第84話
ヴァンパイアの城の居館、三階の最奥にある小部屋。
窓もなく閉め切られたその部屋は、薄暗くジメッとしている。
その部屋の奥にある重厚な扉と、それを守るように立った一人の漆黒甲冑の女性。
彼女は俺たちに向かって、にっこりと微笑みかけてくる。
「ブレットくんたちは主様の棺桶を探しに来たんでしょう? 求めているものはこの扉の奥にあるよ。だから──いつでもかかっておいで。みんなの無力さを思い知らせて、その身を打ち砕いて、最後にはたくさん愛してあげるよ。ああ、楽しみだなぁ……!」
女ヴァンパイアはそう言って、恍惚とした表情を浮かべた。
対してリオは、悲痛な声で訴えかける。
「待ってよセシリア姉ちゃん! オレ、そんなの嫌だよ! いつもの──あのときのセシリア姉ちゃんに戻ってよ! イリスが治療してやるから、受け入れてくれよ!」
それにイリスとメイファも続く。
「そうです、セシリアさん……! セシリアさんから教わった【究極治癒】で、きっと人間に戻せます! だから……!」
「……セシリアお姉さんには、ヴァンパイアなんて似合わないよ。……ボクは勇者のお姉さんのほうが好き。……だから、帰ってきてよ。……お姉さん、またボクたちと一緒に暮らそう?」
だがそれらを聞いたセシリアは、心底愉快そうにクスクスと笑う。
「分かってない、分かってないなぁみんな。……私はね、もともとみんなが考えているような『いい人』じゃあないんだ。勇者だった頃から欲望にまみれたクズだったんだよ。そしてその欲望はずっと満たされなかった。倫理とか、道徳とか、人を傷つけてはいけないとか、そんなくだらない考えに縛られていたからね」
セシリアは演説を打つように、滔々と語る。
その言葉はあふれる水のようにとどまるところを知らず、さらに続いていく。
「でもね、今は違うよ。この姿になった私は素直になれたんだ。解放されたんだ。だから欲望のままにみんなをめちゃくちゃにするよ。蹂躙するよ。みんなをたくさん傷つけて、たくさん壊して、その全部を味わいたい。それが私の本当の望み。この姿こそが私にお似合いなんだ。あははははっ、まだみんなには分かんないかなぁ。でも大丈夫、もうすぐ分かるようになるよ。主様に吸血してもらって、気持ちよくなって、私と同じになれば分かるんだ。だから、さあ──早くお互いに壊し合おう?」
俺の知るセシリアの姿は、もはやそこにはなかった。
本人はもともとだと言っているが、そんなことはない。
勇者だった頃の彼女と比べても、明らかに発想がエスカレートして、度が過ぎている。
だがそれを言葉で伝えたとて、ヴァンパイアとなって歪んだ欲望に支配されている今のセシリアに通じるとも思えない。
今必要なのは、彼女を力でねじ伏せることだ。
そしてセシリア自身が教えたイリスの【究極治癒】で、彼女を人間の勇者へと戻すこと。
そういう意味では、セシリアと俺の考えは一致しているとも言える。
セシリアは俺たちを壊し、求めるために。
俺たちはセシリアを救い、取り戻すために。
どちらの力が上か、ぶつかり合うしかない。
だがセシリアは、ただでさえ俺以上の実力を持った勇者であるのに加え、今やヴァンパイアとなったことでその力をさらに増している。
そして彼女の計算では、一対四でも俺たちを打ち倒せることになっているのだろう。
だからこそヴァンパイアロードの棺桶がこの奥にあることまでを俺たちに伝え、俺たちを煽ったのだ。
そんなセシリアに誤算があるとすれば、二つ──いや、三つか。
俺たちが付け入る隙があるとすれば、そこだ。
「セシリアさん」
「なぁに、ブレットくん」
「セシリアさんの望み通りにしよう。──俺たちはあんたを討ち倒す。そして力ずくで元に戻してやる」
俺はそう言って、腰の鞘から剣を引き抜いた。
一方のセシリアは、そんな俺の行動を見て歓喜の表情を見せる。
「あはっ! さすがブレットくん、熱くてクールだね! お姉さんゾクゾクするよ。そんなキミを打ち倒して、たっぷりと壊してあげたくなるよ……!」
セシリアもまた剣を抜き、大盾を構える。
そしてリオ、イリス、メイファの三人もまた、戸惑いながらも武器を構えた。
「に、兄ちゃん……! ねぇ、どうにかなんないの!?」
「気持ちを切り替えろリオ。イリスとメイファもだ。ヴァンパイアとなった者は、歪んだ欲望に呑まれる。今のセシリアに言葉は通じない。だから──これまでに学んだことを、セシリアにぶつけるんだ。みんなでセシリアを救うぞ、いいな!」
「「「は、はい!」」」
三人は俺の言葉に、気持ちが追い付かないという様子ながらも肯定の返事をする。
一方それを聞いたセシリアは、アハハと乾いた笑いを浮かべた。
「私を救う? 嬉しいことを言ってくれるね。──じゃあさ、私を救うためにみんな、私のための犠牲になってよ! 体も命も恋心も、みんなの大事なもの全部、私に頂戴! たとえば──ブレットくんとかさあ!」
そう言ったセシリアの瞳が、赤く輝いた。
それはヴァンパイアの特殊能力、【魅了の魔眼】。
ターゲットは俺だ。
セシリアのヴァンパイアの魔力が、俺の目を通して体内へと、そして脳へと侵入しようとしてくる。
「ぐっ……!」
俺は歯を食いしばり、意志の力を総動員して、それに抵抗しようとした。
勇者の闘気を使ってセシリアの魔力をせき止め、それを打ち破る障壁と成す。
──俺が【魅了の魔眼】にやられたら、【平静】の魔法で治療するようイリスにはあらかじめ言い含めてある。
だからこの抵抗に失敗しても、それ自体は致命傷にはならない。
しかしそれではイリスの一手を使ってしまうし、俺の行動も潰される。
ヴァンパイアは【魅了の魔眼】と並行して攻撃も行えるから、手数の問題でできれば抵抗に成功したいというのが本音だ。
だが元より向こうの力のほうが強い。
俺が築いた防壁は瞬く間に打ち破られていき──
──そのとき。
「兄ちゃん!」
「先生っ!」
「……お兄さん!」
俺の視界に、三人の教え子たちの姿が映った。
三人とも不安そうな、怯えたような、この世の終わりを恐れるような、そんな顔をしていた。
……なんだよその顔は。
いざとなってもイリスが治療すれば大丈夫だって、説明しただろうが。
リオもメイファも聞いていただろうに。
だが俺も、そんな三人の顔を見て直感する。
だとしても、俺は何だ。
こいつらの教師であり、保護者だろ。
だったら──
こいつらを守らなきゃいけない俺が、魅了なんてされてる場合じゃねぇよな……!
「うぉおおあああああっ!!!」
──バツンッ!
セシリアが俺に向けて放った魔力は、俺の気合によって跡形もなく消え去った。
そのことを察知したセシリアが、驚きの表情を浮かべる。
「私の【魅了の魔眼】に、完全抵抗した!? そんな……!?」
「はぁっ、はぁっ……! ──はっ、【魅了の魔眼】なんてのはメンタルの問題だからな。そりゃあ気持ち一つで何とでもなるさ」
さあ、これで向こうの計算違いがもう一つ増えた。
やれる。
俺は剣を構え直して、教え子たちに号令をかける。
「──よし行くぞ! リオ、イリス、メイファ!」
「「「はいっ!」」」
俺たちは一斉に、目の前の強敵に向かって攻撃を開始した。




