第86話
メイファの【炎の矢】発動を察知したセシリアは、吐き捨てるように言う。
「はっ! メイファちゃんには悪いけどさ、【炎の矢】なんて羽虫がぶんぶん飛んでるぐらいの鬱陶しさでしかないんだよ! 【月光剣】を使えるブレットくんとリオちゃんさえ片付ければ!」
セシリアはメイファなど眼中にないと、これ見よがしに言い放つ。
確かに、セシリアの防御力の高さは物理防御力に限った話ではない。
魔法でもよほど高火力のものでなければまともに通らないというのは、強がりでも何でもない事実だ。
だがこれが、セシリアの誤算その二でもある。
「……じゃあ、その羽虫が集まって一羽の鳥になったらどう、お姉さん。──結合! 行け、【不死鳥の矢】!」
「なっ……!?」
──キュアオオオオッ!
大気を切り裂く怪鳥の叫び声のような音とともに、メイファの放った大きな火の鳥がセシリアに襲い掛かった。
セシリアはとっさに大盾を構える。
その大盾に【不死鳥の矢】が直撃した。
──ドォオオオオオンッ!
直撃した大盾を中心に激しい炎が噴き上がり──
「ぐぅっ……! ──こ、このっ!」
セシリアは直後、大盾を投げ捨てた。
がらんと音を立てて床に転がったセシリアの大盾は、炎上するばかりか、超高熱によってどろりと溶けて原形をとどめないほどになっていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……! な、何だよ、今のは……!?」
額に汗を浮かべるセシリア。
彼女が直前まで大盾を装備していたその左腕では、漆黒のガントレットがぶすぶすと白い煙をあげていた。
そんなセシリアの疑問に対して、メイファが淡々と応じる。
「……【不死鳥の矢】。……マヌエルのお爺さん……“魔帝”から教わった」
「【不死鳥の矢】……“魔帝”マヌエルだって……?」
「……そう。……お爺さんは今、ヴァンパイアロードと戦っている。……“武神”オズワルドも一緒」
メイファがそう伝えると、対するセシリアは乾いた笑いを浮かべた。
「ははっ……“魔帝”マヌエルに、“武神”オズワルド……まさかそんな大物が出てくるとはね。……まあでも、そりゃあそうか。主様に太刀打ちするつもりなら、そのぐらいは連れてこないとね。──でもそれなら、私も遊んではいられなくなったね。ブレットくんたちをさっさと蹴散らして、主様の応援に行かないと。二対一は──卑怯だからね!」
──ゴォオオオオオッ!
セシリアの体から、漆黒の闘気が吹き上がる。
気圧されそうになるほどの恐ろしい力だ。
そして──
「そのためには──まずはイリスちゃん、キミだよ!」
ギンと、再びセシリアの瞳が赤く輝いた。
その視線が向いた先は、後衛に控えているイリス。
「あっ……」
少女の小さな声。
かくんと、俺の背後でイリスの体が力を失ったのが分かった。
俺は心の中で舌打ちをする。
さすがにイリスの抵抗力では、セシリアの【魅了の魔眼】に抵抗しきることはできなかったか。
予想はしていたことだが、こうなるとやはり、少しまずい。
俺はイリスに【平静】をかけることで一手が奪われるし、次のセシリアの攻撃に備えてのイリスの【光の守護】も潰されてしまった。
かと言って魅了されたイリスを放置しておくのもまずい。
イリスの補助魔法でセシリアを強化されたりしたら、それこそ最悪の事態だ。
……だが、もう一つ。
セシリアにはおそらく、もう一つ誤算がある。
このまま押し切ってもどうにか倒せるかもしれないが、それよりも──
俺は先ほど壁際まで吹き飛ばされたリオに向かって、叫ぶ。
「──リオ! 作戦プランB、その壁に【月光剣】だ!」
「了解、兄ちゃん!」
立ち上がって体勢を整えていたリオは、構えの姿勢から攻撃を放つ。
彼女の目の前にある、壁に向かって。
「はぁああああっ──【月光剣】!」
──ギィン!
リオの闘気をまとった剣が、部屋の石造りの壁を大きく貫き、分厚い壁に大ダメージを与えた。
それだけで破壊されるようなことはないが、まずは一撃目だ。
俺はここに来る前に、あらかじめリオたち三人に、セシリアと戦うときの作戦を伝えていた。
想定されるいくつかの状況にパターン分けして作戦を伝授していたが、この状況ならこれだろうというものを俺はリオに指示した。
だが一方のセシリアは、そんな俺たちの行動を嘲笑う。
「あははっ、ブレットくんの指示通りに動いてさ、健気だねリオちゃん! でもそんなことをしているうちに、愛しのブレットくんを壊しちゃうよ! ほぉらこんな風に──【月光剣】!」
──ズブシュッ!
