第69話
ヴァンパイアスポーンの棲み処だった家の中。
俺とメイファが倒したスポーンが四体、居間に並べられていた。
四体のスポーンはそれぞれ、中年の男性、女性、少年、老人の姿をしている。
今や怪物の姿だが、もともとはヴァンパイアに襲われた犠牲者だ。
それらスポーンの前に立つのはイリス。
俺とリオ、メイファが見守る中、イリスは倒れた怪物を前にしてごくりと唾をのむ。
俺はイリスほか、三人の教え子たちに向かって説明する。
「ヴァンパイアスポーンはアンデッドモンスターに分類されるが、スポーンになってすぐの頃は厳密には『死んでいない』状態らしい。スポーンになってから一、二週間程度の間は正の生命力と負の生命力が入り混じった状態で、存在の在り方がまだ確定されていないって話なんだが……言ってること分かるか?」
俺の言葉に、三人はぶんぶんと首を横に振る。
……まあ、そうだろうな。
「あー、つまりだ。『死んでさえいなければだいたいなんとかなるような反則級の治癒魔法』なら、なんとかなる可能性があるってわけだ」
「それで私、ですか……【究極治癒】を使えるから……」
イリスがそう確認してくるので、俺は微笑みを浮かべて三姉妹の次女の頭を優しくなでる。
「ああ。教師としては情けない話だが、俺には【究極治癒】は使えないからな。イリスに頼るしかないんだ」
「そんな……! 先生は少しも情けなくなんてないです! ……あの、私なんかがこんなことを言うのはおこがましいかもしれないですけど、先生は多分、自分ひとりで全部をやろうとしすぎです。それじゃ私たちが、いつまでたっても先生のパートナーになれない……。先生には、もっと私たちを頼ってほしいです!」
怒られてしまった。
ううむ……。
「でもなぁ、それってもう教師と教え子の関係じゃないだろ」
「先生、私たち……教師と教え子の関係じゃないと、ダメなんですか?」
イリスが上目遣いの視線とともに、自分の服の胸元をきゅっと手で握りつつ、そう訴えかけてきた。
ズキュウウウウウウンッ!
俺のハートは一瞬にして撃ち抜かれた。
……い、いや、イリスが言いたいのは、自分たちももう弱くはないのだからともに戦う仲間だと思ってほしいということだろう。
しかしなんかこう、頬を染めて懇願するようなまなざしで言われると、男と女の関係として大人の階段をのぼりたいんです、みたいな意味に聞こえてしまう。
まずいまずい、今の俺は錯乱している。
これは俺のオトナ力が試されているぞ。
「あ、あー、イリスさんや。そういう台詞を男性に向けるのは、少し気を付けような? 勘違いをされるからな?」
俺がそう言うと、イリスはきょとんとした表情を見せた。
それから少し考えるような仕草をして、うつむいて、視線をあちこちに彷徨わせてから、次にはこんなことを言ってきた。
「……私、先生相手じゃなきゃこんなこと言わないもん」
──グサァッ!
イリスの放った会心の一撃が、俺の胸にクリティカルヒットした。
もうやめて!
俺のオトナ力はとっくにゼロよ!
というかそれ以前に、倒れたヴァンパイアスポーンが並んでいる前でする会話としては、非常にシュールだ。
話を戻そう。
「わ、分かったイリス。その話はまた今度にしよう、な? 今は治療だ、そうしよう」
「ぶぅ……分かりました」
イリスは口を尖らせながらも、不承不承といった様子で納得してくれた。
ちなみに俺の横ではリオとメイファが、
「なあメイファ、兄ちゃんのコレってどう思うよ?」
「……もう少しで、牙城が崩せそうな感じ? ……どんどん攻撃を仕掛けていこう。……だれか一人でも突破できれば、多分あとは雪崩式」
「オーライ。オレもガンガン仕掛けないとな。恥ずかしがってなんていらないよな」
などと、よく分からないがどこか恐ろしげな相談をしていた。
ともあれ、イリスの魔法である。
イリスは横たわっているヴァンパイアスポーンの一体の前に両膝をつき、胸の前で祈るように両手を組むと、まぶたを閉じる。
しばらくするとイリスの全身が淡くも力強い魔力の輝きを放つ。
イリスはその両手を、目の前のスポーンの胸へと添える。
そして美しくも勇ましい声で、その呪文を唱えた。
「──【究極治癒】!」
イリスの両手に強い光が宿り、それがスポーンの体じゅうへと広がっていく。
光はスポーンの全身を包み込み──
やがて光がやむと、青白かったスポーンの肌は健康的な肌色となり、鋭かった牙や爪も人間らしいそれへと戻っていた。
俺は歩み寄り、試しにスポーンだった犠牲者の目を開いてみたが、そこにあったのは怪物らしき真っ赤な眼球ではなく、人間の瞳だった。
もちろん、スポーンの状態で負ったダメージも癒されている。
ちなみにその犠牲者、まだ意識は取り戻していないが、胸は健やかに上下している。
しばらくすれば目を覚ますことだろう。
