第56話
俺と三人の教え子たちは、街に到着するとまずは勇者ギルドへと向かった。
勇者ギルドの受付でステータス検定を受けに来た旨を伝えると、四人分のゼッケンを渡される。
「ステータス検定の会場では、こちらのゼッケンの番号で呼ばれます。検定会場は街の中央西寄りにある競技場ですので、準備ができましたらそちらへ向ってください」
受付嬢から笑顔でそう伝えられた俺たちは、勇者ギルドをあとにして、測定会場である競技場へと向かった。
ちなみに、ギルドを去り際に受付嬢同士でのこんなやり取りが聞こえてきたりもした。
「きゃーっ! ねぇ聞いて聞いて! 私またあのブレット・クレイディルと話しちゃった! でもホントあの人ヤバくない!? 強くてカッコ良くてしかも先生とか、どんだけって感じだよね!」
「そうだね、主にあんたのミーハーっぷりがどんだけって感じだよね。あと声が大きい」
「それにあの三人の女の子たちも、見るたびにぐんぐん綺麗になっていってるし! きっと恋とかしてるんだろうなぁ……! ああ、めくるめく禁断の師弟愛の世界……次のコミフェスで出す薄い本の妄想が捗るわ……!」
「うん。ホントあんた一度逮捕されたほうがいいよね。あと声が大きい」
なんのこっちゃという話であるが、まあ気にしないことにして外に出た。
勇者ギルドから競技場までは、歩いて数分だ。
俺は三人の教え子たちを連れて会場へと向かい、やがて現地へとたどり着いた。
この街にある競技場は、王都の最強新人勇者決定戦を行った会場よりは多少手狭だが、それでもあれこれの運動競技を行うのに十分なだけの広さがある。
その競技場のあちこちで、様々な測定が行われていた。
百メートル走や、反復横跳び、砲丸投げ、魔力測定などなどだ。
これら複数のテストの総合点から、勇者協会が作った独自の計算式にもとづいて、勇者のそれぞれのステータスが算出される。
例えば「敏捷性」のステータスは、百メートル走や反復横跳びなどのテストの総合点から導き出されることになるわけだ。
俺たちは競技場の入り口で登録名やゼッケンの番号を確認されると、まずは百メートル走のコーナーに向かうよう指示された。
ちなみにそのときの受付は二人いたが、片方の女の子は勇者ギルド職員の仕事を始めたばかりの新人なのか、受付作業がいろいろと手際が悪くて、俺のときも少し時間がかかった。
リオたちと同い年ぐらいの子だ。
自信なさそうにおどおどとしている感じは、どこか一年前のイリスにも似ている気がする。
まあ、誰しも新人のときはあるし、最初から仕事のできる子ばかりじゃない。
こういう子もまた、失敗と経験を繰り返して成長していくわけだ。
俺は不手際を申し訳なさそうにするその子に「ありがとう。頑張ってな」と一声かけていく。
俺のあとに続いたイリスも、「うん、大丈夫だよ」と声をかけたようだった。
その受付の子は、顔を真っ赤にして俺とイリスに向って「すみません、すみません」と言ってぺこぺこと頭を下げてきた。
彼女のフォロー役と思しきもう一人の女性職員も、手際よくリオとメイファの受付を済ませると、俺とイリスに向ってぺこっと頭を下げてきた。
いやぁ、なんか和むな、こういうの。
どんな仕事でも、人を育てるのって楽じゃない。
何事も教えるだけでは身にならず、実践と経験が必要だし、そのためにはどこかで補助輪を外して本人の力でやらせていかなきゃいけない。
「お客さんは教材じゃない」という考え方も分かるんだが、俺は教師という職業柄もあってか、仕事を教える側と、仕事を学ぼうとしている新人の側に感情移入してしまう。
まあいずれにせよ、多少の不手際ぐらいは大目に見るのが良識ある大人ってものだろうと思うが──
だがどうやら、そのとき俺たちの後ろに並んで順番待ちをしていた勇者は、俺と同じ考えの持ち主ではなかったようだ。
「チッ、遅っせぇなぁ。モタモタしてんじゃねぇよ愚図が」
俺たちが競技場の受付から出て、百メートル走のスタート地点へと向かおうとしたとき、背後からイライラとしたような男の声が聞えてきた。
