第75話
──と、意気込んだのは良かったのだが。
残念ながら、俺たちの反撃のターンは肩透かしに終わった。
というのは、リオに案内されて件の家まで行くと、そこはもぬけの殻であり、セシリアと遭遇することはなかったのだ。
ただその代わり、肩透かしをされた後には別の朗報があった。
再び宿に帰ってきてからすぐのこと。
勇者ギルドのギルドマスター・セドリックから、早くも連絡があったのだ。
宿の部屋で魔導通話具を耳に当てた俺は、セドリックの興奮する声を聞くこととなった。
『ブレットさん、応援の魔王ハンターが決まりましたよ! 転移魔法陣の使用許可も下りたので、明日の昼前にはそちらに到着できるタイムテーブルです』
「お、早速決まりましたか。それは助かります」
『ふふふ、任せてください。しかもその応援、誰だと思います?』
「応援が誰か、ですか……? それって俺が知っている人物ってことですかね」
『ええ、まず間違いなくご存じだと思いますよ。そちらに応援に向かう魔王ハンターは──』
そうしてセドリックからあげられた名前を聞いた俺は、驚きで魔導通話具を取り落としそうになった。
「……マジですか」
『マジです。というわけで、明日を楽しみにしていてください。では』
──ピッ。
魔導通話具を切る。
俺は座っていた椅子にもたれかかって、天井を見上げる。
……人生って、いろいろあるもんだなぁ。
「どうしたの兄ちゃん、また何か悪いことあった? やっぱりおっぱい揉む?」
「それはやめなさいリオ。あと悪い知らせじゃなくて、良い知らせだ」
「……珍しい。……セシリアお姉さんがいなくなってからずっと、悪い知らせばかりだったのに。……ふにゅっ」
メイファを引っつかまえてなんとなく頭をなでなでしつつ、俺はこの後のプランを模索していく。
明日の昼前には心強い応援が到着する。
あとは──
今日の夜を、無事に乗り越えるばかりだ。
***
そうして迎えた夜中。
夕食も入浴も終え、あとはベッドに入って眠りにつくという時刻。
俺とリオ、イリス、メイファの四人は、宿屋の中、入り口の扉のすぐ近くで寄り集まって待機していた。
小さな宿屋で、今日はほかに客もない。
宿の主人にもある程度の事情を話して、今は一家で部屋に籠ってもらっている。
念のため宿屋の一家全員やイリスにも【平静】はかけたし、宿の中に他に誰もいないことも確認している。
万事抜かりはない。
立てこもり準備は万全だ。
リオがセシリアから約束された時刻はそろそろだ。
そうして俺たちが待っていると──
──コンコン。
宿の扉をノックする音が聞こえた。
次いで、扉の向こうから声。
「……リオちゃん、そこにいる? 来たよ。開けてもらえるかな」
聞き間違えようもない。
それは確かに、俺もよく知るセシリアの声だった。
だが今扉の向こうにいるのは、俺が知る人間の勇者としてのセシリアではなく、ヴァンパイアとなった彼女なのだろう。
ヴァンパイアには、「人のいる家には中の人から招かれなければ侵入することができない」という絶対の制約がある。
セシリアがヴァンパイアであるなら、リオが扉を開けて招かなければ、彼女は宿の中には入ることができない。
セシリアの声を聞いたリオが、扉の前まで行って、その向こう側へと答える。
「姉ちゃん、それはできないよ」
「……どうしてかな」
扉の向こうで、セシリアの声の温度が下がった。
リオは少し怖気づいた様子を見せながらも、踏ん張って答える。
「姉ちゃん──オレやイリスやメイファや、それに兄ちゃんも襲うつもりなんだろ。……オレ、ヴァンパイアになったセシリア姉ちゃんの言うことは、聞けない」
すると少し間があった。
それから、こんな言葉が返ってくる。
「ふふっ、なるほどね。【魅了の魔眼】を解かれたか。──ブレットくんも、そこにいるのかな?」
そう聞かれたので、俺はリオの隣まで歩み寄って応じる。
「ああ、いるよ。──セシリアさん、こっちも一つ聞いていいか」
「何かな」
「ヴァンパイアロードも今、そこに──セシリアさんの隣にいるのか?」
するとまた少しの間があってから、次には愉快そうなセシリアの声が返ってきた。
