第70話
俺はすっかりお休みになったイリスを宿まで運び、ベッドに寝かせた。
魔力枯渇で倒れたときは、だいたい一時間ぐらいは目を覚まさない。
イリスはしばらく寝かせておく必要があるだろう。
俺は次に、魔導通話具を使って勇者ギルドに現状報告をした。
村の住居のひとつにヴァンパイアスポーンが四体潜んでいたことと、それらを撃退した上、イリスの【究極治癒】を使って犠牲者たちの一命をとりとめたこと。
しかし事件の発端として存在するはずのヴァンパイアそのものにはまだ遭遇しておらず、セシリアの消息もいまだつかめていないこと。
それら一通りの情報を勇者ギルドに伝えると、俺は魔導通話具の通話を切った。
「ふぅ……」
これでひと段落だ。
俺は宿の部屋にある椅子の一つにどっかりと座りこむと、傍らのミルクが入ったコップを手に取り、中身を胃に流し込む。
するとそんな俺の様子を見たリオが、心配そうな顔で俺の前に立ち、こんなことを言ってきた。
「なぁ兄ちゃん、疲れてる? ──大丈夫? おっぱい揉む?」
「ブーッ!」
俺は盛大にミルクを噴いた。
「げほっ、げほっ……!」
「うわっ、兄ちゃん汚ねぇ! かかったし!」
「わ、悪い……。しかしリオ、お前どこでそんな台詞覚えたんだ」
俺はタオルを持ってきてリオの体を拭いてやる。
リオは少し顔を赤らめつつ俺に拭かれていたが、途中で「じ、自分でやるよ……」と言って俺からタオルを奪い取って、自分で拭き始めた。
「……セシリア姉ちゃんが教えてくれたんだよ。男の人はおっぱいを揉むと疲れが吹き飛ぶんだって」
「あんのクソアマぁ……! うちの可愛い天使に何を吹き込んでくれやがる!」
「……お姉さん、ボクにはそれ、教えてくれなかった。……ボクは今、すごく傷ついた」
一方ではメイファが、自分の平らかな胸を見て部屋の床にがくりと崩れ落ちていた。
あー……まあなんだ、メイファにはメイファの魅力があるから、気にしなくていいと思うぞ?
と、そんな戯れ言はさておき。
「じゃあさ、リオ。俺からひとつ頼みがあるんだが」
「ん、何? やっぱりオレのおっぱい揉みたい? 兄ちゃんエッチだなぁ」
「違う! そうじゃなくてだ──リオ、俺に何か隠していることがあったら、今ここで教えてくれ」
俺がそう言うと、リオは一瞬で真顔になった。
崩れ落ちていたメイファも、興味深げに話に耳を傾ける。
「え、と……な、何の話かわかんないよ、兄ちゃん」
リオはそう言うのだが、その目は右に左に泳いでいた。
──俺がリオの言動に違和感を覚えたのは、ヴァンパイアスポーンを撃退した後のことだ。
それ以後わずかだが、リオの口から出た言葉に不自然と思えるものがあった。
リオが村人を避難誘導してから戻ってきたのは、イリスよりも少し遅かったし、その間──リオが俺のもとから離れていたときに、何かがあったのかもしれない。
俺はリオの両肩に手を置く。
リオがびくりと震えた。
「リオ、何かあったなら話してくれ。内容次第では、リオやイリスやメイファの身に危険が及ぶことかもしれないんだ」
「だ、だから……何もねぇって……」
そう言いながら、リオはやはり俺と目を合わせようとしない。
俺に何かを隠しているのは間違いなさそうだが、話してくれそうにはなかった。
仕方ない。
「分かった。何か思い出したら、またそのときに教えてくれ」
「……うん」
リオはうつむきながら、そう答えただけだった。
メイファはそれを、何かを考えるような仕草で見守っていた。
そんな一幕がありつつ。
しばらくするとイリスが目を覚ましたので、その後みんなで宿の食堂で昼食をとった。
「「「「いただきまーす!」」」」
木造四人掛けの丸テーブルを囲み、料理の前でみんなで手を合わせる。
パンとスープ、焼いた鶏肉に添えもののサラダと、デザートにオレンジ。
リオ、イリス、メイファの三人が思い思いに食事を口に運びはじめる中、俺は自分が知っているヴァンパイアに関する情報を教え子たちにレクチャーしていった。
すなわち、ヴァンパイアは人間を襲ってその血を吸うことで、犠牲者をスポーンに変えてしまう能力を持っていること。
加えてその戦闘力の高さと、日光を浴びるとダメージを受けることや、「不浄なる土」のある場所で眠らないと弱っていくこと。
さらに──