セシリアが放った【月光剣】が、俺の胴を大きく切り裂いた。
「ぐぅっ……!」
正直めちゃくちゃ痛い。
俺のタフネスだってダテじゃないから一撃で撃沈するということもないが、そう何発も耐えられるようなダメージじゃない。
具体的には、もう二発もらったら確実に落ちるだろう。
いや、ひょっとすると次の一発でも危ないかもしれない。
だが──
「くっ──【平静】!」
俺はひとまず魔法でイリスを治療。
少しでも場を立て直しにかかる。
「うっ……! す、すみません先生! すぐに治します!」
はたと正気に戻った様子のイリス。
俺に治癒魔法をかけるために、慌てて精神集中を始める。
だがイリスには悪いが、本当のところそれにはあまり期待していない。
セシリアが繰り返しイリスに【魅了の魔眼】を使うことで、こっちの回復手の手数が二枚奪われ続けるという交換レートの悪いイタチごっこをする羽目になるだけだ。
それよりも期待するのは、アタッカー。
俺は続けて、メイファに向かって叫ぶ。
「メイファもだ! 作戦プランB、リオに続け!」
「……分かってる、お兄さん。──行け、【不死鳥の矢】!」
メイファが再び必殺の魔法を放つ。
対象はセシリア──ではなく、リオが攻撃したのと同じ石壁だ。
──ドガァアアアアアンッ!
リオの【月光剣】に引き続き、メイファの【不死鳥の矢】の直撃も受けた分厚い石壁は、ついにその耐久力が尽きかけてボロボロの状態になった。
よし、これであと一押し。
「リオ、蹴り飛ばせ!」
「オッケー、兄ちゃん!」
リオはあと一手で壊れるであろうボロボロの壁に、思いきり蹴りを叩き込もうとする。
それを見たセシリアが、高々と嘲笑った。
「あははははっ、ブレットくんのバァアアアアアカ! ヴァンパイアの弱点である日光を呼び込もうって作戦なんだろうけど、あいにくと今日は真っ暗の曇天だよ! 外を歩いてきて気付かなかったの? 注意力が足りない、足りないよ! あははははっ!」
どうも人類の多くは、他人の知性を侮るようにできているらしい。
それは勇者であれ、またヴァンパイアになったとて同じことのようだ。
というわけで、これがセシリアの誤算その三だ。
俺は構わず叫ぶ。
「リオ、やれ!」
「いっくぜぇえっ! てぇりゃあああああっ!」
──ドガァンッ!
勇者の闘気を込めたリオの蹴りが、ボロボロの壁に向かって炸裂した。
分厚かった壁の一部が完全に崩れ去り、それによって大きな風穴が開いて──
その壁の大穴から、日の光が燦々と注ぎ込んだ。
「そ、そんな、なんで──うわぁああああああああっ!」
大盾を失ったヴァンパイア=セシリアは、それを遮ることもできずにまともに浴びてもだえ苦しむ。
俺はそんなセシリアの前に傷の痛みを押して立ち、剣を構えた。
「な、いい天気だろ? “魔帝”マヌエルっていう、反則級の爺さんの仕業だよ。窓もないこんな閉じた部屋で棺桶の番人をやっていたら、外の天気が変わっても気付かないよな」
「ぐぅぅっ……! そんな、そんな……! これじゃあ私は、私の夢は……! みんなを欲望のままにむさぼる、私の夢がぁあああああっ!」
「その辺はあとできっちり説教してやるから、いっぺん眠れ。じゃあな、セシリアさん──【月光剣】!」
「ひぎゃあああああっ!」
──ズバァッ!
俺が放ったトドメの一撃を受けて、ヴァンパイア=セシリアはよろりとふらつき、ついにはばったりと倒れた。
「ふぅ……」
勝った。
俺は床に倒れたセシリアを見下ろして、ひとつ大きく息をつく。
そして──
「やったね、兄ちゃん!」
「うぅっ……足を引っ張ってしまってすみません、先生。私、どんな罰でも受ける覚悟です……」
「……別にイリスは足を引っ張ってなんかいない。大丈夫。……ね、お兄さん?」
「ああ、もちろんだ。三人とも初めての強敵との実戦、大変だったろ。お疲れ様、みんなよく頑張ったな」
俺は集まってきた三人の教え子たちの頭を一人一人なでてやってから、自分に治癒魔法を使った後、三人まとめてぎゅっと抱きしめた。
俺に抱きしめられた三人は、えへらっと笑って嬉しそうにしていた。
なおこの後、イリスの【究極治癒】によって、セシリアは無事に人間へと戻ることができた。
個人的に最大だった懸念事項が解消され、ホッと一安心だ。
そして残るはヴァンパイアロードなのだが──
これに関しては、もうなんとも身も蓋もない結末が待っていたのである。