「……へぇ。さすがブレットくん、よくもそこまで読んでくるものだよ」
肯定の言葉。
やはりそうか。
今夜セシリアがこの宿を訪れるなら、事の元凶であるヴァンパイアロードを連れてくるだろうとは思っていた。
ヴァンパイアロードに吸血されて生まれたヴァンパイアは、主であるヴァンパイアロードの眷属となる。
歪んだ自我が残るとはいえ、主の命令には絶対服従となるし、主の利益を損なうようなことはしないだろう。
ならば獲物となる勇者──貴重なヴァンパイアの素材がそこにいることが分かっているのに、セシリアが単独で俺たちを襲い、自身が吸血してむざむざスポーンにするようなことはしないはずだ。
つまり今、この宿屋の扉を挟んで向こう側には、かつて世界レベルの大災害を引き起こしたのと同じ、災厄級の魔王がいるということだ。
そんなものが目の前にいると思うと、鳥肌が立つ。
ヴァンパイアの時間である夜中に戦えば、敗北するのは間違いなく俺たちのほうだろう。
だがヴァンパイアロードとて、ヴァンパイアである以上はその制約には従わなければならない。
つまり──ヴァンパイアロードもまた、こちらから招き入れなければ、この宿の中に入ってくることはできないということ。
ちなみに、建物を破壊したりもできないらしい。
相変わらず原理はよく分からないが、今この場では助かる限りだ。
一方、扉の向こうのセシリアは、再び扉をノックする。
コンコン、コンコン、と。
「ねぇブレットくん。ここを開けてよ。そうしたらみんな、偉大な主様の眷属にしてもらえるよ」
「…………」
「それで私たちは、解放される。──私はこの体になって分かったんだ。私はもう、人間社会の倫理や道徳なんてくだらないものに従わずに、自分の欲望に素直になっていいんだって」
「…………」
「今なら素直に言えるよ。私はリオちゃんもイリスちゃんもメイファちゃんも、それにブレットくんのことも欲しいんだ。めちゃくちゃにしたいんだ。傷つけたいんだ。その代わりに私のこともめちゃくちゃに傷つけていいから。だからブレットくん──この扉を開けて、私たちを招き入れて。一緒に幸せになろう?」
「…………」
ヴァンパイアロードに吸血されてヴァンパイアとなった勇者は、秘めていた願望が肥大化して歪んだ欲望に身を任せるようになると言われている。
今のセシリアが言っていることが人として間違っているのかどうかは分からないが、少なくとも大事なタガが一個外れてしまっているのは間違いないと思える。
今のセシリアは、人間の頃のセシリアと似ているようでありながら、決定的に違うものだ。
「ねぇ、開けてよブレットくん。みんなで互いを求め合おうよ。どろどろに溶けてしまおうよ。そうしたらきっと、とても気持ちいいよ」
──コンコン、コンコン。
扉がノックされる。
「リオちゃんや、イリスちゃんやメイファちゃんもそこにいるんでしょ? 誰でもいいよ。誰か一人でいいから、ここを開けてほしいんだ。みんなにも欲しいものがあるでしょ? そんなものは無理やり奪ってしまえばいい。気にせず蹂躙すればいい。相手の気持ちなんて関係ないよ。自分に素直になろう?」
──コンコン、コンコン。
リオ、イリス、メイファの三人が、怯えた様子で俺に寄り添ってくる。
俺は両腕で、三人を守るように抱き寄せた。
セシリアの言っていることの是非は関係ない。
今やってはいけないことは、目の前の扉を開けて、外にいる怪物たちをこの宿の中に招き入れることだ。
「ねぇ、お願いだよブレットくん。リオちゃん、イリスちゃん、メイファちゃん。ここを開けてよ。私を受け入れてよ」
──カリカリ、カリカリ。
ノックの音が変わり、鋭い爪が何かをひっかくような音になる。
どこか胸をかきむしられるような音。
だが、ついに──
「……そう、分かった。私は結局、受け入れてはもらえないんだね」
寂しそうな声。
リオが、イリスが、メイファが何かを言おうとした。
だがその前に三人とも俺のほうを見てきたので、俺は首を横に振る。
そして次には、セシリアとは別の声がした。
気取ったような男の声だ。
「──血も涙もないものだな、人間の勇者たちよ。余の配下たるセシリアが、これほどまでにお前たちを求めているというのに」