振り返って見れば、そこにいたのは三十代中頃ぐらいの体格のいい男だった。
男は見るからに不愉快そうな表情を浮かべ、タン、タン、タンとせわしなく足を踏み鳴らしている。
新人らしき受付職員は、泣きそうな顔で「あ、あの、すみません……」と謝っていたが、男は「すみませんじゃねぇよ! 早くしろっつってんだよ!」などと急かし、そのせいで新人職員の手が震えてペンを取り落としたりと、見事な悪循環に陥っていた。
そこにもう一人の職員が慌てて助けにいく。
「すみません。その子まだ新人なもので。こちらで手続きをやり直しますので……」
だがその職員の言葉にも、男は苛立ちの言葉を向ける。
「はぁ? 新人とかこっちには関係ないよな? お前たち勇者ギルドにとって俺たちは何だ。客だよな? ちゃんと仕事できるように教育してから客の前に出すのが『当たり前』じゃねぇのかよ、なあ?」
男はそのように職員を問い詰める。
職員はうつむき、ただただ耐えるようにしてその言葉を聞いていた。
……ダメだ。
さすがに見ていられない。
男の言い分は一見正論のようであるが、まず教える側の教育人員や教育時間が無制限に潤沢であることを前提にしている点でおかしい。
その業種の資金繰りにもよるのだが、例えば初期教育に三ヶ月ぐらいみっちり使って基礎を教えられるような潤っている業種と、教育三日目ぐらいには現場に出して失敗しながら学ばせなければ回らないような人手も人件費もカツカツの業種とでは、まったく話が変わってくる。
勇者ギルドの人件費その他の予算は国防費──すなわち国民が支払う税金から出ているわけだが、勇者活動に割り当てられる国防費のほとんどは俺たち勇者の仕事に対して支払われるため、勇者ギルドに割り当てられる予算は多くはない。
であれば、教育のための人手も教育時間も、そう潤沢には使えないだろう。
まあそもそも、勇者ギルドから魔王退治の仕事の斡旋を受けて報酬を受け取る魔王ハンターが「客」だという話もおかしいのだが……。
いや、仮に客だったとしても、あの態度はないだろう。
ベテランの女性職員さんも、まずいと思ってカバーに入って新人の不手際に対して頭まで下げているのだから、それ以上の文句をつけるのは明らかに度が過ぎている。
そう思った俺は、戻って口を出そうとしたのだが、そのとき──
「おい、おっさん! テメェも勇者じゃねぇのかよ!」
俺より先に、リオがそう口を開いた。
リオはつかつかと男の前まで歩いていって、目と鼻の先まで近付くと、頭一個分も大きな男を睨み上げる。
男は一瞬怯んだようだったが、すぐに気を取り直したようにリオに言葉を返す。
「あぁ……? なんだクソガキ、お前には関係ねぇだろうが。すっこんでろ」
「嫌だね。いい歳した勇者が弱い者いじめしてんじゃねぇよバーカ! 今すぐこの人たちに謝れよ!」
「なんだと……? おいメスガキ、今なら大人に失礼な口を聞いたことを許してやる。ここで土下座して、俺に謝れ」
「はっ、バッカじゃねぇの? 言ってて恥ずかしくねぇ? 大人の勇者のつもりなら、ちったぁ兄ちゃんみたいな立派な勇者を見習えよな」
そう言ってリオは、ビッと俺のほうを指さしてくる。
男の視線が、俺のほうへと向いた。
男は俺に向かって口を開く。
「……おう、そこの若いの。お前、勇者学院の教師か何かか? このクソガキはテメェの教え子か? 礼儀がなってねぇぞ、ちゃんと躾けとけ」
男はそう言って、俺を睨みつけてくる。
俺はそれに対し、さらっと言葉を返した。
「いやぁ、リオの言うとおりだと思いますよ。いい歳した勇者がその態度はないでしょ。勇者精神ってご存知ありません?」
俺のその対応に、今度こそ男の怒りが沸点に達したようだった。
男は顔を真っ赤にすると、リオを無視して俺のほうに向かって歩み寄ってくる。
そして俺の目の前まで来ると、男は俺の胸倉をつかみ上げた。
「おう若造。喧嘩売ってんのかテメェ?」
「や、勇者として『当たり前』の心構えを説いただけですけど。そもそも魔王ハンターにとって、勇者ギルドは仕事を斡旋してくれる『お客さん』ですよね。あんたの言い分に従うなら、ちゃんとした勇者として教育されてからお客さんの前に出るのが『当たり前』じゃないんですかね」