「はぁっ……はぁっ……。や、やれた……?」
「……すごい。……怪物だったのが、本当に人間に戻った。……まるで奇跡」
大きな魔力を使って荒く息をつくイリスと、姉が使った魔法の効果を見て驚くメイファ。
一方でリオは、メイファと同じように驚きながらも、何か考え事をしている仕草だった。
「……なぁ兄ちゃん。これってさ、ヴァンパイアの手下──スポーンっていうんだっけ? そのスポーンだけじゃなくて、ヴァンパイアそのものにも効くの?」
リオは俺に、そう聞いてくる。
その質問に俺は少しの不自然さを感じたが、ひとまずその違和感はスルーして答える。
「ああ、親玉のヴァンパイアも条件は一緒だな。ヴァンパイアになってからどれだけ期間が経過しているかにもよるが、その存在がアンデッドとして確定していない段階なら、人間として蘇生できる可能性は十分にある。とはいえ無力化した状態じゃないとまず通らないはずだから、ヴァンパイア相手の戦闘で使うのは無理があると思うけどな」
「そっか……」
リオはそう言って、また何かを考え込む仕草を見せた。
その様子が気にはなったが、とりあえず物事はひとつずつ解決していくことにする。
俺はイリスに歩み寄って、その小さな体を強く抱きしめた。
「イリス、すごいぞ、よくやった。今イリスは、失われるはずだった人ひとりの命を救ったんだ。本当にすごいし、偉いぞ。──イリス、魔力を膨大に消費してつらいと思うが、残り三人、やれるか?」
「えへへ……先生にすごく褒められた……うぅぅっ、すっごく嬉しい……。──はい、先生。私、頑張ります。このぐらい全然へっちゃらです♪」
そう言ってイリスは儚げな微笑みを見せた。
それからイリスは、二人目、三人目と【究極治癒】を施していった。
それにより、スポーンとなった犠牲者四人のうち三人までが、健やかな人間に戻ることができた。
しかしイリスの消耗は、その段階で目に見えて大きなものとなっていた。
「はぁっ……はぁっ……あ、あと……ひとり……」
そう言って最後の一人のもとに向かおうとしたとき、イリスはふらりと揺れて、倒れそうになった。
俺は慌てて駆け寄って、イリスの華奢な体を抱きとめる。
「イリス、大丈夫か!? ……あと一人は、また明日にするか? 多分一日ぐらいなら、まだ大丈夫だと思うが……」
俺はそう言いながら、自分の言葉に何も根拠がないことも同時に理解していた。
ヴァンパイアスポーンを【究極治癒】によって救うことができるのは、その犠牲者がスポーンになってから一、二週間以内のケースであると考えられる。
しかし目の前の犠牲者がスポーンになってから厳密にどのぐらいの期間が経過しているのかはっきりとは分からない上に、「一、二週間」という非常にざっくりしたリミットも確たるものとは言いづらい。
あくまでもそういった研究結果があるというレベルの話なのだ。
だから本来なら心を鬼にして、イリスにあと一人分だけ頑張ってもらうべきところだ。
いや、今からでも前言を撤回して、イリスにそうさせるべきだろう。
そう思い直した俺だったが──
そのとき、俺の腕の中で支えられていたイリスが、こんなことを言いだした。
「あの、先生……。私、あと一人頑張ったら……ご褒美、もらえますか……?」
それを聞いた俺は、一瞬だけ躊躇ったが、次には大きくうなずく。
「ああ。俺にできることなら、なんでも言うこと聞いてやる」
教え子に無理を言って頑張らせなければいけない状況だ。
ご褒美ぐらいで快く頑張れるなら、どんな要求だって安いものだ。
無茶な要求だろうがドンと来い、何でも叶えてやる。
そんな気構えでいたのだが──
「だったら、その、私……夜に先生と、一緒のベッドで寝たいです」
「は……?」
イリスの口から出てきた言葉に、俺は目が点になった。
イリスは熱に浮かされたような様子で、俺にささやきかけてくる。
「あはは……私、悪い子ですよね……。先生を、困らせようとしてます。でも……頑張ったらご褒美、欲しいな……?」
「お、おう……わ、分かった。約束する」
俺は戸惑いながらも、そう答えるしかなかった。
いろいろとおかしい気もしたが、今は何よりも人命だ。
あとのことは、あとで考えよう。
今はイリスに頑張ってもらうための最善を尽くすべきだ。
そして俺の返事を聞いたイリスは、「いよっし!」と気合を入れ直して立ち上がった。
それから勢い任せに最後の一人の前に向かっていって【究極治癒】を使うと、その後イリスはへろへろになってバタンキューした。
だがヴァンパイアスポーンとなった犠牲者は、これで四人とも治療された。
イリスのお手柄だ。
俺は力を使い果たした教え子の少女を抱き上げ、小さく「お疲れ様」とささやく。
四人もの人命を救った小さな聖女は、俺の胸に顔を埋め、すぅすぅと寝息を立てていた。