それは魂を刈り取るような、冷たくて怖気の走る声だった。
俺は三人の教え子たちを抱き寄せたまま、宿の扉の向こうへと言葉を返す。
「……あんたがヴァンパイアロードか」
「如何にも。余こそがヴァンパイアの王にして、この世界すべての王となるべき覇者である。か弱き人間の勇者たちよ、今ここで余の軍門に下れば、お前たちには余の側近としての地位が与えられよう。美しい娘たちには余の寵愛も与えるが……いかがかな?」
「冗談じゃねぇ、バーカ!」
「誰がヴァンパイアなんかに! ていうか、さっさと滅びてもらえませんか?」
「……戯れ言も、ほどほどにしないと不愉快。……バカは休み休み言って」
俺が答える前に、リオ、イリス、メイファの三人が猛反発した。
相変わらず、拒絶するときは容赦がないな。
しかしさすがはヴァンパイアというべきか、瘴気をまとって魔王となっても理性を失っていないようだし、後先を考えない暴力衝動や殺戮本能に支配されている様子もない。
そして「この世界の王になる」と出た。
まあ、そう言うだけの力はある、おそるべき魔王のひとつではあると思うが──
俺は扉の向こうへと声をかける。
「ヴァンパイアの魔王さんよ。そいつはちっと、俺たち人間の勇者を甘く見過ぎだと思うぜ。あんたには『世界』が見えていない」
「そうかね。では証明してみたまえ、楽しみにしていよう。──行くぞ、セシリア」
「はい、主様」
そうして扉の向こうの二つの気配は去っていった。
今日のところは、あきらめて帰ったのだろう。
張りつめていた緊張が解け、俺は大きく息を吐く。
「兄ちゃん……セシリア姉ちゃんのこと、助けられる? 大丈夫だよね?」
俺の腕の中にいるリオが、今にも泣き出しそうな瞳で俺を見つめてくる。
イリスとメイファも、口にこそ出さないが同じように不安そうにしていた。
俺は三人を優しくなでつつ、教え子たちに伝える。
「ああ、大丈夫だ。俺たち勇者は、いつも一人で戦っているわけじゃない。魔王と戦う勇者の後ろにはバックアップしてくれる人たちがいて、誰かがピンチのときには助け合える。だから──まあ見てろって」
俺のその言葉に、イリスがハッと何かに気付いた様子で言う。
「そうでした! 先生がオトナの話し合いで、応援を呼んだんでしたよね!」
「ん……ま、まあ、それはそうなんだが……」
普通のことをそう大々的に持ち上げられるのは、なんというか非常にむずむずする。
イリスって「大人」にすごい幻想を抱いてるよな……。
あと俺が応援を呼んだという言い方は微妙におかしくて、勇者ギルドのギルドマスター・セドリックが方々に手回しして尽力してくれたからで。
そうやって俺たちはいろんな人たちの仕事に助けられてるんだぞ、俺たち現場の勇者だけで魔王と戦っているわけじゃないんだぞっていうのを伝えたかったのだが……これは多分、ちゃんと伝わってないな。
などと思っていると、今度はメイファが俺の手を握って、こんなことを言ってきた。
「……でも、応援を呼んでもらえたのは、お兄さんがうまくやったから。……ボクたち三人だけだったら、勇者ギルドに連絡なんてしないで、自分たちだけで勝手に動いて、もうとっくに絶望してた。……ありがとう、お兄さん」
そう言って、天使のにっこり笑顔。
「ぐっ……」
俺はその笑顔に、魂をがっしりとつかまれた。
メイファのくせに、メイファのくせに……!
意外と褒め上手だなこいつ……。
「まあ、そうだな。──こっちこそサンキューな、メイファ。元気が出たよ」
「……? ……どうしてお兄さんが、ボクにお礼を言うの?」
「別に。なんとなくだよ」
俺はメイファの頭をわしわしとなでて照れ隠しをする。
メイファもまた、頬を赤く染めて気持ちよさそうになでられていた。
──とまあそんなわけで、問題だった夜を、俺たちはどうにかやり過ごした。
ヴァンパイアロードとの決戦は、明日になるだろう。
セドリックが呼んでくれた応援が到着すれば、十分以上に勝算が立つ。
俺たちは明日に備え、宿の部屋に戻ってベッドに潜った。
そして、翌朝──
俺は無事に到着した応援の勇者に、あきれた目で見られることとなったのである。