「ほかにもヴァンパイアには不思議な能力や特性がいくつもある。例えば、『ヴァンパイアは、人が住む家には家人に招かれないと立ち入ることができない』という弱点がある」
「……何それ、よく分からない。……お兄さん、どういうこと?」
俺の説明に、メイファが首を傾げる。
イリスも不思議そうにしていたが、リオはまた何か考える仕草だ。
相変わらずリオの挙動が気になるが、まあいい。
俺は説明を続ける。
「原理はよく分かっていないんだが、内容は今言ったとおりだ。ヴァンパイアは、人が住む家には中にいる人から招かれないと入ることができないんだ。人の住居にはヴァンパイアにしか効かない結界みたいな力が働く、とでも思ってもらえばいいか」
「……説明されてもわけが分からない。……謎現象すぎる」
俺の説明を受けても、メイファはいまだに腑に落ちないという様子だった。
気持ちは分かる。
俺も最初は、なんだそりゃと思ったもんだ。
「まあいずれにせよ、そういう性質があるってことだ。だから村長が村人に出した『夜中に家の外に出るな』ってあの指示なんかは、結果論としては大正解なんだよ。日光でダメージを受けるヴァンパイアは、あまり日中に動きたがらなくて、たいていは『不浄なる土』を敷いた棺桶の中で寝ている。しかしヴァンパイアが夜になって棺桶の外に出てみれば、夜中は人間がみんな家の中にいて手出しができない。こうなれば向こうとしては動きづらいわな」
「なるほど……。でも先生、じゃあどうしてあの家の人たちはヴァンパイアスポーンになっていたんですか? ヴァンパイアが家の中に入れないなら、噛みついて血を吸うこともできないような……」
イリスがそう質問しながら、フォークでサラダを口に運びつつもぐもぐする。
いい質問だ。
「それはいくつか可能性が考えられるが……。たとえば何らかの理由で、家の中にいる家人がヴァンパイアを招き入れたのかもしれないな」
「何らかの理由……。例えば何があるだろ……」
「まあいくらも考えうるとは思うが──例えばの話で言えば、ヴァンパイアにはもう一つ、厄介な能力があるんだよ。【魅了の魔眼】っていうんだが」
「……まだあるの? ……次から次と、ヴァンパイアとかいうモンスター、特殊能力の見本市のよう。……で、お兄さん、【魅了の魔眼】って、どんな能力?」
そんなメイファの感想に苦笑しつつ、俺は答える。
「【魅了の魔眼】は、ヴァンパイアが目を合わせた相手の『心』に魔力で干渉して、強制的に自分に『惚れさせる』能力だ。抵抗力の弱い一般人が対象になると、それ一発で能力の使用者であるヴァンパイアにべた惚れの陶酔状態になる。だから──」
「あ、あのさ、兄ちゃん……!」
そのとき、リオが突然、口を挟んできた。
見ればリオは、不安そうなまなざしで俺のことを見つめていた。
「ん……? なんだ、リオ?」
俺は努めて優しい顔を作って、リオにほほ笑みかける。
俺の顔を見たリオは、少し頬を赤らめつつ、言葉を続ける。
「いや、その……例えば、例えばの話なんだけど──もしその【魅了の魔眼】を一般人じゃなくて、オレたちみたいな勇者が受けたら……どうなるの?」
「……まあその勇者のレベルというか、抵抗力の強さにもよるだろうが、一般人が受けたときほどべたべたの陶酔状態にはなりにくいみたいだな。ただ完全に抵抗しきれなければ、そのヴァンパイアに対して好感を抱いたり、ヴァンパイアからの頼みごとを引き受けてしまうぐらいの効果はあるらしい」
「そ、そっか……」
そう言って、リオはまた何か考え込むようにうつむいてしまった。
……なるほどな。
リオが何を隠しているのか、おおむねの筋道は見えた気がする。
非常に危険な状態だが、むしろ今この状態でリオがここにいることは、運が良かったというべきだろう。
俺はホッと胸をなでおろす。
一歩間違えば、とんでもないことになっていたところだった。
敵が何を考えているのか、はっきりとは分からないが──さておき。
俺は席から立ち上がり、おもむろに歩いていってリオが座っている席の後ろに立った。
リオは焦った様子で俺のほうを見る。
「に、兄ちゃん、な、なに……?」
「悪いがリオ──ちょっと拘束するぞ」
「へっ……? うわわっ……!?」
俺はリオが座っていた椅子を蹴り倒す。
そしてバランスを崩したリオを、俺は食堂の床の上へと押し倒した。