「ぐっ……! ──テメェ、どうやら痛い目を見なきゃ分からねぇようだな!」
反論に詰まった男は、俺の胸倉をつかんでいないほうの右手で拳を握り、俺の顔面めがけて殴りかかってきた。
そう速くはない、並みの勇者のパンチだ。
俺はその拳を、左手でパシッと受け止める。
「なっ……!? ──ぐぁああああっ!」
俺が受け止めた左手に力を入れて男の拳をにぎってやると、男はがくりと膝をついて痛がった。
俺が手を離してやると、男は四つん這いになって慌てて俺から離れ、振り向きざま再び俺を睨みつけてくる。
「はぁっ、はぁっ……て、テメェ……何者だ!」
「何者って、さっきあなたが言っていたじゃないですか。勇者学院の教師ですよ」
「お、俺はベテランの魔王ハンターだぞ! 勇者学院の若造教師ごときが、こんな力を持っているわけがねぇだろうが!」
うーん……。
最近分かったのだが、どうも勇者学院の教師の世間的イメージというのは、実力のない頭でっかちの雑魚勇者というものらしい。
生徒たちに教える教師が実力不足では成り立たないと思うのだが、言われてみれば、俺が勇者学院生時代に教わったレオノーラ先生以外では、勇者として高い実戦能力を持った勇者学院教師にはあまりお目にかかったことがないかもしれない。
名選手が名コーチになれるとは限らないとはいえ、それもいかがなものかなぁとは思うのだが……。
と、そのときだ。
「お、遅れてすいやせん兄貴! あっしとしたことが、寝坊しちまいやした!」
俺たちと男とが騒動を起こしている競技場入り口の受付前に、一人の小男が現れた。
そして小男は、自らが兄貴と呼んだ騒動男と俺たちとを交互に見て、男に向かって問いかける。
「あれ? そんなところでしゃがんで、何やってんですか兄貴? それにこいつら一体……。あっ、分かりやしたぜ兄貴、こいつらが生意気なんでヤキ入れようってんですね! ならあっしも加勢しやすぜ。──シュッシュッ、オラオラどうした、かかって来いよ!」
小男は何やら格闘のポーズをとって、俺たちを挑発してくる。
……えっと、こいつも一応勇者なんだろうな、多分。
だがその小男を、兄貴と呼ばれた男が止めに入る。
「ま、待て、ジョニー。あんまりこう、カタギのもんに手ぇ出すもんじゃねぇ。俺たちは勇者だからな。人々の模範となるべく行動しようじゃないか」
「えっ……? あ、ああ……さすが兄貴、言うことが違いやすね。──おい分かったかお前たち。こういう兄貴みたいな立派な勇者を目指すんだぞ」
「い、いいからジョニー、さっさと受付しろ! 測定に行くぞ!」
「あっ、そうですね兄貴! あっしとしたことが、すいやせん!」
小男がベテラン職員さんのほうで手早く手続きを済ませると、兄貴と小男は連れだって競技場の中へと入っていった。
嵐が去った後のような状況にぽかーんとする俺とリオたち、それに受付の人たち。
それから受付のベテランの職員さんがはたと気付いたように、俺に向かって頭を下げてくる。
「助けてくれてありがとうございました! おかげでもう、胸がスッとしました!」
「あー、いえ。あんなのもいると大変でしょうけど、お仕事頑張ってください。俺たちが勇者活動に専念できるのも皆さんのおかげです。こっちこそ、いつもありがとうございます」
「いえいえ、そんな滅相もない……!」
受付の職員さんは、なんだかめちゃくちゃ恐縮していた。
いやでも、自分が悪いことでもなくこんな風にお礼が言えるこの職員さんとか、実際すごいと思うけどな。
世の中にはこう、当たり前にすごい人が当たり前にその辺にいるから怖い。
ともあれ俺は、リオ、イリス、メイファの三人を連れて、競技場入り口の受付をあとにし、百メートル走のグラウンドへと向かった。
ちなみにその際、メイファが俺の脇腹に肘を入れてきて、「……お兄さん、そう行く先々でファンを増やすのは、どうかと思う」などと言ってきたが、意味はいまいち分からなかった。




