててみせる。
「いいか、分からないことは専門家に聞くのが一番なんだよ。俺たち勇者が魔王退治のプロフェッショナルなら、司書さんは本のプロフェッショナルだ。特にここの司書さんは優秀だぞ」
と、俺がそう言ったところで、それまで微動だにしていなかった司書の女性が、ようやく動いた。
読んでいた本にしおりを挟み、本を閉じる。
それをカウンターの上に置くと、視線を上げ、俺を見てきた。
「あ……ブレットさん、お久しぶりです」
司書の女性は、ぺこりと頭を下げてきた。
おや……?
「あれ、俺のこと、覚えてるんですか? 一度しかお会いしてないし、前に来たのは何年も前だったはずですが」
「……はい、覚えています。以前に来た時に、私の仕事をべた褒めしてくれたので、つい名前と顔を反芻して、覚えてしまいました。以前よりも外見は大人びていますけど、ひと目で分かりましたよ」
司書の女性は、おっとりとした様子でそう言ってくる。
俺は以前にラヴィルトンに来たとき、やはり調べものがあって、この図書館を利用したのだ。
その際に調べたいものを彼女に伝えたら、この膨大な量の書物を収めた図書館の中から、的確な関連書籍を数冊、何の迷いもなく引っ張り出してきてくれたのだ。
特にべた褒めをした覚えはないのだが……まあ、その仕事ぶりに感動して、すごいすごいとは言ったかもしれない。
それにしても、たくさんの利用者を相手にしているであろうに、たった一度この図書館を利用しただけの俺を覚えているなんて、おそろしい記憶力だな。
一方、司書の女性は立ち上がり、なおもおっとりとした様子で言う。
「狼人間に関する書籍でしたね。ついてきてください」
そう言って、司書の女性はおもむろに、書庫に向かって歩いていった。
俺は教え子たちを連れて、そのあとについていく。
司書の女性は何の迷いもなく書庫を進んでいき、一切の淀みなく本を選んでいく。
「これと、これと……あと、これもですね」
書庫を進むごとに、司書の女性は次々と、俺に本を渡してくる。
そうしてしばらく彼女のあとをついていくと、最終的に全部で十冊を超える数の本が、俺の腕の中に積まれていた。
モンスター学、自然人類学に文化人類学、果ては狼人間を題材にした物語や、なぜか武具を扱った職工関係の本まで混ざっている。
「うちの蔵書で、狼人間に関する知識を得るために適切な本は、これで全部のはずです。私も、当館のすべての書籍を中身まで把握しているわけではないので、ひょっとすると漏れはあるかもしれませんが、その場合はすみません」
「いえいえ、ありがとうございます。とても助かりました」
「どういたしまして。館内で閲覧される場合は、こちらのテーブルを使ってください。それでは」
司書の女性は会釈をすると、また館の入り口のほうへと戻っていった。
そんなわけで、ものの十分あまりで、必要な本の抽出が完了してしまった。
俺たちが自力で探していたら、五人がかりでももっと膨大な時間がかかっていただろうし、取り漏らしも多かったはずだ。
「司書さんって、すっげぇ……」
立ち去っていく司書の女性を見て、リオがそう漏らす。
「いやまあ、ここの司書さんが特別優秀だっていうのもあるだろうけどな。──さて、ここから先は、俺たち自身が本を読んで調べる番だぞ。いいな」
「「「「はーい」」」」
そんなわけで俺は、子供たちを交えた人海戦術でもって、テーブルの上に積まれた本へと取り掛かっていったのである。




